リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

330. 18回目のドイツ旅行(10) 2人旅 パリ後半 ルーヴル&愛さん一家

2024年01月10日 | 旅行

▶コルベイユ=エソンヌ


AUX ENFANTS DE LARROND DE CORBEIL MORTS POR LA PATRIE
 「祖国のために亡くなったコルベイユ地区の市民(子ども)のために」という意味だそうです。

 

▶まずはルーヴル美術館へ

 2023年8月26日。今日は久しぶりにゆっくりの出発。ルーヴル美術館の入館予約は11時半です。旅行に来てからこんなにゆっくり宿を出たのはアイゼナハに次いで2回目でしょうか。日本に出したい絵はがきを3枚書いて、近くの郵便局へ。受付で郵便局の場所を聞いてもどこなのかよく理解できず、その近辺をウロウロしてようやく小さな黄色い郵便局のマークを見つけてホッとしました。フランスでも郵便局は黄色いマークなのですね。日本への絵ハガキは1枚1.8ユーロもかかりました。1ユーロ160円としても288円です。日本の2倍以上です。ずいぶん高いなと驚きました。

 今日もM1でルーヴル美術館駅まで乗車。地下通路を出るともうガラスのピラミッドの下です。まずはリュックを預け、貴重品とカメラだけ持って受付へ。スマホで予約チケットを見せるとまだ11時頃なのに入館することができました。私は「まだ早い」と追い返されるかと思っていましたが、三津夫が「大丈夫だよ。ここで時間まで待つことないよ」と言うとおり、問題なくは入れたのです。案外予約時間については見ていないのですね。
 真っ先に向かったのは後期ゴシック彫刻のある展示室です。私も以前来たときに見たはずなのですが、全く記憶に残っていなかったグレゴール・エーアハルトの「マグダラのマリア」(『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』 97頁にカタログの写真を載せてあります)をしっかり見ることが第一目的でした。写真集を作る際にカタログで何度も見ていたとおりに、マグダラのマリアが本当に美しいことを実感しました。後ろ側に回ると、長いふさふさした髪の毛が波打って彫られていました。ただ、背中の部分に大きめの切れ目が四角く入っていて、やや髪の毛のウェーブが揃わないところがあります。丸彫りのひび割れを防ぐために、ここから内部をくりぬいたのでしょうか。やはり彼女はこの展示室の看板スターです。
 ここから少し離れたショーケースの中にはリーメンシュナイダーの「受胎告知のマリア」があります。天使像はどこかに紛失したのでしょうか、今まで見ている限りの
情報では記録がありません。アムステルダムの「受胎告知」はあどけないほどのマリアと美しい天使とのコラボが素晴らしい作品ですが、リーメンシュナイダーの初期に相次いで彫られたこちらのマリア像は、今一つ緊張した表情で目が少し怖いのです。しっかりもう一度記憶に刻みました。この展示室には何体もの聖母子像が並び、私は聖母子像があると写真を撮っているので大忙しでした。

 「サモトラケのニケ」を見てからレストランで昼食をとりました。その後は三津夫の見たい作品のある展示室を順番に見て回りました。「モナ・リザ」は黒山の人だかりで、なかなか前に進めません。以前じっくり見たからいいねとサッと見るだけで出ました。ダヴィンチ作品を何点か見て、ミロのヴィーナスまで見たところで疲れて終わりにしました。

 ホテルに帰ったら疲れがドッと出て2人とも爆睡。その後、郵便局探しの時に見つけた小さな中華料理店で夕食をとり、明日訪ねる愛さんと連絡を取り合いました。自分たちだけで何とか行けると思っていましたが、長男のユウゴ君を迎えに出してくれるというのです。愛さん一家も申し訳ないほど親切です。

▶コルベイユ=エソンヌへ

 8月27日。朝はパリ北駅まで行き、明日、ロンドンに行くときに乗るユーロスターへの歩き方を下見することにしていました。重いトランクを持ってウロウロしたくなかったからです。
 リヨン駅から地下鉄Dラインで北駅まで行けるので、比較的順調に下見を終了。ところがユウゴ君の乗る電車がちょうど良いのがなくて約束より早めにホテルに着くと連絡が入ったので、時間までに戻れるか心配になってきました。愛さんに「遅れるかもしれない」と連絡すると「ロビーで待つから大丈夫です。ゆっくり来てください」との返事。幸いリヨン駅までは順調に戻れたものの、地上階に上がってからどの方向が私たちのホテルだったかわからなくなって迷ってしまい、ようやく見慣れた出口を見つけてホテルに駆け込みました。ちょっと遅刻。ユウゴ君にお詫びを言い、愛さん一家へのお土産を持ってホテルを出発しました。

 ユウゴ君たちの家はコルベイユ=エソンヌという、リヨン駅から1時間ほど南下した郊外の町にあります。車中は家族の様子や2月にユウゴ君が来日したときの話などを楽しみ、終点に到着。駅を出て歩き始めると、途中の公園にトップ写真の彫刻があり、花束が置かれていました。何かの追悼記念なのだろうと思いましたが、翻訳機が訳してくれませんので、フランス語のタイトルだけ書いておきました。
 後日、愛さんに教えてもらって正しい意味がわかったので書き足しました。「祖国のために亡くなったコルベイユ地区の市民(子ども)のために」という意味だそうです。
ENFANTSは「子ども」という意味ですが、例えば北海道の人を「道産子」、東京都民を「江戸っ子」というような意味で「子ども」ということばが使われているのではないかということでした。

 愛さんはフランスのトゥールーズに留学して大学院を卒業。フランス語もペラペラです。お肉のマイスター、ティエリさんと知り合って結婚。この町でお肉屋さんを経営しています。今日は午後2時までで営業が終わるので、その後バーベキューをしてくれるそうです。お店の写真を撮った後、「閉店までもう少し時間があるから川縁を散歩してきたら」と勧められてユウゴ君と次女(末っ子)のノエちゃんと車で出かけました。セーヌ川はところによってゴーゴーと音を立てて流れていましたが、ユウゴ君はボートの漕ぎ手としてこの川で練習を重ね、レースでも優勝しているのです。その体格の良さがわかる写真を載せておきます。

