今朝の散歩は、津幡町・竹橋にある「倶利伽羅塾」へ。
越中との県境に近い山間部で、
フィトンチッドが充満した早朝の空気は、明らかに街中と違う。
心なしか「りくすけ」も興奮気味である。
この辺りは、北陸道の要所。
かつて加賀藩が、商用の荷物輸送を厳しく制限し、藩の管理下に置いたため、
お上の息がかかった「津幡」・「竹橋」の駅が大いに賑わった。
実際、江戸時代初期の記録によると、
津幡駅に常備された伝馬の数は、118頭で藩内最高。
竹橋駅には、藩内3位になる68頭が常駐していたそうである。
そんな背景のある場所に立つ「倶利伽羅塾」は、公営の“道の駅の宿”。
合宿施設なども備えているせいか、
今朝もどこかの中学生らしき団体客の姿が見られた。
また、近くには「倶利迦羅不動寺 西之坊・鳳凰殿」がある。
残念ながら早朝は閉門されていて、内部を見学することはできなかった。
そして、何といってもこの地域の大きな見所は、「源義仲」と「平維盛」との合戦。
…「倶利伽羅古戦場」である。
寿永2年(1183年)、倶利伽羅山中に陣を張る平家軍は、
京都からの行軍に疲れ、まどろんでいた。
そこに突如、太鼓、法螺貝、閧の声を轟かせる源氏軍。
同時に、角に松明を付けられ猛り狂う500頭の牛が襲いかかる。
暗闇の中、不意を突かれた平家軍は右往左往するばかり。
軍馬もろとも谷底へと落ちて行った…。
「倶利伽羅塾」には、この名高い奇襲戦法「火牛の計」のモニュメントがある。
それが「今日の一枚」だ。
「火牛」の前では、その迫力に押されてか「りくすけ」の興奮も萎え気味である。
越中との県境に近い山間部で、
フィトンチッドが充満した早朝の空気は、明らかに街中と違う。
心なしか「りくすけ」も興奮気味である。
この辺りは、北陸道の要所。
かつて加賀藩が、商用の荷物輸送を厳しく制限し、藩の管理下に置いたため、
お上の息がかかった「津幡」・「竹橋」の駅が大いに賑わった。
実際、江戸時代初期の記録によると、
津幡駅に常備された伝馬の数は、118頭で藩内最高。
竹橋駅には、藩内3位になる68頭が常駐していたそうである。
そんな背景のある場所に立つ「倶利伽羅塾」は、公営の“道の駅の宿”。
合宿施設なども備えているせいか、
今朝もどこかの中学生らしき団体客の姿が見られた。
また、近くには「倶利迦羅不動寺 西之坊・鳳凰殿」がある。
残念ながら早朝は閉門されていて、内部を見学することはできなかった。
そして、何といってもこの地域の大きな見所は、「源義仲」と「平維盛」との合戦。
…「倶利伽羅古戦場」である。
寿永2年(1183年)、倶利伽羅山中に陣を張る平家軍は、
京都からの行軍に疲れ、まどろんでいた。
そこに突如、太鼓、法螺貝、閧の声を轟かせる源氏軍。
同時に、角に松明を付けられ猛り狂う500頭の牛が襲いかかる。
暗闇の中、不意を突かれた平家軍は右往左往するばかり。
軍馬もろとも谷底へと落ちて行った…。
「倶利伽羅塾」には、この名高い奇襲戦法「火牛の計」のモニュメントがある。
それが「今日の一枚」だ。
「火牛」の前では、その迫力に押されてか「りくすけ」の興奮も萎え気味である。
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