ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第五十一弾は、「チェ・ゲバラ」。
有名人・著名人は数多くいるが、その顔が一種のデザインとして流布するケースは、
案外少ないかもしれない。
今回のモチーフは、そんな稀有な一人だ。
紙幣、Tシャツ、タバコ、フィギュア、ポスター、旗、壁画…。
様々な場所、アイテムに使われている。
何故だろうか?
やはり、カッコいいからだろう。
見た目も、生き様も。
本名「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」。
1928年(昭和3年)、南米・アルゼンチン第二の都市で生を享けた。
経済的に恵まれた環境だったが、健康状態はよくなかった。
喘息の発作に苦しめられ、満足に通学できない少年時代。
彼は、母親からの薫陶を受けて育った。
成長し、ブエノスアイレス大学医学部に進学。
医師免許を取得する傍ら、南米各地を放浪する旅に出て、思い悩むようになる。
資本家や政治家に搾取される貧しい人たちと接し、
ラテンアメリカの抱える矛盾や影を見てしまったからだ。
そして、生き方を変えた。
『医者は限られた人間を救えるが、善政を行う為政者は万人を救う』
卒業後、グアテマラの内戦に身を投じ、左派政権軍の一員として戦うが敗北。
潜伏先のメキシコで出会ったのが、キューバ人の青年弁護士「フィデル・カストロ」だった。
このとき「ゲバラ」27歳、「カストロ」29歳。
2人共若く、情熱を燃やし、理想を夢見ていた。
まだまだ、波乱万丈の革命物語は続く。
その顛末は、他に譲るとして、要約して記載したい。
「フィデル・カストロ」、「チェ・ゲバラ」らが中心となった「キューバ革命」は少数精鋭から始まり、
壮絶なゲリラ戦を展開しながら民衆を味方につけ、勝利を勝ち取る。
国の大臣として新生・キューバの建設に取り組んだ「ゲバラ」だったが、
1965年(昭和40年)、突如、失踪。
裸一貫、一戦士として、次の革命を求め旅立ったのだ。
アフリカのコンゴで戦い、続いて南米ボリビアへと転戦。
1967年(昭和42年)、39歳の若さで命を散らした。
…地位に安寧せず、現場の人として生き、夭逝したからこそ、彼は英雄になった。
最後に「ゲバラ」がキューバを離れる際に認(したた)めた、
「カストロ」宛ての手紙を紹介したい。
少々長くなるが、ご容赦を。
(※別れの手紙 : 三好徹 訳)
不定期イラスト連載、第五十一弾は、「チェ・ゲバラ」。
有名人・著名人は数多くいるが、その顔が一種のデザインとして流布するケースは、
案外少ないかもしれない。
今回のモチーフは、そんな稀有な一人だ。
紙幣、Tシャツ、タバコ、フィギュア、ポスター、旗、壁画…。
様々な場所、アイテムに使われている。
何故だろうか?
やはり、カッコいいからだろう。
見た目も、生き様も。
本名「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」。
1928年(昭和3年)、南米・アルゼンチン第二の都市で生を享けた。
経済的に恵まれた環境だったが、健康状態はよくなかった。
喘息の発作に苦しめられ、満足に通学できない少年時代。
彼は、母親からの薫陶を受けて育った。
成長し、ブエノスアイレス大学医学部に進学。
医師免許を取得する傍ら、南米各地を放浪する旅に出て、思い悩むようになる。
資本家や政治家に搾取される貧しい人たちと接し、
ラテンアメリカの抱える矛盾や影を見てしまったからだ。
そして、生き方を変えた。
『医者は限られた人間を救えるが、善政を行う為政者は万人を救う』
卒業後、グアテマラの内戦に身を投じ、左派政権軍の一員として戦うが敗北。
潜伏先のメキシコで出会ったのが、キューバ人の青年弁護士「フィデル・カストロ」だった。
このとき「ゲバラ」27歳、「カストロ」29歳。
2人共若く、情熱を燃やし、理想を夢見ていた。
まだまだ、波乱万丈の革命物語は続く。
その顛末は、他に譲るとして、要約して記載したい。
「フィデル・カストロ」、「チェ・ゲバラ」らが中心となった「キューバ革命」は少数精鋭から始まり、
壮絶なゲリラ戦を展開しながら民衆を味方につけ、勝利を勝ち取る。
国の大臣として新生・キューバの建設に取り組んだ「ゲバラ」だったが、
1965年(昭和40年)、突如、失踪。
裸一貫、一戦士として、次の革命を求め旅立ったのだ。
アフリカのコンゴで戦い、続いて南米ボリビアへと転戦。
1967年(昭和42年)、39歳の若さで命を散らした。
…地位に安寧せず、現場の人として生き、夭逝したからこそ、彼は英雄になった。
最後に「ゲバラ」がキューバを離れる際に認(したた)めた、
「カストロ」宛ての手紙を紹介したい。
少々長くなるが、ご容赦を。
(※別れの手紙 : 三好徹 訳)
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