 


愛さん夫妻のお肉屋さん。このお店のカラフルなこと。日本ではなかなか見かけませんね。


このセーヌ川でボートを漕いできたユウゴ君は、大学を辞めてボートのコーチの見習いになる勉強を始めるとか。
  ノエちゃんはチェロをずっと弾いてきて、来週から音楽学院の寄宿舎で勉強だそうです。


▶美味しいバーベキュー、ご馳走様でした。

 お店に戻ると既に閉店していて、裏庭にはバーベキューの準備ができていました。出かけていた長女のエマちゃんも帰宅して、皆で美味しいソーセージやパテ、サラダをいただきました。お肉類は全部ティエリさんの手作りです。なんと贅沢なことでしょう。専門家の作るソーセージやパテの味は保証付きです。ただ、ソーセージは1本が大きくて種類も多いので、三津夫と半分ずつ分けていただきました。夕食用にサンドイッチのお土産までいただきました。どうもご馳走さまでした!!
 






この中庭のバーベキューは家族の集まりや友人の集まりで大活躍のようです。


 帰りは愛さんが駅まで送ってくれてお別れ。また来年、今度は帰省の折に我が家にも遊びに来てください。
 明日からロンドンへの旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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329. 18回目のドイツ旅行(9) 2人旅 シュトゥットガルトからパリへ

2024年01月09日 | 旅行

▶パリでのビッグ・サプライズ!!

 


ここはパリ・リヨン駅前です。一体何でここにシルヴィアがいるの?? 

 

▶パリ・リヨン駅に着くと…

 私たちは本来ならシュトゥットガルトからパリまで直行で行ける列車を予約するつもりだったのですが、いわゆるユーレイル・グローバルパスの保持者用座席数は限られているようなのです。そのためTGVがうまく予約できず、カールスルーエからまずはバ-ゼル・スイス駅まで行き、そこからパリ・リヨン駅(以下リヨン駅)までのTGVを予約せざるを得ませんでした。万が一ドイツ鉄道が遅れても大丈夫なように乗り換え時間をそれぞれ30分以上見ておいての予約です。予定通りでも夜10時42分着のため、ホテルには予めチェックインが遅くなると伝えてありました。

 リヨン駅には数分遅れで到着。既に11時に近く、外はまっ暗です。パリではスリに気をつけなさいとシルヴィアたちに何度も言われているので緊張していました。持ち物に注意をしながら「こちらかな?」と見当を付けて駅の外に出ると、後ろから低目の男性の声で「奥様、何かお困りですか?(多分)」と言われました。思わずトランクの取っ手を握りしめ、後ろを振り向くと、なんとクラウスがそこいるのです!! その後ろにはシルヴィアが、そして目を丸くした三津夫が立っていました。あまりにもびっくりして2人揃って「え~、何であなたたちがここに居るの?」と思わず叫んでしまいました。シュトゥットガルト中央駅で窓の外からさようならした2人がここに居るはずは無いではありませんか。私たちが叫ぶと同時に真面目な顔をしていたクラウスとシルヴィアが弾けるように笑い出しました。驚きすぎて涙を流すほど大笑いする私たちの様子に「やったね!」と2人はガッツポーズ。取りあえずチェックインが遅くなっているので急いでホテルに向かうことにして、彼らがトランク運びも手伝ってくれて歩き出しました。地図ではこの道を通ったらすぐだと思う道に行くと、その先は縄が張られていて警官が「ここは今日爆発があった(爆弾が見つかった?)ので迂回してください」と反対回りの道を指示します。はじめからずいぶんと物騒な…。これがパリなのでしょうか。

 でも駅から直近のホテルなので数分で到着。クラウスがチェックインを手伝ってくれる傍らシルヴィアは三津夫に事の次第を説明。シルヴィアは結構日本語も話せるのです。2人は私たちをシュトゥットガルト中央駅で送り出してからすぐ次に出るTGVに乗り、早めにリヨン駅に着いていたのだとか。彼らも地下鉄で2駅だったかのところに1泊するので明日は一緒に美術館巡りをするというのです。いや~、驚きました。でも一番難しそうで心配だった地下鉄のチケットを買うのも一緒に行ってくれるそうなので、心から安堵したのでした。

 それにしても何というビッグサプライズでしょう。そして何と親切な2人でしょう! 思い出すだけで、今でも笑い出してしまいます。結局フランス語混じりのホテルのチェックインをクラウスのアドヴァイスで乗り切り、2人は部屋まで来て見届けてから帰っていきました(写真・下)。このときシルヴィアがいったことばが忘れられません。
 
「ミドリがパリの5日間をとても心配していましたから、私たちが大好きなパリをあなたたちにも好きになってもらいたくてこのサプライズを計画しました。明日は一緒にチケットを買いましょうね」
本当に親切で素敵な友だちに Her
zlichen Dank


2人は駅で私たちを待ち伏せして、この部屋まで一緒に来てくれました。この計画をアンゲリカもヴィリーも知っていて皆で楽しんだとか。

 

▶パリの5泊6日が始まりました。その前半です。

 私たちのホテルは早期予約で安くなっていたので朝食付き。でもベッドは大きいものの部屋は狭く、小さなミニバーとテーブルがついていましたが、そのテーブルも小さくてきつきつでした。やはり安いだけのことはあるのですね。ただ駅まで出ずに朝食が食べられるのは私たちの旅としては贅沢です。ミニバーには水・炭酸水、コーラとジュースが入っていて、隣には珈琲メーカーとカプセルが3個置かれていました。これは助かります。嬉しいサービスです。ただ、トイレのドアがすごく重たくて苦労しました。

 8月24日の朝
、早速食堂に向かいました。品揃えも良く、しっかり食べられました。昨夜1時半に寝たわりには元気。
 9時半にロビーに下りてシルヴィアとクラウスに合流。受付で地下鉄路線図をもらい、美術館までどう行くのかを教えてもらいます。リヨン駅からメトロ1番(以下M1)でオランジュリー美術館とオルセー美術館に行くにはコンコルド駅で下車とのこと。
 まずはホテルのすぐ隣のリヨン駅に行き、中央階段を下りると地下鉄の窓口があります。そこで5日分の回数券を買いました。そこからM1までの行き方、番線の見方、帰り方をシルヴィアが丁寧に教えてくれました。明日からは自分たちで動かなければなりませんので私は必死です。おそらくシルヴィアがいなければ相当苦労したはずです。このあとでもまだ1人で回数券を買う自信はありません。

