右手に大島を見て、相模湾に入った。そのころから霞がうすらぎ、左手に伊豆半島の連山が望まれた。
十艘近い漁船らしい小舟が陸岸方向に見えたが、艦隊の姿に驚いたのか、急いで岸の方に引き返してゆくのが見えた。
霞が消えて視界が遠くまひらけた時、艦上の所々で甲高い驚きの声が上がった。北西方向に円錐型をした高々とそびえ立つ山が青空を背景にうかびあがっていた。それは、日本の見聞録に必ず記されている富士山で、頂が白いのは雲か雪かわからなかったが、美しい山容には威厳があった。
(吉村昭著『海の祭礼』より)
1853年7月8日、アメリカの使節ペリーが黒船4隻を率いて江戸湾の入り口浦賀沖に現れた。
4隻の艦隊は、蒸気船の旗艦サスケハナ号(2450トン)、ミシシッピー号(1692トン)と帆船のサラトガ号(882トン)、プリマス号(989トン)。
米国東海岸のチェサピーク湾ノフォークを出航したのは1852年11月24日。大西洋のマディラ島、セントヘレナ島からアフリカ南端のケープタウンを回り、セイロン、シンガポール、香港、上海、琉球、小笠原諸島に寄港し、226日という長い船旅の末、相模湾浦賀沖に碇泊したのは1853年7月8日午後5時頃だった。
太平洋横断航路の開発のために、石炭補給地を見つけ、貯炭所を確保するのがペリーの主任務のひとつであった。
ペリーは黒船に護衛させた測量艇を江戸湾深く侵入させて江戸城の老中たちを威嚇。久里浜において、浦賀奉行に修好通商を求めるフィルモア大統領親書を受け取らせ、再来を約して12日に退去した。
ペリーの来航は、日本を大きく揺さぶり、開国の引き金となった。約200年以上続いた鎖国体制が崩れ、日本に開港を要求する、イギリス、フランス、ロシアなど、西洋列強の圧力も一段と強まった。
今年もよろしくお願いします。
勝手ながらリンクさせて頂きました。
http://oldford.ld.infoseek.co.jp/rinnku1.htm
年末に中東(クウェート・バーレーン・カタール・オマーン・イエメン・アラブ首長国連邦)を放浪してきました。
近日中にアップします。
明けましておめでとうございます。今年も時々sogoさんのCafeにお邪魔させていただきたいと思っています。
例年、お正月は2日に国立競技場で大学ラグビーの全国選手権大会の観戦をしていたのですが、今年は箱根駅伝見物にしました。
さて、正月から荘厳な富士山の写真を堪能させていただく事が出来、嬉しく思っています。しかし、富士山ってどこから見ても凄い山ですね。美しいし、雄々しいし、荘厳であるし、人々を引きつける要素を完璧に備えていますね。
何と言っても、富士山の魅力は山脈の中の山ではなく、独立峰だという事ですね。極端な言い方をすれば、平地の中にドーンと大きな山がそびえていると言ったところでしょうか。
私も、昨年末羽田から福岡に行きましたが、飛行ルートは、行きも帰りも左に富士山を眺めながらのものでした。特に帰りは視界も開け、眼下に伊勢志摩やセントレア空港や静岡の海岸線もはっきりと確認できました。sogoさんのように写真をとも思ったのですが、ちょっと勇気がありませんでした。
sogoさんの話の中にペリーが出てきましたが、昨日から始まったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で最後の方で早速登場しましたね。「龍馬伝」は楽しみにしていたのですが、主演の福山雅治が龍馬のイメージとちょっと違うんじゃないかな、と思っていましたが1話を見た限りでは中々良かったですね。
昨日「龍馬伝」を見て、土佐に行きたいという気持ちが沸々と湧いてきました。四国と言う所は本当に大人(たいじん)の宝庫ですね。凄いとしか言いようがありません。
あけましておめでとうございます。
新年早々、ご覧いただきいただきありがとうございます。
おかえりなさい。
無事に帰ってこられるか心配していました。(笑)
また、機会があればお話し聞かせてください。
HP、楽しみにしています!
今年もよろしくお願いいたします。
あけましておめでとうございます。
新年早々ご覧いただきいただきありがとうございます。
昨年は、いろいろご教示いただき勉強させていただきました。
今年も、さらに刺激的な話題を提供していただければと期待しています!
横浜や浦賀など陸上から、「黒船」を眺めるシチュエーションが多い中、「海」から幕末の日本を描く珍しい描写があったので引用してみました。ペリー来航を吉村昭は独自の視点で見せてくれます。
さて、「龍馬伝」を観る前に、正月休みを利用して京都へ出かけ龍馬の足跡を少しばかり辿ってみました。
今年は、龍馬の一年になりそうですね。
今年もよろしくお願いいたします。