Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

太平洋沿岸を飛ぶ (7) - 富士山

2010-01-12 | Fuji
3,776mの富士山頂。ここにレーダーを設置できれば、南方800kmに近づいた台風をキャッチできる。気象庁課長の葛木(芦田伸介)は、台風の被害を少しでも減らすべく、富士山レーダー建設に情熱を燃していた。
大蔵省へ歩を運ぶこと三年、葛木の夢は実を結ぶこととなった。三菱電機技術部員、梅原(裕次郎)もまた技術者の立場から富士山レーダーに情熱をかけ、大成建設の伊石(山努)とともに山頂の気圧や地盤について調査をしていた。
建設予算2億4千万円、三菱電機、大成建設による工事が始まった。
霧の晴れ間を縫って朝吉(勝新太郎)の率いる荷馬車隊が登って行く。七合八勺までくると荷物は馬から強力(ごうりき)にかわって運ばれる。そんな中で辰吉(佐藤充)はブルドーザーを運転した。これは馬にのみ頼ってきた朝吉を驚かせた。マイナス30℃、風速は常に20m/s。酷寒、低気圧の中で梅原らの難作業は続いた。直径9メートル、重量500kgのドームを基礎土台にはめこむ作業は技術陣を緊張させた。
人々が固唾をのんで見守る中を加田(渡哲也)が操縦するヘリコプターがゆっくり下降、ドームは土台と完全に結合した。壮挙は終った。


新田次郎原作『富士山頂』は、富士山頂の測候所に台風観測のための巨大レーダーを建設する様子を描いたもの。作者の新田氏は、気象庁課長として実際にそこの建設に携わっていた。
小説では建設の様子だけでなく、建設に至るまでの大蔵省における予算の復活折衝の様子や大手電機メーカー各社による激しい入札争い・政治家や政府高官を使った圧力など、気象庁職員だった作者の経験に基づくエピソードや、富士山の馬方や強力(ごうりき)が合同して富士山頂までブルドーザーを使った輸送方法を開発する様子などが描かれている。

この小説を元に石原プロが映画を製作、1970年2月に日活系の映画館で封切られた。
「映画は映画館で見るもの」という石原裕次郎氏の遺志もあり、ビデオ化、DVD化されておらず、テレビ放送されたこともなく、「幻の大作」といわれてきた。昨年、石原プロが裕次郎氏の二十三回忌に合わせ、テレビ初放送したのは記憶に新しい。

1999年11月1日、富士山レーダーは気象衛星により台風の接近を観測できるようになったことと、代替レーダーが静岡県の牧之原台地と長野県の車山の2カ所に設置されることによりその役割を終え、運用を終了した。その後富士山頂から本体は解体撤去され、2001年9月に富士吉田市に移設され、富士吉田市立富士山レーダードーム館として公開されている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。