つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

りくすけ、津幡の歴史国道で猛牛に遭う。

2010年08月22日 10時39分59秒 | りくすけ
今朝の散歩は、津幡町・竹橋にある「倶利伽羅塾」へ。
越中との県境に近い山間部で、
フィトンチッドが充満した早朝の空気は、明らかに街中と違う。
心なしか「りくすけ」も興奮気味である。

この辺りは、北陸道の要所。
かつて加賀藩が、商用の荷物輸送を厳しく制限し、藩の管理下に置いたため、
お上の息がかかった「津幡」・「竹橋」の駅が大いに賑わった。
実際、江戸時代初期の記録によると、
津幡駅に常備された伝馬の数は、118頭で藩内最高。
竹橋駅には、藩内3位になる68頭が常駐していたそうである。
そんな背景のある場所に立つ「倶利伽羅塾」は、公営の“道の駅の宿”。
合宿施設なども備えているせいか、
今朝もどこかの中学生らしき団体客の姿が見られた。

また、近くには「倶利迦羅不動寺 西之坊・鳳凰殿」がある。
残念ながら早朝は閉門されていて、内部を見学することはできなかった。
そして、何といってもこの地域の大きな見所は、「源義仲」と「平維盛」との合戦。
…「倶利伽羅古戦場」である。

寿永2年(1183年)、倶利伽羅山中に陣を張る平家軍は、
京都からの行軍に疲れ、まどろんでいた。
そこに突如、太鼓、法螺貝、閧の声を轟かせる源氏軍。
同時に、角に松明を付けられ猛り狂う500頭の牛が襲いかかる。
暗闇の中、不意を突かれた平家軍は右往左往するばかり。 
軍馬もろとも谷底へと落ちて行った…。

「倶利伽羅塾」には、この名高い奇襲戦法「火牛の計」のモニュメントがある。
それが「今日の一枚」だ。
「火牛」の前では、その迫力に押されてか「りくすけ」の興奮も萎え気味である。
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