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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

災いの雨。

2023年07月13日 08時40分00秒 | 自然
                      
それは、きのう(2023/07/12)夜も更けた頃だった。
金沢地方気象台は21時39分に石川県加賀を対象に、
富山地方気象台は22時09分に富山県西部を対象に、
「顕著な大雨に関する情報」を発表。
線状降水帯による、稲光・雷鳴を伴う非常に激しい雨は一晩中続いた。

今朝には晴れ間も覗くようになったが、
多すぎる雨の影響は町内のあちらこちらで見受けられた。


音を立てて、濁った水が所々渦を巻きながら流れる津幡川。
川下の水門は全開だろうが、まあまあの水位。
普段はあまり見かけない表情である。




大西山(標高15m)に並ぶ自動車の列。
おそらく冠水地帯から逃れてきた方々のものと推測。
よく見るとフロントのエアカーテン(空気抵抗を減らす箇所)に草や小枝などが引っ掛かっている。






路上の水は引いたが、泥がいらない置き土産。
足元がぬかるんでいて歩きにくく、辺りには泥土の臭いも漂う。
床下・床上浸水した建物も少なくなく、路上に放置された自動車も散見できた。
これからの手当が大変。

しかも、今夜(2023/07/13)から明日にかけ、また雨予報。
列島を縦断する形で横たわる前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込む一方、
上空5000mにはマイナス6℃以下の寒気が流れ込むため、
各地で大気の非常に不安定な状態が続く。
これまでのダメージが大きい九州北部から北陸。
九州南部から関東甲信でも所々で雨雲や雷雲が発達し、局地的に注意が必要。

今のところ、僕の居住域は大事なく胸を撫で下ろしている。
拙ブログをご覧のみなさま、どうかご無事で。
                             
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同志少女よ、敵を撃て。

2023年07月09日 12時12分12秒 | 手すさびにて候。
                        
その本が「早川書房」から上梓したのは2021年11月。
同年、同社主宰の「アガサ・クリスティー賞」で大賞受賞。
2022年「本屋大賞」並びに「高校生直木賞」大賞受賞。
2023年現在、紙・電子版の累計発行部数50万に迫る。
小説『同志少女よ、敵を撃て』は、正に“メガヒット”だ。

作品のテーマはいわゆる“独ソ戦”。
第二次大戦に於けるナチスドイツとソ連の地上戦は、
人類史上未曾有の犠牲者を出した戦いであり、
おそらく史上最も多くの女性達が銃を取った。

図らずもちょうど東欧で戦端が開いたことから話題を呼んだ本作。
既に手に取った方も少なくないだろうが、僕は先日ようやく読了。
実によくできていて読み応えがあった。
今投稿では、個人的に最も印象深いシーンを取り上げてみたい。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十七弾「殺しの前に口づけを」。



場面の舞台はソ連屈指の産業・文化の中心地、スターリングラード。
カスピ海に注ぐ大河・ボルガの下流域にあり、水運を利して発展した町は、
1942年に火蓋を切った攻防戦では「決戦都市」になっていた。
攻めるドイツにとっては絶好の補給拠点を確保することを意味し、
守るソ連にすれば“偉大なる指導者”の名を冠する絶対防衛拠点。
この要衝を制した方が戦いの趨勢を握る。
勝敗の分水嶺といえた。

緒戦、ドイツ軍は空襲と大口径火砲と戦車によって全家屋の85%を破壊。
殆どを手中にしたが、なかなか完全制圧には至らない。
ソ連軍と市民が瓦礫の影に潜み、抵抗を続けていたからだ。
地表も空間も障害物の多い環境下で機械化部隊の足が止まる。
そこで威力を発揮したのがスナイパー。
狙いすました一撃で敵の戦力を削った。

上掲拙作は、そんなさ中でのワンシーン。
辺りに銃声・砲声が絶えず、噴煙が立ち上る中、
かろうじて姿を留めたアパートの部屋で2人は口づけを交わし、
鼓舞し合い、必勝・必殺を期す。
(※【   】内『同志少女よ、敵を撃て』P230より抜粋引用)

