つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町での記憶と記録。

2012年06月28日 23時57分16秒 | 音とアート。
平成になって四半世紀余りが経つと、
津幡町内で「昭和の面影」を探すのは、案外難しい。
まだしも往時の姿を留めているのは「今日の一枚」…
「津幡中央銀座商店街」だろうか。
かつての賑やかさはなくなったが、
その界隈を散歩しながら其処此処を見やると、
稀に、古い記憶と景色が蘇ってくる。

一方、昭和の「記録物」…取り分け「音楽」は、
忽ちのうちに忘我の彼方から記憶を引き出す。
主旋律はおろか、イントロを耳にしただけで僕の脳は刺激され、
一足飛びに少年時代へと誘ってくれるのだ。

その1つが「ザ・ビートルズ」である。

     

…今日、民放FMラジオの番組で「ビ-トルズ初来日」の話題を耳にした。
曰く、昭和41年(1966年)6月末のそれは、
世界的なアイドルの上陸ではなく、未知との遭遇。
日韓共催ワールドカップ時を引き合いに出しての例えは
分かり易く斬新だった。

音楽評論家氏の話を要約してみると…

『騒音のような音楽を叫び、
 かき鳴らす4人組が世界中を回って騒動を起こしている。
 女みたいな長髪をした男4人組は若者文化の教祖的存在で、
 音楽会なのに観客は席にも座らずに立ったまま
 ギャアギャアわめいたり放心状態になっているらしい。
 コンサート後の会場の周りは興奮がさめやらない若者が
 警官隊とすったもんだの大騒ぎ。
 それが、ついに日本にも来るらしい。
 日本の大人社会は動揺して物凄い厳戒態勢をとった。
 これさえ分かれば、なぜビートルズは交通規制された首都高を
 パトカーの先導で一気にホテルへ入ったか、
 なぜ来日中の警備は国を挙げて行われたか、
 学校は「ビートルズ公演を見に行ったら処分する」と通達を出したか、
 一気に理解できる。
 警視庁が「ビートルズ特別補導週間」を展開し、
 都内をふらつく若者に職務質問や補導を行う。
 まるで「若者をたぶらかしている国際的カルトがついに我が国にも上陸」
 不穏な空気でいっぱいだった。』

…といった感じ。

なるほどと思う。
今やポップミュージックの教科書の1つであり、
堂々の存在感を漂わせるビートルズ。
それは、近代文化史を「彼等以前と以後」に分類できる程の変革を与え、
衝撃を与えたからこそ備わった評価だ。

ビートルタイフーン上陸当時、僕はと言えば物心付く前。
明確な記憶はないが、騒乱の様子…不穏な空気は感じていたのだろうと思う。
長じて、彼等のレコードを手に取り聴きほれた。
ビートルズナンバーは、僕にとって「昭和導入剤」。
しかし、単なる懐メロではなく、未だに新鮮に聞こえるのが凄い!

(※2010年8月25日、2011年1月20日に関連記載アリ)
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