 一緒にメトロに乗るとドアを閉める時に、フランス語、英語に続いて日本語のアナウンスもあると三津夫が気づき、驚きました。コンコルド駅で下りればオランジュリー美術館はすぐ近く。三津夫は以前にも来たことがありましたが私は初めてです。こちらに先に入ってモネの水蓮の絵をゆっくり堪能しました。まだそれほど混んでいないうちに入ったので良かったのです。帰りがけに見たときには入館待ちの列が長くなっていましたから。
 その後、橋を渡ってオルセーに向かいます。その橋の手前にあったライオン像は珍しく口を大きく開けているので何をしているのか不思議でしたが、口の中をのぞき込むと舌も見えます。気になってタイトルを翻訳機で見てみたら「蛇とライオン」だそうです。多分右足で押さえている塊が蛇なのでしょうね。作者は BARYE ANTOINE-LOUIS と書かれていました。




この橋向こうがオルセー美術館です。

 オルセーにやっと入館すると本当にすごい人波! メジャーな作品のある部屋はどこも満員で、私が一番写したかったドガの踊り子(孫がバレーを習っているのです)を写すにもチャンスを待たなければなりませんでした。時々皆を見失うのですが、180cm近くあって赤茶色の髪のシルヴィアが目印になり、とても助かりました。迷子にならないように気をつけながら三津夫が見たい作品を中心に(彼の頭の中には大体の著名な作者名がインプットされていますが私にはとても覚えきれません)ついて歩きました。

 ようやく満足するまで見て回ると既に午後2時過ぎ。オルセーを出る頃には小雨が降りだしました。濡れるほどではなかったので、近くであまり混んではいないレストランを探して入りました。ここでシルヴィアとクラウスが今回パリに来た理由を教えてくれました。2人ともパリが大好きだったので、5年前にパリに旅行に来たのだそうです。その時にクラウスがあるレストランを予約し、プロポーズすることを計画したのでした。すると最後のデザートの時に持って来てくれるように頼んだ指輪を渡す段階になって、シルヴィアがそんなこととはつゆ知らず、「もうお腹いっぱいだからデザートは要らないわ」と断るのでクラウスがすごく困ったそうな。美味しいから食べようと何回か誘ってようやく説得し、デザートに。そして指輪を手渡し、プロポーズが成功したのだそうです。従って今回の小旅行は彼らのプロポーズ5周年記念の旅行でもあったのでした。ここでも皆大笑いでした。
 このレストランでフライドポテトを頼んだクラウス。持って来たお皿はポテトが山盛りでとても食べきれませんでした。私の頼んだお料理も結構なボリューム。結局残りは私たちの夕飯と相成りました。

 ホテルに戻り、ロビーで今後の旅に利用するモンパルナス駅とノルト駅の行き方を確認し、シルヴィアとクラウスとはお別れ。本当にありがとう! ちょっと心細くなりましたが、明日からは2人で必死に回ります。


▶ここで触れておきたいのは、愛さんのことです。
 TGVのユーレイルパスホルダー用座席がことごとくなくなってしまったため、私はパリに住む愛さんに何とか希望の日時の列車が予約できないかとお願いをしてみました。彼女は我が家の近くに住む友人夫妻の娘さんで、パリに住んでお連れ合いとお肉屋さんを経営しています。こちらに帰省すると何回か会って一緒に食事をしたりする関係で、今回の旅では彼女の家にも訪ねて行くことになっていました。この愛さん、何でもテキパキとこなしていく人なので、彼女のパワーを見込んでお願いしてみたのでした。すると翌日には全ての列車を希望の時間で予約してくれたのです。ただ、その間のユーレイルパスは使えないのでフランスのシルバーパスを代理で購入、予約するという手際の良さ。旅行の神様のような愛さんの采配でディジョン往復もフランス国内のTGVでの移動もできることになったのです。いくら感謝してもしきれません。


▶TGVでディジョン往復

 ディジョンに憧れていたのは、元ボーデ博物館館長だったジュリアン・シャピュイ氏が2013年に送ってくださったカタログ『Pleurants(哀しむ人)』(写真・下)を見てからです。顔はほとんど見えないこうした小さな彫刻が墓碑の下に何十体か置かれている本でした。リーメンシュナイダーにも共通する静かな深い哀しみを痛いほど感じるのです。「これはフランスに行くことがあったら是非見たい」とずっと願っていたのでした。ようやくこの10年越しの願いが叶ってリヨン駅からディジョンまで往復することできました。


嘆きの深さを感じる彫刻群のひとつ。

 
 8月25日。TGVに乗るのは2回目で少し慣れてはきたものの、ホームには出発の少し前にしか入れず、ドイツのように乗る車両のそばまで行って待てないので落ち着きません。改札口で予約書類にあるQRコードを読み込んでもらうと通ることができ、その後で自分たちの座席を探すのですから。バーゼルから乗ったときは重たいトランクを持ってうろうろしたので大変でしたが、今日はカメラの入った小さなトランク(以下コロコロ)だけなので身軽です。
 ディジョンに着くと出口の案内がよくわかりません。フランス語はまるっきりダメなので人間を見つけてジェスチャーで「ブルゴーニュ博物館に行きたいのですが」とメモで訴え、方向を確認して歩き出しました。運悪く結構な雨が降っていました。びしょ濡れになってついた博物館らしき建物は、「本日は行事があり休館」という札が貼ってあります。「え~~~?」と泣きそうになったところで三津夫が「いや、もっと先にちゃんとあるはずだよ」と言うので、地図をよくよく見てみると確かにもう少し奥に入口がありそう。もうワンブロック歩いてみると、ようやく博物館の立て札が見つかりました。良かった!