【 出撃の前に四人はそろって互いに抱き合い、無事を誓った。
  抱擁したシャルロッタと間近で目が合い、挨拶のキスをされた。
 「一日一殺」とシャルロッタは言った。セラフィマもキスと同時に返事する。
 「できれは二殺!」
  視線を感じて振り返ると、部屋にいた大隊兵士たちが気まずそうに視線をそらした。
  ロシア娘が挨拶にキスする姿など珍しくもないのだが、戦場ではそうでもない。
  とりあえず明日からは見えないところでやろうと決めた。】

--- 誤解を恐れずに言うなら「美しく凄まじい儀式」だと思った。

作中、セラフィマの容姿についての描写は少ないが、おそらく美人。
何しろ物語の主人公だ。
モスクワ近郊の農村に生まれ、母娘で猟をしながら平凡な日常を送っていたが、
ある日、村を急襲したドイツ軍によって一変。
母も、村人も惨殺され、自らも射殺される寸前、赤軍の女性兵士に救われる。
たった一人生き残った彼女は、復讐を決意。
厳しい訓練を積んで狙撃兵になった。

一方、陶磁人形のような光沢のあるブロンドヘアに白く滑らかな肌。
シャルロッタの美少女ぶりを表す記載は、簡潔にして充分。
それもそのはず、彼女は元貴族のお嬢様。
革命後、共産主義国家では命取りになりかねない出自をひた隠し、
狙撃兵を養成する訓練学校に身を投じた。

彼女たちが所属するチーム「第三十九独立小隊」は、この時点で4人と2人。
(分類を別にしたのは理由があるが、そのハナシは長くなるため割愛)
ともかく、皆「キャラが立っている」のだ。
前述セラフィマ、シャルロッタ以外の登場人物も、
それぞれの生い立ちや思想、信念などが丁寧に描かれていて読み手が感情移入しやすい。
これは書き手「逢坂冬馬(あいさか・とうま)」氏の意図。
インタビューで次のように答えている。
(※『   』内 22年4月掲載/NHKオンライン記事より抜粋引用)

『 戦争を扱う小説は怖いから苦手という人や、独ソ戦を知らない若者、
  戦争ものを読みたいと思っている女性の方、そういう人たちにも幅広く読んでもらいたかった。
  いつも戦争小説を買っている人たちだけが読む作品だと、
  なんか閉塞した感じになっちゃうと思ったんです。
  だから普通の戦争ものとはアプローチを変えて、
  キャラクターはちょっとやりすぎかなというほどポップで明るく、分かりやすくする。
  文章はすごく平易にする。
  この手法は当然賛否両論あるべきであって、
  でも多くの人に読まれるんだったらこっちを選ぶべきだと確信があった。』


『同志少女よ、敵を撃て』は、エンタメであり戦記であり物語。
日本人が日本人の視点で、著者が著者の視点で書いたフィクションだ。
つまりは虚構なのだが、戦争の実像へ思いを致すキッカケになる。

一説によれば、4年に及んだ独ソ戦の死者数は、軍民併せ4000万に達するという。
ちなみに第二次大戦での日本人のそれは320万あまりで、アジア全体では2000万超。
これらの命を奪うために費やされたエネルギー資源の量はいかばかりか。
考えるだに空恐ろしい。

僕たちは時間を遡り、スターリングラードの戦場に身を置くことはできない。
生き証人が次第に減り、実感が薄れてゆく流れを誰も止めることもできない。
時が経てば経つほど、記録や数値に「血を通わせる」のは容易ではなくなる。
年表やデータの中に取り込まれ埋没した歴史を、想像力逞しくして追想する。
その為の手法として小説は適していると思う。

