ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

今日は読書2冊

2010-05-28 14:08:21 | Weblog
今日は、ページ数が少なめの本を2冊読んだ。
いずれもダライ・ラマの本。

『優しい人になろう』
村田吉廣、 ダライ・ラマ14世著、講談社

『心の平和』
ダライ・ラマ14世著、マリア・リンチェン訳、サンマーク出版

困難な状況にあるとき、
慈悲と利他の心を育むいい機会が訪れたのだと、
頭では何となく考えることができる。
でも、それは無理矢理そう思い込もうと努力しているだけであって、
「そうですね、ありがとう」と思うことは難しい。

とかく当事者になってしまったときは、
いろいろな人の言葉や自分の気持ちに翻弄されて、
まず冷静に状況を見つめることなんかはできない。

そんなとき、一番ありがたいと思うのは友人の存在だ。
一緒に怒ってくれる友人ではなくて、状況を俯瞰してくれる友人。
感情を理解したうえで、もっと広く見てくれる人。
そんな友人と話しをしていると、私の怒りや迷いはしだいに鎮まる。

一緒に怒ってくれる友人もありがたいし、求めてしまうけど、
怒り倍増になって、それを発散する場だけを求めるようになってしまうので、
自分が怒っているときは、そういう友人とは会わないようにしている。

ここのところ、自分をふくめいろいろな人の感情の起伏を見て、
怒りがどれほど破壊的なものなのかがよくわかった。
ある人が、子どものように、手元にあるおもちゃを
手当り次第に全部投げつけるような怒り方をしたとき、
私は悲しかったし、心もふさいだけれど、
「ああこれが、怒りというものと、それが生み出す結果なのか。
ダライ・ラマがいつも言っていることは、こういうことなのかな」と思いながら、
頭の片隅がとても覚めているような感覚を味わった。

そして因果についても考えた。
「因」があって「果」が生ずる。
「果」から見たとき「因」もまた見えてくる。
切り離した「いま」だけがあるわけではない。
また、「果」から「因」を見るとき、
人は自分にとって都合のよい勝手なストーリーを構築しやすい。
どのように繋ぐかは、どれだけ穏やかにやさしく見つめる目をもっているかによる。

怒りとそれによる破壊、因果というもの、
このふたつを考えたとき、
ダライ・ラマの言葉が、いくつも心に浮かんだ。