つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

お江戸のアイドル。~ 笠森お仙。

2017年09月18日 09時23分02秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第五十七弾は、「笠森お仙」。

いわゆる芸能に関わり、サービスを生業にする場合、
「アイドル(Idol)」は、ファンに「偶像性」を提供して糧を得る。
写真集、DVD、CD、音楽興行、握手会、撮影会、関連グッズなど、
彼女(彼)のキャラクターや容姿を活かした有形無形の商品がそれだ。

一方、市井のアイドルは、呼び水としての役目を担う。
好例は「看板娘(ボーイ)」だろう。
彼女(彼)目当てにお客が足を運び、所属先は大繁盛。
評判を聞きつけたエンタメ界から誘われ、デビューに至るケースは珍しくない。
それは、江戸時代にもあった。

西暦1764年に始まる「明和年間」。
お江戸では3人の美人が話題になっていたという。
@浅草・二十軒茶屋「蔦屋」の「蔦屋およし」。
@浅草・奥山の楊枝屋「柳屋」の「柳屋お藤」。
@谷中・笠森稲荷の茶屋「鍵屋」の「笠森お仙」。
中でも人気ナンバー1だったのが「お仙」である。

【年のころは16、7。 髪は絹織物のように細く、光沢がある。
 色白・中高・面長の整った瓜実(うりざね)顔には、薄化粧。
 ほんのり青みがかった黛(まゆずみ)で目元を飾り、血色のよい唇は朱に染まる。
 髪飾り、下駄のお洒落も華美とは無縁。
 艶っぽく往来を見遣る瞳と目が合ってしまったら、これはもう立ち去り難い。】
(※滑稽本「売飴土平伝」抜粋/現代語意訳:りくすけ)

…なんて具合に紹介され、絵師「鈴木晴信」の筆による美人画が出回ったから、
「鍵屋」は大いに潤った。
「お仙」から2~3杯のお茶を淹れてもらい、二言三言会話して四十文(2千円)前後。
決して安くないが、鼻の下を伸ばした男衆が殺到した。
団扇や手ぬぐい、双六などの「お仙グッズ」も大人気。
「お仙」の手毬歌が流行り、彼女をモデルにした芝居興行も大当たり。
まさに「スーパーアイドル」である。

そして、アイドルは、笠森稲荷を運営してきた幕府御庭番の家に嫁いでいく。
町人から武家の奥方になる…玉の輿だ。
彼女の喜びは想像に余りある。
そして、ファンの嘆きも相当だったろうと想像に難くない。

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