 館内はまだ参観者も少なく、濡れた雨具をロッカーにしまって「嘆く人」を目当てに回りました。最後の方でやっとこの彫刻群を従えた大きな墓碑が2台ある部屋に到着。相当じっくりと時間をかけ拝観しました。でも、撮影は途中で諦めてしまったのです。何故かというと手前の彫刻しか見えませんし、奥に何体入ってるのかも見えないからです。これは帰宅してからシャピュイさんにいただいたカタログをしっかり見ようと思ったのでした。ここの墓碑は Philipp der Kühne(翻訳機によるとフィリップ・ボールド[1342-1404]、ブルゴーニュ公、ブルゴーニュ家の創始者、フィリップ2世)と 、その息子の Johann Ohnefurcht夫妻(ヨハン・オーネフルヒト[1371-1419] ブルゴーニュ公 妻マルガレーテ・フォン・バイエルン[1363–1423])のものです。上にはそれぞれの人物彫刻1体に付きライオンが1頭と天使のペアが置かれています。息子の足下のライオンは赤い舌を出して座っています。「オーネフルヒト」はドイツ語で訳すと「恐れを知らぬ人」となるのですが、何で赤い舌? それにしても天使の羽が長く美しいのにも感嘆します。
 ※帰宅して見たカタログには、父王の墓碑下と息子夫婦の墓碑下にある彫刻はどちらも40体だと書かれていました。表紙の写真を見て長い間女性だと思っていた彫刻も、男性の修道僧だとわかりました。手の表情などとても優しいので勘違いしていました。
 ※[2024年1月20日追記] 昨日購入して届いたばかりの『ゴシック1 世界美術大全集 西洋編9
』(飯田喜四郎 小学館)によると、ジャン・サン・プール夫妻の彫刻はジャン・ド・ラ・ユエルタとアントワーヌ・ル・モワテュリェによるもので、1439頃~1469年作とのことです。なお、上記の名前はドイツ語で書かれているので、ドイツ語読みで書きました。


 このブルゴーニュ博物館を堪能してからは雨も上がり、町中の小さな美術館、博物館、教会を見まくりました。全部無料で開館しているのには文化度の高さを感じます。
 駅の反対側にあるという「モーゼの井戸」は時間もきつく、歩き疲れもあってあきらめたのですが、連れ合いは帰国後ロマネスク彫刻の勉強を始めたところ、この「モーゼの井戸」が大変素晴らしい彫刻だとわかったそうで、今になって「この井戸の彫刻が素晴らしかったのに見ないで帰ってきたのは残念無念。何で行かなかったかなぁ」と嘆いています。まぁ、機会があればもう一度ゆっくり行きましょう。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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328. 18回目のドイツ旅行(8) 家族3人+2人の旅 シュトゥットガルトからビンゲン往復

2024年01月06日 | 旅行

▶ビンゲンに行った理由とは?

 


ビンゲン祭壇 ビンゲン、マリア被昇天教会 1503~1505年 
 彫刻:ニクラウス・ヴェックマン 両翼祭壇画:バルトロメオス・ツァイトブロム 

 

▶それは、一昨年のリベンジ旅行でした。

 2022年の旅の最終日、私たちはビンゲンという町に向かってフランクフルトを出発しました。でもそれは同名でも全く別の町だったのです。そのため、今回は正しい目的地のビンゲンに向かったのでした。そのいきさつは以下のブログをご覧ください。

 ***319. 17回目のドイツ旅行(47)大失敗の最終日、無事に帰国です。***
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=5c50f59ec925fbaf982af736b2736962&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2MmY2F0ZWdvcnlfaWQ9JnltZD0mcD0y


 今回のビンゲンは有名なホーエンツォレルン城の近くにあったのです。そのため、シルヴィア・クラウス夫妻と私たちには二度目ですが、この美しいお城を奈々子にも見せたくて一泊旅行としたのでした。はじめは一緒に行く予定だったアンゲリカ・ヴィリー夫妻は急な用事が入ってキャンセル。従ってタイトルは家族3人旅ですが、実際は友人と一緒の5人旅となりました。

 2023年8月21日。朝、シルヴィアとクラウスがアンゲリカの家まで迎えに来てくれて一緒に朝食をとり、5人で出発。運転手はクラウスで、シルヴィアが助手です。後ろに私たち3人が乗りました。クラウスは一人で長時間の運転も平気な人。しかも仲良くシルヴィアと手を繋ぎながら左手だけの片手運転です。大丈夫なのかとちょっと気になりましたが、いつも二人はそれで長いドライブ旅行をしているのだそうですから大丈夫なのでしょうね。

 シュトゥットガルト郊外に出ると大きなショッピングセンターで一時トイレ休憩。ここでもEMSAのポットがないかとシルヴィアが機会を作ってくれたのでした。でも残念ながらありませんでした。

 ビンゲンのマリア被昇天教会には連絡を取っていなかったので、もしかするとドアが開いていない可能性もありましたが、幸い無事に拝観することができました。建物はわりと新しそうですが、中のビンゲン祭壇(トップ写真)は16世紀に作られたものです。彫刻家のニクラウス・ヴェックマンはウルムでダニエル・マウホを教えた師匠ですし、祭壇画の美しいマリア像にも目を惹かれて見たいと思っていたので感激でした。1年ぶりでやっと見られた祭壇でした。これでリベンジは終了です。

 午後はホーエンツォレルン城へ。お天気も良く、小高い山の上のお城も見えてきて心弾みます。中は小さな博物館。観光客が来るとそれぞれの担当者が丁寧に説明をしてくれます。このお城に誇りを持って語っている様子がよくわかりました。内容は私の聞き取り能力では追いつかず、もっぱら解説カードを見て回るだけでしたが。
 急いで来たので喉も渇き、最後はビヤホールで喉を潤しました。おそらくこの日最後ぐらいにお城を出たのが私たちだったかもしれません。幸い下の駐車場から迎えのバスが上がってきてくれたので、無事に下山することができました。


小高い山の上にあるホーエンツォレルン城
 お城
までは徒歩か、山腹にある駐車場からバスで上がります。


 下山してからヘッヒンゲンにある宿まで車で走ると、既に夕暮れでした。荷物を部屋に納めてから近くのレストランへ。ゆっくりシルヴィアとクラウスと食べ、お喋りを楽しみました。何しろ朝から忙しい1日でしたから。
 さらに、この日は少しゆっくりお土産が買えそうだと、三津夫を宿に残して(本人の希望です)4人で近くのREWEまで行き、奈々子が探していたお腹に効く強いお酒やらチョコレートやらを買い込みました

▶ヘッヒンゲンからオットーボイレンを回り、シュトゥットガルトまで戻りました。

 8月22日。9時半頃宿を出発。2022年の旅では改築中で見られなかった作品を見に、オットーボイレンに回ってもらいました。
 オットーボイレンではちょうどお昼時だったのでジルヴィアが予約してくれていた近くのレストランへ。でも何故かしばらく待たされました。そこへやって来たのが一人の男性。いきなりドイツ語でビールの解説を始めたのです。何だ、何だと福田3人は目を白黒させていたのですが、シルヴィアとクラウスのサプライズでビール工房の見学ツアーを申し込んであったのでした。それにしても私たちには難しい。何となく試飲しながらホップの違いを味わってみたり、機械や温度や配管の様子などを見て回りました。でも、クラウスたちは大いにこのツアーを楽しんでいました。

 昼食を済ませるといよいよオットーボイレンです。ここでオットーボイレンのマイスター(ハンス・トーマンと記載)作品がようやく見られるとワクワクしながら入りました。まだ大聖堂博物館は改修途中ではありましたが、マイスター作品が5点ありました! 衣服の襞が特徴的な作品です。ゆっくりゆっくり何度も行ったり来たりしながら拝観しました。

 三津夫も私も心ゆくまで見たので満足。その後はクラウスが車を飛ばしてシュトゥットガルトには午後6時半頃到着。アンゲリカがキッシュを焼いて待っていてくれました。でもアンゲリカは心なしか疲れた顔で、ちょっと気になりました。ヴィリーは奈々子のトランクにピッタリの車輪があったといって既にトランクをしっかり修理してくれていたので大感謝! アンゲリカのキッシュをいただくうちに彼女の顔にも笑顔が戻ってホッとしました。お疲れさまでした。シルヴィアとクラウスも私たちのわがままを快くきいてくれて本当にありがとう!


▶シュトゥットガルトで皆さんとも奈々子ともお別れです。 

 8月23日。アンゲリカの朝食も今日が最後。美味しいパンとアンゲリカがいつも作ってくれているフルーツサラダをいただき、昨夜のキッシュを今日のお弁当だと渡されてゆっくりと出発。シュトゥットガルトの市内中央にあるGareliaというデパートに向かいました。ここに奈々子が探していたEMSAの店が入っていることがわかったのです。ありました、ありました。ちょうど欲しいと思っていたポットが見つかり、奈々子の願いは全て満たされたのでした。すると何とヴィリーまで同じポットを買ったんですよ。どうしてなのでしょうね。その写真がこれです。


このポットを旅行中ずっと探したのでした。EMSAのポットで乾杯!!


 ここを出てから再び駅近くのマーケットを覗き、ビールで最後の乾杯をしてから軽い食事をとってシュトゥットガルト中央駅へ。するとシルヴィアとクラウスまで送りに来てくれていたのです。昨日までのドライブ旅行にも疲れた顔をしていません。さすがに若い。

 仕事の関係で奈々子は7泊8日と短い旅でした。
 奈々子がフランクフルト空港に向かう列車は少し遅れ、やきもきしましたが、何とか私だけ途中まで駆け足で見送ることができました。でも急いでいたのでヴィリー、アンゲリカ、シルヴィア、クラウスは三津夫と一緒にトランクを見ていてくれたため、落ち着いてご挨拶できなかったと奈々子が残念がっていました。そのすぐ後に私たちのパリ方面に向かう列車も来たので、車内に荷物を入れてから彼らと最後のお別れ。窓越しにジェスチャーでさようならの儀式を終えて、まずはカールスルーへに出発しました。

 こうして奈々子との家族3人旅は終わり、明日からはパリでの2人旅となります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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327. 18回目のドイツ旅行(7) 家族3人旅 フランクフルトからシュトゥットガルトへ

2024年01月05日 | 旅行

▶シュトゥットガルトの4日間ー前半

 


シュトゥットガルトの蚤の市 

■本文に入る前のご挨拶

 2024年がスタートしてすぐに能登地方は大きな地震を経験し、多くの方々が亡くなりました。数え切れないほどの方々が住む家を失い、避難されているという大変な状況に胸が痛みます。亡くなられた方々とご家族に心からお悔やみを申し上げます。
 また、災害のまっただ中で闘っている方々が1日も早く、少しでも落ち着いた生活が取り戻せますようお祈り申し上げます。
 翌2日には羽田の飛行機炎上、5名の方が亡くなるという大変な出来事が立て続いています。二度とこのような事故が起きませんようにと祈るばかりです。

 こんな状況下でのほほんと旅行記なぞ書いていてよいものかと思う気持ちもありますが、できることはできる間に進めたいという気持ちもあり、継続することにいたします。

 

▶シュトゥットガルトに着いてすぐに蚤の市に向かいました。

 2023年8月19日。息子一家とはフランクフルトでお別れ。
 
奈々子と私たち3人はシュトゥットガルト中央駅に向かいました。そこで待っていてくれたのはアンゲリカとヴィリー夫妻です。2018年に再婚した二人はそれぞれに家を持ち、必要に応じて市内を行ったり来たりしています。2022年からは、私たちが訪ねたときは部屋数の多いアンゲリカの家に泊めてくれるようになりました。


木陰に入ると涼しい。

 上に掲載した2枚の写真はシュトゥットガルト市の蚤の市です。日本でも骨董市が大好きな奈々子の希望に応えてアンゲリカとヴィリーが連れて行ってくれたのです。この日も暑くて汗をかきながら歩き回りましたが、それでも木陰は日本より涼しく感じます。奈々子は特に工芸品や道具類などをじっくり見ます。三津夫は本などを見てあとは少々時間をもてあまし気味? 私はトップ写真のような小物を見るのが好きですが、遠い日本に持って帰ることを考えると買うことはできませんので目の保養にと見て回っていました。でも、そこで可愛い天使像を見つけたのです。我が家の玄関にあった天使像は故ペーターが送ってくれたものでしたが、知らない間に少し壊れてしまっていたので、その替わりに買って帰ることにしました。壊れないで持ち帰ることができるかどうか少々心配でしたが、アンゲリカがちょうど良い大きさの空き缶を見つけてくれたのでしっかり梱包して無傷で持ち帰ることができたのでした。それが下の写真です(逆光でよく撮れていませんが)。ペーターからいただいた天使たちは現在私のパソコンルームに引っ越しています。


 ヴィリーとアンゲリカも革鞄のよいものを見つけて買い込んでいました。じっくり見ていた奈々子も気が済んで、すぐそばのカフェで取りあえず再会を祝し、ビールで乾杯。その後、アンゲリカの住まいに到着。駅からは少々距離がありますが、それでも市内の高台の家です。


▶奈々子のトランクが壊れていました。

 アンゲリカの家に到着。重たいトランクを持ち上げて三津夫もヴィリーも本当にお疲れさま。私も1つはゆっくりゆっくり持ち上げました。疲れた身体を癒やすためにアンゲリカが美味しいメロンと珈琲を出してくれました。

 どこで気がついたのか忘れましたが、奈々子のトランクの足が1つ壊れていることがわかったので付け替えられる車輪を見たいのと、お友だちにドイツで有名なBAUHAUS(日本のジョイフル本田とかカインズのような店)でお土産を買いたいという奈々子の希望で、今度はヴィリーと4人でBAUHAUSまで出かけました。残念ながらちょうど合うサイズの車輪は売られていませんでしたが、漆作家の先輩にピッタリというお土産を見つけることができました。
 夕食はアンゲリカの教え子が経営するというレストランでご馳走になりました。近くの丘も散歩してリフレッシュ。


アンゲリカの円卓 伸ばすと8人ぐらいは座れるそうです。


BAUHAUSの前で

 

▶シュトゥットガルト市立ギャラリーへ

 翌8月20日は、三津夫が好きなラートゲープ作の祭壇をもう一度ゆっくり見たいとお願いしてこの日はシュトゥットガルト市立ギャラリーに行きました。イエルク・ラートゲープの祭壇を以前見た時は館員に撮影は駄目と言われて写せなかったのですが、今回は大丈夫だったのでゆっくり撮影しながら拝観しました。やはりなかなかの力作です。
開扉
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6b/1520_Ratgeb_Herrenberger_Altar_anagoria.JPG

閉扉
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Herrenberger_Altar_BMK.jpg/400px-Herrenberger_Altar_BMK.jpg


 このギャラリーを出てから時間があったので、古いマーケットの建物を覗いてみると小さなお店がたくさん出ていて見ているだけで楽しい場所でした。

 ヴィリーのマンションで一休みしてからいざ5人でシルヴィアの住むブルグシュテッテンへ向かいます。シュトゥットガルトから30kmほどの町です。シルヴィアとクラウスのマンションに以前は泊めてもらったのでしたが、今回はシュトゥットガルトのアンゲリカの家に泊まっているため、日帰りで彼女たちの家を訪ねたのでした。今夜は大きな庭でバーベキュー。二人はその準備で忙しかったので、シュトゥットガルトに到着してからこの日初めて会うのです。

 二人の庭に着いてみたら去年(2022年)は1つだったミツバチの巣箱が3つに増えているのにまず驚きました。そして大ご馳走が待っていました。シルヴィアとクラウス、朝から準備を本当にありがとう! 皆で乾杯!!





<上の写真> 左から三津夫、シルヴィア、クラウス、ヴィリー、アンゲリカ、奈々子。
 <下の写真> 後ろに見える柵で囲われたところがシルヴィア一人で作った池です。

 食べきれなくて、せっかくのご馳走が残ってしまったのが申し訳ない気持ちで、帰路につきました。
 
明日はシルヴィア・クラウス夫妻とビンゲンまで1泊旅行に出かけます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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326. 18回目のドイツ旅行(6) 家族7人旅 ヴュルツブルクからフランクフルトへ

2023年12月15日 | 旅行

▶ヴュルツブルクの2日間


ヴュルツブルク、シュタインベルクにあるお城のホテルからの景色 前を流れるのはマイン川 
 左奥の丘の上に見えるのがフランケン博物館-ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館のあるマリエンベルクです。

 

▶ヴュルツブルクで家族7人旅が始まりました。

 8月16日。無事ホテルのチェックインを済ませ、荷物はあとで各部屋に入れてくれるということでお願いしたまま、ヴュルツブルク中央駅からICEでゆっくり座ってフランクフルト空港に向かいました。ここ3日間はゆっくり日記を書くゆとりがなく、列車内で思い出しながら日記を書きました。年々記憶力が落ちていくので、できるだけ早めに細かなことも記録しておかないと次の旅行に活かせないと思って書いていますが、こうした旅の記録は海外旅行毎に大学ノート1冊ほどになります。

 フランクフルト空港駅から第一ターミナルへのルートを歩くのは2回目。奈々子の飛行機は幸い息子の時とは違って比較的順調で、それほど待たずに出てきました。ドイツ鉄道パスのバリデートも今回はすぐに済み(これが当然なのです)、夕食のパンと飲み物を購入して19時35分発のICEミュンヘン行きに乗りました。ヴュルツブルク中央駅には21時頃到着。タクシーは朝と較べてずっと少なく、2台あったうちの1台に乗りました。夜の道はまっ暗で回りの景色が全然見えませんが、朝とは全く反対側のルートでしたので、もしかしたらふっかけられるかもしれないと内心ドキドキしていました。今朝のタクシーは2台ともチップ込みで23ユーロ払いましたが、今夜の運転手さんは21ユーロ強の料金を見せてくれたので、心の中で「疑ったりしてごめんなさい」と詫びながら22ユーロ払いました。トランクもにこやかにサッと下ろしてくれて親切な方でした。

