リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

290. 17回目のドイツ旅行(18) フランクフルトからアイゼナハへ

2023年02月01日 | 旅行

▶アイゼナハに住むエルケさんを訪ねるのは4年ぶりになります。



アイゼナハの景色

▶今日はアイゼナハに行き、エルケさんの新居を訪ねました。

 エルケさんとの繋がりは2010年のヴァルトブルク城から始まりました。
 小高い丘に立つお城の中の博物館にリーメンシュナイダー作の「燭台を持つ天使」(『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』58~60頁掲載)があることがわかり、三脚で撮影させていただけるようお願いしたのです。その時の担当がエルケさんで、お城までたどり着くとすぐに迎えに出てくださったのでした。しばらくするとミヒャエルさんが鍵を持って来てショーケースのガラス戸を開けてくださいました。しかも私の要望に応じて天使像を回転させて後ろの羽が取れた跡まで撮影させてくださったのです。そのご親切が本当に嬉しく、ありがたかったのでした。

 その後もエルケさんとは姉妹のようだとお互いに感じながらメールや写真の交換をし、お連れ合いのウヴェさんと三津夫とも一緒にお話ししたり、コンサートに招待していただいたりして素敵な思い出がいくつもできました。

 ところが、ウヴェさんの体調が次第に思わしくなくなり、2018年にアイゼナハを訪ねたときにはウヴェさんにお目にかかることは無理な状態で、エルケさんとも短時間しかお話ができず、とても哀しそうな疲れた様子の彼女に胸が痛みました。その年の12月にとうとうウヴェさんは亡くなりました。エルケさんの哀しい気持ちがメールからも痛いほど伝わってきました。そんな中でも彼女は1人で住むためのアパートを探し、新しい一歩を踏み出したのでした。そのアパートに今日は初めて伺う日。そして一緒にウヴェさんのお墓参りに行くことにしていました。


◆2022年9月19日(月曜日)11305歩
 目の前のフランクフルト中央駅構内にパン屋さんがあったので、朝7時ごろに私1人でサッとハム入りサンドイッチを選んで買って来ました。その間に三津夫は珈琲を入れてくれています。買ってきたパンに日本から持って来ている辛子を塗り、マヨネーズを加えて食べるともっと美味しくなるのです。私たち2人だけになると大体こんな感じの朝食になります。8時40分にはチェックアウト。

 今日はエルケさんがアイゼナハ駅まで迎えに来てくれると書いていたので、乗車する ICE はドレスデン行きの9時20分発でアイゼナハには11時7分到着予定だと知らせてありました。フランクフルトから2時間弱で乗り換えがないのは助かります。でも発車予定の9番線で待っていると、いきなり10番線発車と変更になり、慌てて移動。がら空きの車両に乗り込んだら全部ドレスデンまでの予約が入っていました。変だなと思いながらも混んでいたのでそこに取りあえずトランクを押し込んで座っていると、女性が来て「ここは全部予約済みで~す」と大きな声で触れ回り始め、学生が入ってきたので「学生の予約だったのね」と苦笑しながら連結部分に出て過ごしました。2時間弱でもやはり腰に来たので、今度から軽い簡易椅子を持って来た方がよいかなと思ったことでした。


▶4年ぶりのアイゼナハ

 アイゼナハに着いてホームに下りると、遠くで赤いものを振っているエルケさんが見えました。近づいてみたら手作りの日の丸の旗を振っていたのでした。思わずお互い笑ってしまいました。でも歩き出すとやはり寂しそうな顔になり、「心臓と血圧に問題があってあまり良い状態ではないの」と言います。この日に私たちが泊まるアパートは旧市街に入ってすぐの「ミケランジェロ」というところでしたが、午後3時からでないとチェックインできないため、エルケさんがアパート提携のカフェにトランクを預かって欲しいと頼んでくれました。これで身軽になってホッとしました。彼女へのお土産は小さなコロコロに入れてあるので大丈夫です。更に町並みの奥まで歩いて行くと彼女のアパートの一角に到着しました。目の前にひとかたまりの大きな木が立つ緑地があって、いかにも気持ちのよい空間です。アパートの最上階ということでゆっくり上がりますが、左足を上げるときがひどく痛むので、仕方なく三津夫や手摺りにつかまって右足で上がり、左足を引きずり上げてやっと着きました。平行移動はアーヘンの帰り道よりは大分できるようになってきたのですが、階段が一番こたえます。

 エルケさんのアパートは、予想していたとおりにスッキリとまとめられていて、ドイツ人らしい清潔感にあふれていました。私が少しずつ贈った小さな木彫りの人形もエルケさんの手にかかると生き生きしてとても素敵です。
 まずは持って来たお土産を渡しました。『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』にはサインが欲しいと言われて悩みながらメッセージを入れました。

 エルケさんはスープとパンを用意してくれていたので、ここで昼食をいただきました。具だくさんのスープは栄養満点でとても美味しくてみんな笑顔。片付けをしてから本棚にビッシリ入った本を見せていただいたところ、ファイト・シュトースの分厚いカタログがあったのです。三津夫が「出して見ても良いですか?」と聞くと「どうぞどうぞ」と言われ、手に取ったところ、中身はとてもきれいです。シュトースに関する盛りだくさんの情報が書かれていました。三津夫は興奮状態。それを見たエルケさん、「どうぞ差し上げるから持って行ってください。」と言うのです。「え、本当に良いんですか?」と三津夫が驚いて聞くと、「もう私も退職して使いませんから、必要としている人に差し上げた方が良いと思います。サインをしましょうか?」と一言書き込んでくださいました。三津夫の喜ぶ顔ったらありませんでした。

