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すけさん日誌

杜の都で気ままに暮らす、管理人さんの日記です。
備忘録を兼ねた記録として使えれば、野望達成。

柳条湖のひみつ

2014年08月24日 | 読書とか

1931年9月18日に発生した柳条湖事件は、満洲事変の発端となったわけですが、一般的には下記のように説明されております。

柳条湖事件とは コトバンク
満州事変の発端となった謀略事件。かねて満州(現,中国東北部)の武力占領を画策していた関東軍幕僚の板垣征四郎,石原莞爾(かんじ)らは,1931年6月末,南満州鉄道沿線にある中国軍(東北辺防軍)兵営の北大営付近の柳条湖で9月下旬に軍事行動を起こすことを計画した。しかし企図が政府側にもれたため,予定を繰り上げ,9月18日午後10時20分ころ,独立守備歩兵第2大隊第3中隊の河本末守中尉が柳条湖の満鉄線路に爆薬をしかけ爆発させた。


ただ、われわれが子供のころは、「柳条湖」でなく「柳条溝」と説明されることが少なくありませんでした。

なーんでか。


というわけで、この夏、山田先生 の論文「満州事変発生地名の再検討 ―「柳條溝」から「柳條湖」へ―」を、あらためて読みましたので、その要点を記しておきます。

①事件発生当時、実行部隊である関東軍が、意図的に「柳条溝」というウソをマスコミに流したんですよ。
②でも、満州国内では1936年9月から、日本国内でも1940年くらいからは、「柳条湖」を使うようになったんですよ。
③でもでも、戦中戦後でバタバタしていたので、地名の修正は広がらなかったんですよ。
④1967年になって、基本史料から「柳条湖」が正しい地名だと提起した人がいたんだけど、学者たちの思想的対立もあって無視されたんですよ。
⑤だから、1981年に中国で発表された論文によって「柳条湖」が正しい地名であることが判明した、というのは「神話」に過ぎませんよ。



山田先生は、これらの問題のなかでも、学者のスタンスによって「無視」が発生したことについて、その「学問的態度」を厳しく糾弾されております。
それはその通りなんですが、個人的な問題関心としては、①にあるように、なぜ関東軍はウソの地名を公表したのかが気になるところです。

そのことについて山田先生は、論文の22頁で以下のように指摘されています。

この理由は分からないが、しいて一つの推測をすれば、爆破の「暴戻」さを強調するため被害が大きくなりやすい鉄橋破壊だったというシナリオを描いた可能性、つまり柳条湖付近にある小さな用水路・排水路の類に架かっていた小さな鉄橋を爆破したと思わせるよう、あえて「溝」を使用したのではないか。


暴戻(ぼうれい)というのは「荒々しく、道理に反する行いをすること」らしいので、つまり乱暴なイメージを中国側に持たせるためにウソをついた、ということになります。
ただ残念なことに、この部分は推測にとどまっているわけですね。

関東軍のウソ以外の部分については、次の論文「「満洲事変発生地名の再検討」余論 ―近現代史の"神話"を"歴史"に―」でも、考察が深められているのですが、当方が気になる部分については、あらたな資史料は見つかっていない模様です。


まあ、そんなに露骨に証拠を残しちゃ かなりマズイ 分野ですしね。

(´∀`)ハハハ



というわけで、誰か知っている方があれば、お教えいただければ幸いです。

(*・∀-)ヨロシク☆













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