そして、改めて「今」を見詰め直してみる。

突然、町が廃虚になり死に直面したウクライナの市民や兵士。
独裁者の意向で隣国に攻め入り命を散らしたロシア兵。
やがて時の彼方に押し流されてしまう無名の犠牲者たちが、どんな目に遭ったのか。
戦後、生き残った人々が抱え込むであろう長く苦しい葛藤を記憶しておきたい。

同志読者よ、敵を撃て。
理性が銃弾の代わりだ。
標的は、身勝手で馬鹿げた行いをしたがる生き物「人間」の心である。


                          
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雨にぬれながら佇む花がある。

2023年07月08日 19時36分36秒 | 草花
   
日本の歌で「雨」を主題にしたものは、案外多い。
やはり季節に雨期があり、昔から湿潤な気候を肌で感じてきたからだろう。
そこに「哀切」の情を込めた例は少なくない。

雨降らず との曇る夜の ぬるぬると 恋ひつつ居(を)りき 君待ちがてり
<作:阿倍広庭(あべのひろにわ)>
あなたを待ちわびる私の心は、雨が降らないですっかり空が曇った夜のよう。
鬱々とした心持ちで恋しく思っていました。

ひさかたの 雨(あめ)は降りしけ 思ふ子が やどに今夜(こよひ)は 明かして行かむ
<作:大伴家持(おおとものやかもち)>
雨よ降ればいい、今宵は親しく思っている方の家で過ごすとしよう。

--- とまあ、そんな具合に1200年前に編まれた「万葉集」然り。
現代のポップソング然り。
失恋・悲恋・片思いなどの湿っぽい傾向は受け継がれている。

雨/三善英史 歌手"なつこ"カバー


現代のポップス--- と言ってもオリジナルのリリースは昭和47年(1972年)。
当時まだ小学生の僕は、ラジオから何度も流れてくる『雨』を耳にすると、
オトナのセカイはイロイロあるんだな。
オンナのヒトの恋がうまくいくといいな。
風邪ひかないといいな。
などと感慨を抱いたものである。
そんな半世紀前のヒット曲を思い出したのは、今朝、この花を観たからだ。





津幡町・舟橋(ふなばし)で咲く、古代ハス「大賀(おおが)蓮」。
直径20センチ以上になる桃色の大輪。
花は日の出とともに開き、午後になると徐々に閉じる。
今月いっぱいは見頃が続くという。
大賀蓮は、古代のハスの実を発芽させ開発した植物。
昭和26年(1951年)、千葉市の「東京大学検見川総合運動場内」の落合遺跡で
2000年以上前の地層から見つかった種子が元になっている。
植物学者の「大賀一郎」氏が発芽させ、全国に広まった。
この場所では、2008年から鉢植えを池に移植して育てている。



雨にぬれながら たたずむ女(ひと)がいる
傘の花が咲く 土曜の昼さがり
約束した時間だけが 躰(からだ)をすりぬける
道行く人は誰一人も 見向きもしない
恋はいつの日も 捧げるものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる


濡れそぼりじっと立ちつくす姿が、歌曲『雨』の世界観によく合っている気がするのだ。



大賀蓮の茎の長さは1m近く。
葉の大きさは30cmを超える。
葉の表面にはミクロサイズの毛のような突起物があり水をはじく。
水玉は、雨だれや葉の微細な揺れ、葉の表面から空気が蒸散する僅かな力によって、
右へユラユラ、左へユラユラ。
不規則に揺蕩う(たゆたう)様子は見ていて飽きない。

仏教では「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という。
池の底の汚れた泥の中(不浄)から茎を伸ばし、
美しい花を咲かせる蓮の花(清浄)のあり方が、1つの理想とされた。

仏教の起こりとされる北東インドは、降水量が多く自然豊かなところと聞く。
ならば蓮は身近な花だったかもしれないし、
ひょっとして、大賀蓮と似た花が佇んでいたかもしれない。
雨に濡れながら。



ひとしきりシャッターを切り、思案に耽った帰り際、
持ち合わせは少なかったがポケットの硬貨を寄付させてもらった。
ありがとうございました。
                         
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