つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の書店にて思い出す、Eテレ史の二大事件。

2012年10月15日 07時34分14秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、津幡町の本屋さん「スガイ書店」の店頭。
画面右上の「ドレミファカード加盟店」ステッカーの奥、
左手のディズニー絵本棚の隣に「Eテレ」の番組テキストが集められている。
一番上に今年度から始まった「趣味Do楽」。
その下には半世紀前から続く「きょうの料理」。
どちらも、小洒落た装丁だと思う。

世界初の教育放送専門放送として、
昭和34年(1959年)に開局した日本放送協会」の教育テレビジョン。
僕が津幡小学校に通っていた当時、
学校で堂々と視聴できる唯一無二のチャンネルだった。
「はたらくおじさん」は社会科授業の一環として。
「みんななかよし」は道徳の時間に組み込まれていたが、
内容はともかく「面白み」に欠けていたのが、正直な感想である。
しかし、近年は、語学講座にタレントやアイドルを起用したり、
バラエティ色を強めたり、昔と比べ華やかになった。

そして、とりわけ強い印象を持つ2つの事例がある。

1つは、過去最高視聴率を叩きだした「伝説の一戦」。
昭和54年(1979年)夏、
第61回全国高等学校野球選手権大会の「箕島対星稜」だ。
石川県代表の星稜高校が先制し、和歌山県代表の箕島高校が追い付く展開。
延長戦に入って総合テレビの放映時間を超えてからは、
教育テレビへバトンを渡すリレー中継。
2度の劇的なホームランが飛び出した息詰まるシーソーゲームは、
再試合目前に箕島のサヨナラ勝ち。
僕は、ブラウン管の前で、熱戦を労う拍手を贈っていた。

もう1つは、昭和64年1月7日の「昭和天皇崩御」。
ブラウン管から歌番組、ドラマ、クイズ番組、CMも姿を消し、
NHK総合も民放各社は丸2日間に渡り関連特別番組を放送。
一方、街中のレンタル・ビデオ店は大繁盛。
長蛇の列ができ、陳列棚には「貸出中」が続出した。
そんな中、教育テレビは通常番組を放送。
同チャンネルの個人的過去最長時間連続視聴となった。
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