ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

日常の重さ

2010-05-07 17:48:43 | Weblog
年齢を重ねると、体型も性格も、だんだん親に似てくるような気がする。
「三つ子の魂百までも」が、妙に実感を帯びてくる。
もっと若い頃は、もう少し批判的というか反抗的に見ていた親の一面も、
気がつくと、そっくりまねていたりする。

年をとるというのは、老いることではなくて、美しくなり続けることだと思いたい。
人生にはいろいろな波があるから、いいときもあれば、よくないときもある。
そして、自分のなかで何かが掛け違っているような感覚があるとき、
年をとったあとのほうが、不安はより大きく感じられ、自分を抑えられなくなる。

無限に続く未来だったのに、ふと気がつくと有限な未来に変化している。
大きくなりすぎてしまった自我に押しつぶされそうになる。

旅をしているとき、私は何者でもなくなる。
ただ一人の旅人となったとき、わだかまっていた心は希薄になり、周囲にとける。
私はお邪魔しているだけの、名のない人間。
時間すら流れを変える。時間のない時間となる。

日本でも、生活の中でも、そんな気持ちになれたらいいのに、と思う。
見たくないものから目をそらして、見なかったからないことにするのではなくて、
見た上で、受け止めた上で、それに惑わされなくなれたらいいのに。
ただ穏やかな心で、見つめ続けることができたなら。

「見なかったことにしてなかったことにする」ことができないのは、親譲りだと思う。
私が「単に自分がそうしたかったから」という理由でやったことを、
その結果がよくても悪くても、親はかならず「見直すこと」を求めてきたし、
「見なかったこと」にもしてくれなかった。
私が泣こうがわめこうが、「自分の胸に手を当ててよく考えなさい!」としかられ、
ちゃんと反省して再考し、それを言葉であらわし、態度で示す努力をしなければ、
一週間くらい余裕で、口をきいてくれなかった。

自分のためだけの努力だったときは、それがたとえ成功してもほめてもらえなかった。
「たまたま今回は成功したかもしれない。
誰だって自分が一番かわいいし、多少の努力はできて当然。
でも、自分のことだけを考えていては、いずれ一人よがりになってしまう。
だから自分の心や他人の心の痛みを感じなさい」と言われた。
繰り返し繰り返し、そう言われた。

「なんで、単純にほめてくれないの! 私はこれができたからほめてもらいたかっただけなのに!」
と言い返したこともあった。
でもいまは、単純にほめてくれなかった親の心がよくわかる。
そして、人として認めてもらいながら育ててもらったと思っている。

自分の心も他人の心もよく見えた上で、
なおかつおだやかな人間でありたいと思っている。
そして、その先に他の人を傷つけない人間になりたいと思う。

それにしても、なんで日本の日常は、こんなにも重いのか。