つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の路傍に今が盛りと咲く桜。

2011年04月11日 07時52分42秒 | 草花
開花宣言から5日余りが経過した津幡町。
あちらこちらで4~5分咲きの木々を見かける。
例えば「今日の一枚」…本津幡駅前の桜である。

この桜、明治期に駅の開業を記念して植樹された木々の生き残り。
かつては何本もの桜が春を彩っていたようだが、
今は、唯一、姿を留めている事から「一本桜」と呼ばれているらしい。
自宅から近く、散歩コースとして度々前を通るだけに、変化も目につく。
日一日、刻一刻と美しさを増していく様子は、
幼子から少女へ、少女から女へと成長する過程にも似て、何とも鮮烈だ。

『花の命は短くて、苦しき事のみ多かりき。』…とは、
明治から昭和を生きた女流作家「林芙美子」の言葉。
女性を花に例え、楽しい若い時代は短く、
苦しい場面が多かった自らの半生を詠ったもの。
確かに、そうなのかもしれない。
楽しいか否かはともかく、若い時代は限られている。

いかにアンチエイジングを心がけようとも、
いかに美しさを保っていたとしても、
数値の上での「若さ」は、決して補えない。
その意味で時間は平等で残酷だ。
染井吉野とて、ほんの数日後にはピークを迎え、散る。
やはり儚いのだ。

しかし、樹木としての盛りは、花の時期が去ってから。
枝を伸ばし、葉を茂らせて木陰を作る姿は、逞しい。
たとえ豪華な時代が終わっても、美は確かにある。
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