 娘の部屋はシングルルーム。「日本に持って帰りたいぐらい可愛い部屋」と喜んでくれたので嬉しくなりました。私たちの部屋は広さもゆったり、ウォークインクローゼットもついていて高級感のある仕様でした。


娘が泊まった部屋の窓

 

▶フランケン博物館―ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館

 8月17日。昨夜は部屋ごとにちょっと寄って挨拶しただけの7人が、ようやく一堂に会したのが朝食会場。この部屋に入って皆がびっくりしたのは蜂蜜が巣からとりだした状態で置かれていることでした。下に流れ出てくる蜜をすくってもよし、蜂の巣ごと匙ですくってもよし。孫たちはこれを見て歓声を上げていました。テーブルセンターもなかなかお洒落な雰囲気。


このように出された蜂蜜を初めて見ました。いつもの蜂蜜とは一味違うような気さえします。


 食事をしながら今日の日程を確認。午前中だけはフランケン博物館-ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館(以後フランケン博物館)まで行きました。ここは、リーメンシュナイダー作品収蔵数世界一を誇る博物館です。その秀逸な作品群を孫たちの記憶に残したいのが私たちの願い。でもその後はそれぞれ見たい対象も違うので自由行動としました。

 市内まで7人でおしゃべりしながら歩いて丘を下り、バルバロッサ前のバス停からちょうど来たフランケン博物館行きのバスに乗りました。でもバス代をまとめて払おうとしたら「いいよ、いいよ」と手を振って受け取らなかったのが不思議です。
 こうした博物館歩きは孫たちにはしんどいかと思いましたが、リーメンシュナイダーの部屋も真面目に見ていました。ここで、親切な館員が館内の要所要所でチェックポイントがあり、クイズに答えると何かご褒美がもらえるということを教えてくれましたので、その後はチェックシートを手にして私の助言や翻訳機などを頼りに一生懸命答えを探して書いていました。担当者がそれとなくヒントをくれたりしていたせいか、思っていた以上に熱中していました。昨年来館したときは観客も少なく、集客力が心配になるぐらい静かな館内でしたが、今年は子どもの姿が多く見られて賑やかだったのはこの取り組みの成果でしょう。夏休みだったこともあるかもしれません。ただ、あまりにも答えを出すまでに時間がかかりすぎて問題も段々難しくなり、孫たちもヘルプする大人たちも最後はギブ・アップ。それでもリーメンシュナイダーの主立った名作を解説できたので満足です。

 博物館を出てからマリエンベルク要塞の庭園に回って市内の眺望を楽しみ、再びバスで丘を下ってマルクト広場の脇道にあるハンバーグレストランに入りました。店内には竹の柱があちらこちらに立ち、なかなか凝った作りです。手作りハンバーグと看板にうたっていたのですが、本当に美味しくて全員感激。良い昼食となりました。私たちにも初めてのお店でした。
 このあと、息子一家はフランクフルトの1泊を残して日本へのお土産を見たいということで別れ、奈々子はドイツ特製のガラス保温ポットを探したいというので私と町中へ。三津夫は帰ってゆっくりすると、一人で丘を上って戻ることになりました。夜は7時にホテルで夕食を予約してあります。それまで解散!

 奈々子が探していたのは、内部がステンレスではなくガラスでできていて保温力の高いポットだそうです。EMSAというドイツメーカーの製品で、日本でも買えないことはないけれど大変高いのだとか。こちらで買って帰りたいと意欲満々。これはつきあうしかないなと観念して生活用品を探し歩きました。でもそれに近い製品はあってもなかなかEMSAはないのです。結局諦めて、丘を上り、ホテルに帰りました。三津夫も「一人でちゃんと帰ってこれたよ」と余裕の顔。息子一家は下の孫が靴擦れしてしまい、タクシーで帰ってきたとか。この日は日傘を差すほど暑かったので、やはり疲れました。



「この席だね」と座った7人用のテーブルと、その後出てきたご馳走 

 午後7時。私はレストランの中庭ではなく、室内に7人分の席を予約していた(タバコの煙と虫を避けたくて)ので、ここだなと思って写真の席に座ったのでした。しかし、なぜかウェイターが憮然とした顔で私たちのテーブルにつかつかとやって来て並んでいた食器を無言で片づけ始めたのでどうしたのだろうと思っていました。しばらくすると違う食器を持って来て並べ始めるのです。感じが悪いので、「朝、室内でと予約をしていたのですけれど」と言うと、ふっと表情が和らぎ「外に準備していたものですから」と。どこかで行き違いがあったのでしょう。その後は丁寧に食事のメニューを案内してくれるようになりました。写真で見るようにご馳走が出てきましたが、せっかくの金婚式ディナーは正直私たちには塩味が強くてなかなか全部は食べきれないのが残念でした。


▶フランクフルトでトーマスと会いました。

 8月18日。ヴュルツブルクとは今日でお別れ。私たちも数え切れないほど訪ねた町ですが、親切だったペーターが亡くなり、ご家族とはあまり連絡がうまく取れず、ここに来ることはもうないかもしれません。でもリーメンシュナイダーの工房があって素晴らしい彫刻をたくさん作った町。一生忘れることはないでしょう。

 今日はフランクフルト中央駅まで行き、お昼をトーマスと一緒に過ごすことになっています。去年は帯状疱疹で大変な思いをしたトーマスがやっと杖で歩けるまでになってルースと一緒にフランクフルトのホテルまで訪ねてきてくれましたが、今日はルースが実家の集まりで来られないため、一人で来てくれました。もう長時間の飛行機の旅は難しい彼らが孫たちに会えるのは滅多にないチャンスです。

 ホテルからヴュルツブルク中央駅までは予約しておいたタクシーで向かいました。列車も順調。フランクフルト中央駅前のホテルはまだ早くてチェックインできませんでしたが、トランクを預け、息子のスマホナビを頼りにトーマスの待つカフェに歩いて向かいました。
 トーマスは元気そうな顔で私たちを既に待っていてくれました。奈々子は何度も会っていますので、まずは息子一家が自己紹介。持って来たお土産を渡し、昼食の注文。この辺りから孫たちの様子がおかしくなりました。外の大きな木の下のテーブルだったのですが、大きめの蠅が飛び回るのです。特に甘い料理にたかってきます。それが怖くてキャーキャーと逃げ回るのでした。息子の連れ合いも虫は大嫌いでいつもなら孫たちと一緒に叫ぶところ、さすがにトーマスがいるのでグッと我慢したそうです。虫を追い払いながらなんとか食事を終えたところで室内に席を移してもらい、今度は虫も飛んで来ないのでゆっくりとデザートをいただきました。


