「今日の一枚」は、津幡町中須加の国道8号線。
自動車が走っている高架バイパスの下、
2台のユンボが写っている側道は、現在、車両通行止だ。
理由は、石川県の水道用水送水管の耐震化工事。
区間は、中橋I C入口~中須加 I C入口付近の金沢方面。
期間は、平成24年5月7日(月)~9月下旬(一部区間は6月初旬~中旬)。
…という訳だ。
必要があっての措置だろうし取り立てて不満はない。
しかし、個人的には少々不便を感じている。
つい規制を忘れ、通行止の交差点まで来てしまい慌ててUターン。
そんな事を何度か繰り返した。
通勤路であり、なまじ慣れているだけに、変化に対応できていない。
スムーズに行き来するには、もうしばらく時間と失敗が必要なのだろう。
また、僕にとって、津幡バイパスは頻繁に利用する重要な道なのだと実感する。
信号や交差点が多い街中を避け、津幡町と金沢市を結ぶこの道が
事業化されたのは、昭和46年(1971年)。
僕の記憶が確かならば、1970年代は盛り土があるのみ。
1980年代は、側道の一部が開通。
現在の姿になったのは、1990年代に入ってから。
正確なところは分からないが、かなり長い時間を要したのではないだろうか。
軍事、経済。 利便、利権。
目的と動機は様々あれど、人間はこれからも道を整備してゆく。
自動車が走っている高架バイパスの下、
2台のユンボが写っている側道は、現在、車両通行止だ。
理由は、石川県の水道用水送水管の耐震化工事。
区間は、中橋I C入口~中須加 I C入口付近の金沢方面。
期間は、平成24年5月7日(月)~9月下旬(一部区間は6月初旬~中旬)。
…という訳だ。
必要があっての措置だろうし取り立てて不満はない。
しかし、個人的には少々不便を感じている。
つい規制を忘れ、通行止の交差点まで来てしまい慌ててUターン。
そんな事を何度か繰り返した。
通勤路であり、なまじ慣れているだけに、変化に対応できていない。
スムーズに行き来するには、もうしばらく時間と失敗が必要なのだろう。
また、僕にとって、津幡バイパスは頻繁に利用する重要な道なのだと実感する。
信号や交差点が多い街中を避け、津幡町と金沢市を結ぶこの道が
事業化されたのは、昭和46年(1971年)。
僕の記憶が確かならば、1970年代は盛り土があるのみ。
1980年代は、側道の一部が開通。
現在の姿になったのは、1990年代に入ってから。
正確なところは分からないが、かなり長い時間を要したのではないだろうか。
軍事、経済。 利便、利権。
目的と動機は様々あれど、人間はこれからも道を整備してゆく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます