ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

自然の国

2014-06-28 17:27:50 | Weblog
日本に帰ってから、とにかくお腹の調子が悪い。
きれいな空気ときれいな水に、身体が驚いているような雰囲気。
さっそく髪の毛と肌の手触りが変わり、私の話し声が小さくなったので、
人間は環境に影響される生き物だとつくづく実感した。

我が家は人の話し声や車の音よりも、
外から聞こえて来る野鳥や、散歩している犬の鳴き声のほうが大きく、
先日、家で中国の会社にスカイプを繋いで会議をしていたら、
「家の中にそんなにたくさんペットがいるのか」と中国人に言われた。

残念ながら、うちはそんなに広くはない。

日本に来たことがないけれど、日本に興味をもっている中国人は多いので、
中国のSNS微信で写真をアップするようにした。

元同僚が反応したのは、昨晩食べた大きな餃子の写真。
やっぱりあいつらは食べ物か。

チベット語の同級生の中国人たちが「すてき!」と反応したのは、神社の写真。



確かに、中国にはあまりない雰囲気だろう。
いまの中国の若い人たちは、一部の人たちを除いて、
神社の鳥居を見て「日本帝国主義反対!」などと叫びはしない。

さて、中国に行ってから、Kindleで本を読むようになったのだけど、
紙の本に比べて、集中力が続かないのはなぜだろうか。

ようやく昨日読み終わったのは、『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―』(片山杜秀著)

先の戦争は、日本では過去のものとなり、
中国では共産党のプロパガンダのなかで、形を変えて生き続けている。

あの時代の戦争、支那事変と太平洋戦争では、
切り出し方によって、全然違うように見えて来るし、
世界から狂信的と呼ばれてしまった日本の戦争哲学で、
私たち日本人がイメージするのは、主に対アメリカ戦のものだろう。

だから、一言で連合国に対して降伏したと言うと、なんだかしっくり来ないのだけど、
満洲国の建国とアメリカとの戦争は、鏡の裏と表のような関係で、
もっと言うと、ずっと仮想敵国だったソ連との関係、コミンテルンとの関係なくしては、
結局は、何も見えてこないのだと思う。
そして、日露戦争こそが、日本を大きく変えた戦争なのだと思う。
ソ連とアメリカ、そして中国。
いまもパワーバランスを変化させつつも、やはり大国として日本が意識せざるをえない国だ。

いまでも、日本が「持たざる国」であることには違いがなく、
「持っている国」であるウイグルやチベットは、そうそうに中共に取り込まれてしまった。
ある意味で「持たざる国」だったからこそ、これまでは日本に中共が攻めても来なかった。
実際に、海底資源が見つかったと同時に国境紛争が始まっている。

人の精神は、環境が育むものだと思うので、
日本的なファシズムは、何かを強制したり「改造」して変化するものではなくて、
生来のものとして日本人の中に潜んでいる感情であり、
その発現形態は、ゆるやかに変化して行くものだろう。

でももし、日本が「持たざる国」でなくなったら、
もしくは、他国が日本を「持っている国」だと認識したならば、
私たちの立ち位置は、私たちが意識しているのとは大きく違うところで、揺さぶられるだろう。

いまは、ちょうどその過渡期にあるように思うけれど、
日本の右傾化を論じるときには、その背景に必ず資源問題があるのだということを理解し、
もし資源を持っていたら、それをどのように守り、活かすのかを、
世界的な視野で見なければならないのだとう思う。
その視野の広がりこそが、イデオロギーや軍備以前に重要だと思う。