ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

観音経講話

2010-05-14 12:26:48 | Weblog
『観音経講話』(講談社学術文庫)を読み終わった。

学術文庫版まえがきは、こう始まる。
 中国の四川省の宝頂山石窟に「大悲閣」という大きな殿堂があり、
そのなかに中国最大の千手観音像がある。観音さんの坐像の高さは三メートルにすぎないが、
その背後の崖面に千七本の手が、まるで孔雀が羽をひろげたような巨大な形で刻まれている。

大学3年のときに、この土地を訪れたときのことを思い出した。
中国留学中に知り合った友人と二人で、
いまでは考えられないくらいの貧乏旅行をしていたときのことだ。
何気なく訪れたその地で、まるですべてを覆ってくるような観音像の姿を見て、
ただただ呆然とし、自分のなかにおそれを感じた。

ときに、ただ「観音さま」と念ずれば救われる、と極端に解釈されることもあるけど、
観音菩薩の化身であるダライ・ラマへに対するチベットの人たちの信仰心からは、
もっと広大無辺で、深いなにかを感じる。

「観音さま」と念じたって、虫歯はやはり痛い。
他人から危害を加えられれば、やはり悲しいし腹もたつ。

でも、凝り固まって痛くて辛くてたまらない自分を、
心のなかで、ほんの少しだけ他の存在にシフトする。

私はお腹を壊したりして、体調がすごく悪いとき、
いまでも一人、家のなかで七転八倒しながら「お母さん」と言ってしまう。
亡くなっているから、呼んでも来てはくれないけど、
これは、ひとつのおまじないだと思っている。
母は、辛そうな私の姿を見て、本心から「代わってあげたい」と思ってくれていた。
だから逆に私は、母にではなく、自分にこの痛みが来たのでよかったと思えた。

痛みは常に引き受けられる人に訪れる。
だから、救われるんだと思う。