つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町で、16年前の事件の残像を追う。

2011年11月24日 23時30分24秒 | 日記
『死者29人、被害者6500人以上を出したオウム真理教事件の裁判は
 16年の歳月を経て、終結した。
 長年の裁判でも「なぜ起きたのか」という
 素朴な疑問に十分な答えを出すことはできず、
 故・村井秀夫幹部刺殺事件の真相など残された謎も少なくない。
 「世紀の裁判」は、真相を究明する場としての
 刑事司法の“限界”も強く印象づけた。』

日本の犯罪史上、類をみない凶悪事件の数々を明らかにするための裁き、
いわゆる「オウム裁判」は、概ねこんな論調で、終結したとの報道があった。
今後は刑の執行が焦点となる訳だが、上記のとおり、
未だ捕縛されていない容疑者がいて、闇に包まれたままの事例も多い。

…思えば、事件が起こった当時から裁判が始まって暫く、
様々な場面で、この教団の影が見え隠れしていた。
常に、ワイドショーや大衆紙のトップ記事。
サスペンス小説や漫画では、教団がモデルになった思われる設定が続出。
何かの権力の中心の事を「第七サティアン」。
失敗事例を忘れたい時「ポアする(した)」。
縁起の悪い出来事に遭遇したら「カルマが憑く」。
口達者な人を指して「ああ言えば、上祐」。
…などと、日常会話の中にも多くの例えが登場。
石川県は教団幹部が潜伏していた為か、
「指名手配ポスター」があちこちに貼り出してあった。

だが、16年の時の流れを経た今、その数は少ない。
即ち、事件に対する人々の関心(記憶)が薄れてしまった証である。
「今日の一枚」は、本津幡駅舎内にて撮影。
他、目ぼしい所で目に留まる機会は減った。
だがしかし、一連の事件が与えた危機感は続いている。

 

これは、津幡町内のバス停にて撮影した写真だ。
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