リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

70. ベルリンのエキサイティングな一日

2017年05月04日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.26

               

          

               ボーデ博物館に行くまでの道ばたのアンペルマン。                ボーデ博物館 博物館島の一番北側に位置します。


  ◆11月3日(木) 忘れられない一日 10320歩

  昨日の寒さに懲りて、冬用の長いダウンコートを引っ張り出しました。足もブーツです。幸い晴れてよい天気。今日はこの二人旅の一番エキサイティングな日。ボーデ博物館でシャピエさんにお目にかかり、収納庫の作品を見せていただくことになっているのです。シュヴェービッシュ・ハルで一緒にドイツ語を学んだ晃一さんも同行します。晃一さんは毎年5月頃と10月頃にベルリンに来て2~3カ月ドイツ語をブラッシュアップしている方です。ちょうどこの日もベルリン滞在中で、晃一さんが通っていたゲーテ校の先生、フラウ・レーのお宅にもお邪魔してリーメンシュナイダーについて語る予定が入っていました。ワクワクするのも無理はありません。
          
  昨日買っておいたチケットに日付を記入し、Sバーンで二駅のハーケッシャー・マルクト駅で下車。何度も訪れたボーデ博物館が近づいてきます。門の前には婦人が一人待っているだけ。そのうち晃一さんも見えて無事に合流、あとは門が開くのを待つばかり。
 10時ちょうどに開門するとすぐにシャピエさんが見えました。私たちがコートやバッグを預けている間に3人分の博物館島フリーチケットを用意してくださっていました。毎回、ありがたいことです。最初に中世彫刻の間に案内してくださって、私が3冊目の写真集を作りたいと思っていること、もしリーメンシュナイダーと同時代の作家の写真集があったら紹介していただけないかと話すと、「ちょっと待っていてください」と、どこかに行ってしまいました。数分後に戻ってきたときには“The Last Gothic Flames”というスペインとベルリンの共同展覧会カタログを手に持っていて、それを私にくださったのです。そのカタログはスペイン語と英語で書かれているもので、リーメンシュナイダーと同時代の作家が出てくるのです。心から感謝。

 その後はデポー(収納庫)に案内してくださり、シュテファンさんと交替。シャピエさんにしっかりお礼を言ってお別れしました。デポーでは私が見たい作品のリストを手に持ったシュテファンさんが次から次へと案内してくださいます。何とたくさんの彫刻があるのでしょうか。しかも皆きれいに番号札が付けられ、並べられています。ここで働いて40年というシュテファンさんの丁寧なお仕事ぶりがうかがえました。彼らが表の展示を支えているということを改めて実感しました。

  私が見たいとリクエストした作品は7点ありました。そのうちの1点は既に第二次世界大戦で失われていたことがシャピエさんのお話でわかりました。残り6点はしっかりと撮影させていただきましたが、帰国してからパソコンで画像を見てみたところ、磔刑像だけはどうもリーメンシュナイダーの手になる作品と違って見えました。あとでシャピエさんにメールでこの作品の情報を問い合わせてみましたが、やはり周辺作家の作品だとわかりました。一方、デポーから展示会場まで出てみると今まで見たことの無いリーメンシュナイダー工房の作品が一点ありました(写真・下)。これはシャピエさんに何も聞いていなかったのと、今までどの本にも載っていなかったので驚きました。
                           

       

   羊飼いの礼拝 1500頃 初めて見た作品です    右2枚はボーデ博物館のデポー


  その後、ボーデ博物館内の同時代の作家作品を写して回り、ようやくお昼過ぎに晃一さんと合流、レストランで軽く昼食をいただきました。その後、せっかくだから少しは回って見ましょうかと、博物館島のノイエ・ギャラリーに向かいました。でも私はやはり足が疲れていたのでざっと見て回り、アルテ・ギャラリーでは荷物番をしてベンチに座り込んでいました。すると晃一さんがアルテ・ギャラリーでどうしても見せたい場所があるのですと、案内してくれました。それは入り口近くにある古い素材を使った壁や柱で、戦争中の傷跡が残ったままなのです。教えていただかなければ知らずに通り過ぎていたでしょう。彼は毎年のようにベルリンに来て、戦争の負の遺産についてよく調べています。教えていただいて良かったと思いました。

 この日はもう一つ大きなイベントがありました。それは、晃一さんがベルリンのゲーテ・インスティテュートでお世話になったレー先生のお宅を訪問することでした。この方は、リーメンシュナイダーに大変興味をお持ちで、一度私に会って話がしたいと晃一さんに伝えていたそうで、私も楽しみにしていたのです。先生のお宅まで地下鉄で少し時間がかかるとのことなので、晃一さんの案内で地下鉄に乗りました。すると意外に接続が良く、早めに駅に着いてしまいました。ここから駅の反対側に広がる大きな林の中を散策。楓の葉の形が種類によって違うことなど、鳥や植物に詳しい晃一さんの話を聞きながら歩きました。三津夫は一生懸命ドングリを探していました。そんな中、ときどきまっすぐ前を向いてさっさと足早に歩いて行く人がいます。晃一さんによると、このようにして長い距離を歩く散歩が好きなドイツ人も結構いるようです。

 駅まで戻って反対側の町に向かうと、先生のお宅は町の中程にありました。10分ほど早めでしたが、ちょうど外に出てこられた先生に招き入れられて、「それからは、まさにズザネ劇場だった」と日記に書いてあります。レー先生はとても表情豊かに話すので、つい引きこまれてしまうのです。けれどもそれ以上にすごかったのはアメリカに住むお友だち、デイビッドさんが訪ねてきてからでした。まるでこの家の主人のように早口でどんどん話すのです。レーさんのお連れ合いと仲良しらしいのですが。お連れ合いのスティーブンさんは後で帰宅し、すぐにお料理を手伝い、食事のサービスをし、ニコニコみんなの話を聞いているのでした。


    

   左からレー先生、デイビッドさん

        

  このとき、私は一体何の話をしていたのやら…?        スティーブンさんと晃一さん。              レー先生の心づくしのご馳走と楽しい時間に、Vielen Dank!!  


 この日の会話はやはり興奮していたのでしょう、何だかすごく楽しく話したということは覚えているのですが、内容はあまり思い出せないのです。多分、リーメンシュナイダーとの出合いや、どんな苦労をして訪ねて回っているかというようなことをあれこれ聞かれてはお答えしたように思います。それにしてもレー先生は魅力的な方で、きっとどの生徒とも出会いを大切にし、楽しんでいる方なのだろうと感じました。お別れするときにデイビッドさんが、「大統領選挙に帰らなければならないけれど…」と言いながら気が重そうに肩をすくめていたのが印象的でした。まさかあの頃はトランプが選ばれてしまうとは思っていなかったのではないでしょうか。(彼もリーメンシュナイダーの大ファンとのことで、晃一さんが私の写真集をレー先生に贈ったところ、彼が続編をアメリカに持ち帰ったそうです。それを見た晃一さん、帰国後に写真集をもうワンセットお送りしたのだそうです。これでアメリカにもベルリンにもリーメンシュナイダーがワンセットずつあるということで、感謝です。晃一さん、高い本なのにありがとうございました。)

  シャピエさん、晃一さん、そしてレー先生ご一家のおかげで、今日は忘れられない一日となりました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Koichi, MATSUMOTO, Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

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