つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の遺跡。

2011年12月28日 21時24分58秒 | 日記
「今日の一枚」の撮影場所は、
津幡の中心街から5キロあまり北上した「中山地区」。
富山県・小矢部市方面へ向かう山間の集落である。
散歩中、こうした古い看板と出会うのは、
何故か、特定の民家や納屋の壁面に掲載してある事が多い。
…思うに、これらの看板達が掛けられたのは、平成以前だと思う。

文字・図柄が判別できる4枚のうち、最も大きな一枚。
「なべおさみ」氏をキャラクターに起用した消費者金融のブリキ看板には、
問合せ先としてフリーダイヤルの番号が案内されている。
この着信課金サービス開始は1985年。
率先して取り入れたであろう業態だけに、四半世紀は経っていると思われる。

 

次に「ハイアース」のホーロー製看板。
殺虫剤を手にする「水原弘」氏は、
昭和34年「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞した
昭和歌謡界を代表する歌い手。
その後も数々のヒット曲を出すが、昭和53年、肝硬変で他界されている。
この看板は、40年ほど前に盛んに制作されたスタイルらしい。
「浪速千栄子」氏の「オロナイン軟膏」。
「松山容子」氏の「ボンカレー」。
「大村崑」氏の「オロナミンC」。
「由美かおる」氏の「アース渦巻」と同様に、
大塚グループの懐かし看板の代表格である。

 

他「二宮内科医院」は、津幡町潟端の町医者。
「川金」は、富山県・砺波市の老舗旅館。
いずれも歴史あるスポットだ。
…以上の理由から、津幡町・中山の看板群は
「昭和の遺跡」と推測できるのである。
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