“シリーズ母校への惜別”。
「冒頭の一枚」を撮影したのは、およそ一年前。
小学生達が、大西山の上に建つ校舎を目指している様子だ。
横から眺めてみると、なかなかの急勾配。
体格の小さな彼等にとって重いランドセルを背負い歩くのが
難儀であろう事は想像に難くない。
しかし、負担がかかる行程だからこそ、
登り切り、ゴールに辿り着いた時の達成感は大きい。
また、友としゃべり、はしゃぎながらの道行きの楽しさが、
そうした苦労を和らげてくれたものである。
…しかし、坂の上の母校は取り壊され、
昭和40年から平成23年の春まで続いたこの光景は、失われた。
今回は、旧・津幡小学校の校舎があった頃と、
無くなった後の景色を見比べてみようと思う。
まずは、こちら。
<撮影2010年5月11日>
家を出た僕が、最初に校舎の姿を捉えるポイントである。
画面中心の最奥部、幾つもの窓が並んでいるのが小学校の体育館。
敢えてモノクロ処理したため判別しにくいかもしれないが、
体育館の屋根の向こうに、建物の一部が写っている。
毎日、この角度から、この佇まいに接すると、
大西山の坂が近づいてきた事を実感したものだ。
僕にとっては、これから始まる一日の「一里塚」とも言える眺めである。
それが…
<撮影2011年12月2日>
数ヶ月前から、散歩の折に通りかかる度、
見慣れた建物が消えた眺めには、未だに慣れない。
記憶と現実の違いに戸惑いを覚えてしまうのだ。
続いては、こちら。
<撮影2010年6月13日>
シャッターを切った場所は、四ツ角交差点近く「北陸銀行 津幡支店」横の路上。
画面右手には、旧校舎敷地内にある町指定文化財の史跡への案内看板。
画面左手奥、坂道の上には、その学び舎が見て取れる。
町の中心部なら、あらゆる所から視界に入った鉄筋コンクリート5階建て。
まるで「津幡町の日常」とも言える存在であった。
それが…
<撮影2011年7月2日>
あるシーンの中から主役だけが消えてしまったようだ。
僕は、そう感じる。
「冒頭の一枚」を撮影したのは、およそ一年前。
小学生達が、大西山の上に建つ校舎を目指している様子だ。
横から眺めてみると、なかなかの急勾配。
体格の小さな彼等にとって重いランドセルを背負い歩くのが
難儀であろう事は想像に難くない。
しかし、負担がかかる行程だからこそ、
登り切り、ゴールに辿り着いた時の達成感は大きい。
また、友としゃべり、はしゃぎながらの道行きの楽しさが、
そうした苦労を和らげてくれたものである。
…しかし、坂の上の母校は取り壊され、
昭和40年から平成23年の春まで続いたこの光景は、失われた。
今回は、旧・津幡小学校の校舎があった頃と、
無くなった後の景色を見比べてみようと思う。
まずは、こちら。
<撮影2010年5月11日>
家を出た僕が、最初に校舎の姿を捉えるポイントである。
画面中心の最奥部、幾つもの窓が並んでいるのが小学校の体育館。
敢えてモノクロ処理したため判別しにくいかもしれないが、
体育館の屋根の向こうに、建物の一部が写っている。
毎日、この角度から、この佇まいに接すると、
大西山の坂が近づいてきた事を実感したものだ。
僕にとっては、これから始まる一日の「一里塚」とも言える眺めである。
それが…
<撮影2011年12月2日>
数ヶ月前から、散歩の折に通りかかる度、
見慣れた建物が消えた眺めには、未だに慣れない。
記憶と現実の違いに戸惑いを覚えてしまうのだ。
続いては、こちら。
<撮影2010年6月13日>
シャッターを切った場所は、四ツ角交差点近く「北陸銀行 津幡支店」横の路上。
画面右手には、旧校舎敷地内にある町指定文化財の史跡への案内看板。
画面左手奥、坂道の上には、その学び舎が見て取れる。
町の中心部なら、あらゆる所から視界に入った鉄筋コンクリート5階建て。
まるで「津幡町の日常」とも言える存在であった。
それが…
<撮影2011年7月2日>
あるシーンの中から主役だけが消えてしまったようだ。
僕は、そう感じる。
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