つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

昔日の川辺を偲ぶ。~津幡町・おやど通りにて。

2013年06月03日 21時38分58秒 | 日記
「今日の一枚」は「おやど通り」の標識。
そこに「北国街道(北陸道)」と呼ばれていた頃の簡略な俯瞰図が描かれている。
勝手な注釈を入れてみた。

真ん中の青いエリアは「津幡川」…右下から左上へ向かって流れている。
水上に架かるのは「おやど橋」だ。
当時は、木造だろう。
図によれば、中央が盛り上がったアーチ橋ではなく、平坦な桁橋である。
欄干の柱の上には「儀宝珠(ぎぼし)」が設けられていたらしい。

右岸…橋の脇にあるのは、樹齢700年の巨木「タブノキ」だろう。
奥に見えるのは、江戸時代の一つ星ホテルとも言うべき「脇本陣」か。
津幡宿の脇本陣の屋号は「角屋(かどや)」。
現在、建物はなく、石碑が残るのみ。
その庭に植えられていたタブノキは健在で、橋の一部を覆うように青々と茂っている。

そして、橋の手前…絵図下部の広い屋根こそ江戸時代の三ツ星ホテル、
津幡宿の「本陣」「御旅屋(おたや)」だろう。
敷地は、およそ1,300坪(4,500平方メートル)。
サッカーピッチの半分ぐらいか。
明治10年(1877年)の大火で焼失し、面影は全く残っていない。

…そこで、昨年訪れた、
滋賀県・草津市の「本陣」を御旅屋に見立てて想像してみよう。

  

  

立派だ。

草津宿は、東海道五十三次・五十二番目の宿場町。
東海道と中山道の分岐点にあたる交通の要衝だから、当然、本陣の格も高い。
ま、これほどではなかったにせよ、
我が津幡宿のそれは、如何ほどの威容を誇っていたのだろうか?
思いは募るが、思いの粋を出ない。
本陣、脇本陣が共に失われたのは、何とも残念な事である。

(※2010年8月9日、9月8日、
  2011年2月9日、4月29日、8月14日に関連記載アリ)

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