 3時近くになったので途中で花束を買い、ミケランジェロまで戻ってチェックイン。2階の小さな事務所で手続きを済ませると鍵を渡され、受付の若者はサッとドアに鍵をかけて帰ってしまったのです。今までは宿の人がいたら、しかも若い人だったらまず重たいトランクを持ってくれました。でもこの若者はまるで逃げるようにいなくなってしまったので呆気にとられました。しかも私たちの部屋は最上階だったのです。2人分の重いトランクを持って何段もの階段を頑張って上がった三津夫も息が切れていましたが、私も痛い足をかばいながらトランクを途中まで引っ張り上げて本当に大変でした。
 部屋に入ってみたら広さはまだ良いのですが、キッチンは小さく、ゆっくり調理できそうにありません。ガッカリでした。以前泊まったアイゼナハ駅の反対側のアパートはとても良かったのですが、今回はアクセスできなかったので営業を辞めたのかなと残念に思っていたのでしたが、あちらに泊まることができていたらとても快適でしたのに。


▶何ともひどいバスと宿…

 ウヴェさんは2018年に亡くなっていましたが、2019年にはシルヴィアたちの結婚式のあと、主に南ドイツを回るルートでアイゼナハには行っていませんでした。エルケさんがまだ移転先を探している最中だったこともあり、今回が初めてのお墓参りとなります。
 さきほど町のマルクト広場近くのお花屋さんで買った花を持ち、体調が思わしくないため階下で待ってくれていたエルケさんとおしゃべりをしながらお墓参りに出かけました。ずいぶん歩き、坂を上ってようやく大きな墓地に着きました。ここも木がたくさん生えていて公園のように広々しています。私もこんな墓地に眠れたら嬉しいだろうなぁと思いました。ウヴェさんも気持ちよく眠っていることでしょう。エルケさんが散歩するように度々歩いて来てはウヴェさんとお話しするのだと言っていましたが、彼女らしく花を飾ったきれいなお墓でした。

 お墓参りのあと、私の足を気遣ったエルケさんが「バスで帰りましょう」とバス停に案内してくれたのですが、しばらくしたらザアザア雨が降ってきました。あわてて屋根の下に入ったのであまり濡れませんでしたが、ようやくやって来たバスが私たちの前に停まったにもかかわらずドアも開けずに出発してしまったのです。停留所にいたみんなで怒りましたがどうにもなりません。じきに雨が上がったので「それなら歩いて帰りましょう」と私が言い、結局ゆっくり歩いてアパートまで戻りました。こんな次第で昨日も今日も足が痛いと言いながらも1万歩以上を歩いたのでした。
 お部屋に戻ると、お茶でも飲みましょうと言ってお手製ケーキを出してくれました。ふわふわしてきれいなケーキ。たくさんあって食べきれないので帰りには持たせてくれました。

▶「今日の夕食はご飯を炊くわ」

 …と言っていたエルケさん。でも、その時間になると「はい、緑、このお米でご飯を炊いてね」と丸投げされました。タイ米でしたので水加減がどうかなと思いましたが、取りあえず今までドイツで自炊してきたときの「お米1対水1」の分量で適当なカップを使って量り、炊いてみました。私がドイツでお米を炊くときには丸い粒の日本米に似たお米を使っていたので、細長いお米はまた勝手が違うかもしれないと心配でしたが、まぁまぁの炊き上がりです。その後、彼女が魚の切り身のフライを作ってくれました。でも炊き上がったご飯をエルケさんは私たちだけに盛り付けて、彼女は別メニュー。彼女は揚げ物は食べないようでした。今までにもいろいろなアレルギーがあると話してくれたことがありますが、ウヴェさんの介護の後は自分の体調も崩れて大変だったようです。自分は食べられなくても私たちが食べるであろうお菓子や食事を一生懸命準備してくれていたのだなと思いました。

 食後もたくさんお喋りを交わして、駅で会ったときよりずっと顔色もよく元気になったエルケさん。ショートメールもやっと交換できるようにセッティングしての帰り道。パンやケーキ、トマト、果物などを持たせてくれて、懐中電灯まで貸してくれました。道はほぼ真っ直ぐでしたし、街灯も点いているのでちゃんと迷わずに帰ることができました。

 

▶宿にはガッカリ続きでした。

 さて、ミケランジェロのアパートに帰ってみると更にひどいことがわかりました。部屋の隅っこにあるキッチンは暗いのに灯りがついていないのです。部屋の電灯ではろくに料理もできない造りでした。珈琲メーカーを見てみたら中に前の人の使った残渣が入ったままでしたし、洗面所のお湯は出ない、洗面用具を置くためのガラス棚は落っこちそう、寝室の絨毯回りにはゴミが溜まっている…と、数え上げたら切りがないほど。良かったのはベッドのシーツと布団だけは清潔で布団の予備もあったことでした。この日の夜は冷えましたが、私は腰を温めるために布団をもう1枚かけることができました。

 今日はミケランジェロの受付の若者や、残念な部屋、また乗客を無視して停車したのにドアを開けずに走り去ったバスの運転手など、アイゼナハの印象を悪くするようなことがあったのですが、それでもエルケさんが体調が整わなくとも穏やかに毎日を過ごしている様子がわかって心底ホッとしました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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