わが津幡町は、四方陸続きに境を接する自治体がある。
北が「かほく市」、南は「金沢市」、西に「内灘町」、東を「富山県・小矢部市」。
先日、その1つ・・・
加賀と越中を分ける標高152mの「天田峠(あまだとおげ)」を訪れてみた。
この道が開かれたのは、今から140年余り昔の事。
明治11年(1878年)、明治天皇の北陸行幸に際し、
馬車通行可能な道として開削された。
更に、昭和9年(1934年)、自動車用に整備されたのが現在の姿。
この改修を記念する記念碑が建っている。
「幅員ヲ広メ 屈曲ヲ矯正シ、鉄道踏切ヲ除去シ、
峠二於テ十米ノ切下ヲ行ヒ、
以テ 勾配緩和ヲ図り開サク 数次ノ地スベリニ抗シツツモ、
能ク所期ノ目的ヲ達シ」・・・。
石に刻まれた文字から、苦労が滲む。
峠のすぐ傍、側道を登ると「倶利伽羅山八大龍王神」を祀る、
小さな社(やしろ)が建っている。
昔から九折(つづらおり=周辺の地名)の村人に、
「峠の神様」と親しまれているこの神様は、よく大蛇に化けて人々を驚かせたという。
また、前述の峠改修工事に関連した逸話が残っている。
津幡町観光ガイドHPより引用したい。
「峠を堀り下げていると、両側の山が地滑りを起こして工事が難航しました。
度重なる地滑りにほとほと困りかねていた時、
村人の1人が峠の神様の言い伝えの話をしました。
その時、峠の神様は工事の邪魔になったので、付近に放置されていたのです。
そこで海の見えるところに小さな祠(ほこら)を建てて安置し、
お祀りしたところ、その後工事は順調に進み無事完成しました。」
やがて、天田峠の直下にあった鉄道トンネルが、一般道路に転用。
幹線は、距離、勾配共に大きく緩和された国道8号線へ移り、
峠越えの道は、すっかり静かになった。
鉄道開通まで、天田峠には「柳の茶屋」という茶店があり、
大層賑わったそうだが、今は昔。
跡形もない。
峠の麓、道の駅の一角には、
源平合戦や、江戸時代まで「北国街道」と呼ばれていた頃の資料が展示されている。
その中に茶店のディスプレイが。
往時は、こんな雰囲気だったのかもしれない。
帰り道、現代の茶店に立ち寄る。
国道沿いの「ドライブイン風車(ふうしゃ)」の創業は昭和48年(1972年)。
確か、以前は名前の通り大きな風車があったと記憶。
店内には、昭和の面影が残る。
注文したのは、モチロン名物「倶利迦羅そば(冷)」。
喉越しが良く、コシの強い麺はほんのり緑色。
地元で採れた山ゴボウの葉や抹茶を使っているからだ。
歯ごたえは潔く、緑の香りも鼻に抜け、爽やかな後味。
お土産・贈答用の乾麺もある。
ゆうパックで取り扱ってもいる。
機会があれば、ご賞味くださいませ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます