度々、拙ブログに登場する「津幡ふるさと歴史館 れきしる」。
一週間ほど前から始まった新しい企画展、
「皇室と津幡町」へ足を運んでみた。
近代から現代にかけ、天皇の大規模なツアーは3度組まれている。
@まずは「明治」。
江戸が終わったばかりの頃、日本は不安定だった。
不平士族の反乱は後を絶たず、戊辰戦争で幕府側についた藩との亀裂は深い。
新政府が求心力を強化するために取られた策が、諸国巡幸。
天皇が御簾からお出ましになり、為政者も国家の仕組みも変わったことを報せた。
@次に「昭和20年以降」。
敗戦によって荒廃し、打ちひしがれた人心を鼓舞するため、
現人神(あらひとがみ)ではない“人間天皇”が諸国を漫遊した。
@そして「平成」。
度重なる大きな災害が起こった地、多くの血が流れた戦地への巡礼と鎮魂の旅。
幸い、大規模な被災も戦災にも遭っていないわが津幡町へのそれは、初回だ。
明治天皇北陸巡行の折、休憩所となった「弘願寺(ぐがんじ)」への下賜品。
表面には、菊と五三桐の紋。
戦時中、兵隊さんが鉄釜に敬礼したというエピソードも伝えられている。
菊の紋入り漆塗りの盃も、同寺院が所蔵。
こちらは、昭和20年(の終戦)まで行われていた教科「修身」・・・
今で言う「道徳」の教科書。
明治天皇北陸巡行について、詳しく触れている。
他、写真で目を引いたのは「津幡小学校」で植樹する「三笠宮」。
お手植えの松の木は、未だ健在である。
そして、昭和58年の「全国植樹祭」で来町した「昭和天皇」。
思えば、この時、津幡町中心部は変わった。
道路拡張、街灯設置、水路は暗渠に。
整備されキレイになった訳だが、記憶の中に残る雑多な景色が消え、
一抹の寂しさを覚えたものである。
植樹祭の折「昭和天皇」が使った椅子や机。
役場の応接室に緋毛氈を敷き、お迎えしたそうだ。
前回の「明治のあゆみ・・・」と重なる点は多いが、
改めて、津幡町と日本の近代史に思いを馳せるにはいい機会。
改元のタイミングに、訪れてみてはいかがだろうか。
最後に、きのうの投稿に記した「花嫁のれん」が展示してあったので、
ご紹介して結びとする。
一週間ほど前から始まった新しい企画展、
「皇室と津幡町」へ足を運んでみた。
近代から現代にかけ、天皇の大規模なツアーは3度組まれている。
@まずは「明治」。
江戸が終わったばかりの頃、日本は不安定だった。
不平士族の反乱は後を絶たず、戊辰戦争で幕府側についた藩との亀裂は深い。
新政府が求心力を強化するために取られた策が、諸国巡幸。
天皇が御簾からお出ましになり、為政者も国家の仕組みも変わったことを報せた。
@次に「昭和20年以降」。
敗戦によって荒廃し、打ちひしがれた人心を鼓舞するため、
現人神(あらひとがみ)ではない“人間天皇”が諸国を漫遊した。
@そして「平成」。
度重なる大きな災害が起こった地、多くの血が流れた戦地への巡礼と鎮魂の旅。
幸い、大規模な被災も戦災にも遭っていないわが津幡町へのそれは、初回だ。
明治天皇北陸巡行の折、休憩所となった「弘願寺(ぐがんじ)」への下賜品。
表面には、菊と五三桐の紋。
戦時中、兵隊さんが鉄釜に敬礼したというエピソードも伝えられている。
菊の紋入り漆塗りの盃も、同寺院が所蔵。
こちらは、昭和20年(の終戦)まで行われていた教科「修身」・・・
今で言う「道徳」の教科書。
明治天皇北陸巡行について、詳しく触れている。
他、写真で目を引いたのは「津幡小学校」で植樹する「三笠宮」。
お手植えの松の木は、未だ健在である。
そして、昭和58年の「全国植樹祭」で来町した「昭和天皇」。
思えば、この時、津幡町中心部は変わった。
道路拡張、街灯設置、水路は暗渠に。
整備されキレイになった訳だが、記憶の中に残る雑多な景色が消え、
一抹の寂しさを覚えたものである。
植樹祭の折「昭和天皇」が使った椅子や机。
役場の応接室に緋毛氈を敷き、お迎えしたそうだ。
前回の「明治のあゆみ・・・」と重なる点は多いが、
改めて、津幡町と日本の近代史に思いを馳せるにはいい機会。
改元のタイミングに、訪れてみてはいかがだろうか。
最後に、きのうの投稿に記した「花嫁のれん」が展示してあったので、
ご紹介して結びとする。