つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

歴史考察、本津幡駅辺り。

2019年03月09日 15時01分28秒 | 鉄道
僕が暮らす石川県・津幡町には、5つの駅がある。

津幡駅。
倶利伽羅駅(無人)。
中津幡駅(無人)。
本津幡駅。
能瀬駅(無人)。

散歩の寄り道ポイントであり、拙ブログにも度々登場するように、
個人的な最寄り駅は「本津幡駅」だ。

明治31年(1898年)春、「七尾鉄道」開業当初の起点「津幡仮停車場」として開業。
路線が現在の津幡駅まで延伸し北陸本線と接続した後、
明治40年(1907年)秋に国有化し、民営化を経て今に至る。

120余年の歴史の中で、大きな転換は、昭和50年(1975年)の春。
「貨物の取扱廃止」ではないだろうか。
加賀の突端・津幡と、能登の拠点・七尾を結ぶ「七尾線」は、そもそも「貨客」が主眼。
大陸との「日本海貿易」を担う七尾港への物流パイプとして建設が始まったと聞く。
故に、貨物輸送の終わりは「一時代の終わり」を象徴する出来事だ。

思い起こせば、まだ、僕が子供だった頃。
夜更けに、本津幡駅を通過する貨物列車の音を聞いた記憶がある。
何分も続く規則正しいレール音から、車列の長さが容易に推し量れた。
現在、そんな往時の面影をかろうじて留めるのは、
「液化ガス充てん工場」かもしれない。

赤い列車の奥、「〇通」のタンクがあるここは「日通エネルギー北陸株式会社」。
日通プロパン販売会社として、昭和43年(1968年)に設立された。
当初の社名は「株式会社マルツ」。
(津幡の「津」を円で囲んだ「〇ツ」が由来か?)
まったくの想像なのだが・・・。
かつては「引き込み線」があったのではないかと思う。
周辺の道幅は、大型タンクローリーが出入りするには不向きな狭さ。
やはり、鉄道貨物運搬を前提にした立地ではないだろうか?
どなたか、このあたりの事情に詳しい方がいらっしゃれば、
是非教えていただければ幸いです。

さて、散策を続けるうち「大きな装置」が目に留まった。

やけに大きな滑車で、見るからに重そうなコンクリート塊を吊るすコレは、
「滑車式バランサー」という。
電車の屋根上にある集電装置(パンタグラフ)と接する電車線は、
温度によって張力が変化する。
集電を安定させるためには、電車線の張力が一定であることが望ましい。
また、電車線とパンタグラフが同じ状着でないと、電車線の摩耗が早まる。
そこで、電車線の張力を一定に保つバランサー(張力自動調整装置)の出番。
オモリと滑車の原理を利用する滑車式、バネ式、油圧式などがある。

平成3年(1991年)秋、七尾線が電化する以前は、なかった。
これも、本津幡駅120余年の歴史において、大きな転換を象徴するモノだろう。

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