この日は元気そうなトーマス 正面は娘の奈々子です。

トーマスとの帰り道。足取りも元気で杖なしでさっさと歩く姿を見て本当にホッとしました。今も散歩をしながら筋力を戻しているところだそうです。「ルースによろしくね」と挨拶して旧オペラハウス前でお別れしました。ここから息子一家も買い物へ。奈々子と私はまたまたポットを探しに。三津夫は大きな本屋さんで本を見てからベンチで集合ということにしました。
 地図ではその近くにEMSAの支店があったので探し回りましたが、現在は移転しているとのこと。その案内の通りに行ってもどうしても支店が見つからず、結局諦めて合流のベンチへ。夕食は駅でそれぞれ買ってきたもので済ませました。淡々としたものです。


▶息子一家は帰国し、残り3人でシュトゥットガルトへ

 8月19日の朝はホテルで7人旅最後の朝食を一緒にとり、フランクフルト中央駅で少し空港への行き方を息子にレクチャーしながら一日券を購入。時間はゆっくりあるので自分たちで好きなところにいってから空港へ向かうと言います。トランクを預けるところまで皆で顔を合わせ、ホテルのラウンジでお別れ。奈々子と私たちは一足早くシュトゥットガルトに出発しました。息子一家の無事の帰国を祈りながら。


◆ここまでで7人旅は終わります。残る3人旅からは来年また書くことにします。

 皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA


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325. 18回目のドイツ旅行(5) 家族6人旅 ローテンブルク→ヴュルツブルクへ

2023年12月13日 | 旅行

▶ミュンヘンからローテンブルクへ



ローテンブルクの町中にかかる看板 

▶ミュンヘン中央駅でも再び「ドイツ鉄道問題あり!」でした。

 8月14日は皆で一緒に朝食を取りました。なかなか潤沢なメニューで、息子一家は美味しいと感激しながら食べています。今までのホテルよりは格上なので料金もそれなりにかかりましたからね。でもほとんどの人がタバコを吸える外で食べるので、室内に運んで食べている私たちはごく少数派。この日など、まだ楽しく食べている最中に食堂の電気を消されてムッとしました。ちょっと中を覗けば6人が食事中だとわかるはずなのですが。このホテルも工事中で臨時の部屋使いだからかもしれません。

 さて、駅に着き、9時35分発トゥロイヒトリンゲン行きの列車の番線を確認すると、なかなか表示が出てこないのです。何人かが車掌を取り囲んでどうしたのかと聞いています。そうこうしているうちにも列車の時間は過ぎ、結局カットされてしまったことがわかりました。せめてカットしたことぐらい表示してほしいものです。
 仕方なく約1時間後の列車を皆で待つことになりました。今度の列車では何とか座席も確保できてホッとしましたが、トゥロイヒトリンゲンで乗り換えたときは大混雑。乗り換えるシュタイナハまで約1時間を車両間の狭間に我が家6人だけでなく倍ぐらいの人数がぎゅうぎゅうに乗り合わせました。車内の座席にも立つスペースがありません。辛うじて座席に寝そべっていた女の子を座らせてその家族が私を座らせてくれましたけれど、暑さを我慢しながら皆の様子を見つつ座っていてもやはり心が疲れました。 

 シュタイナハで乗り換えてローテンブルクの宿に何とか落ち着いたのは午後2時を過ぎていました。私は明日クレークリンゲンまで行くタクシーをフロントで頼み、6人乗りタクシーが予約できてようやく気持ちが落ち着きました。


▶ローテンブルクの町でリーメンシュナイダーを見ました。

 ちょっと一休みしてローテンブルクの街に繰り出したのは午後3時過ぎ。まずは聖ヤコブ教会に行ってリーメンシュナイダーの三大傑作祭壇を見学。小さな声で孫2人に内容を説明して、案外しっかり聞いてくれたのにホッとしました。彼らにとって本物のリーメンシュナイダー作品を目にしたのはこれが初めてのこと。心に残ってくれることを祈りつつ、その後はケーテ・ヴォールファールトクリスマス博物館や店舗を回り、雰囲気のある街角(トップ写真)を眺め、シュニーバルを買って頬張り…。息子もよく家族の面倒を見てみな楽しそうでした。私は何だか疲れが出て出窓に座り込んだりしながらお土産屋さんを覗く皆を待ちました。
 最後にドイツ料理が美味しいローター・ハーンに入って夕食をとろうと思ったのですが、何だか雰囲気が違います。壁にはカラフルな帽子が掛かっていて、落ち着いた美味しいドイツ料理のメニューが見当たらず、何とメキシコ料理店に様変わりしていたのでした。私は恥ずかしながらタコスを食べたことがありませんでしたので、ここは息子一家のリードに任せました。彼らはドイツ語は読めなくてもササッと翻訳機で見て注文する品を決めていきます。メキシコ料理も食べたことがあるのでしょう、あれこれ迷いなく注文してはよく食べ、よく飲み、つつがなく一日が暮れていきました。



ローター・ハーンのカラフルなタコス入れ

 ドイツには網戸というものがほとんどありません。暑い日はやはり窓を開けたままで寝たいのですが、ちょっと用があって灯りをつけると蛾や虫が飛び込んでくるのです。私たちが泊まった宿は昔ながらの小さな旅館。虫嫌いの息子の連れ合いと孫たちは大騒ぎで大変だったようです。私たちの部屋にも大きなアブのような蠅(?)が2回ほど入り込み、三津夫が奮闘してやっつけてくれたあとは落ち着いて休むことができましたが、こう暑い夏だとやはり大きなホテルでクーラーの効いた部屋の方が安心だと思ってしまいます。でも休むベッドも食べるご馳走もない人たちのことを考えるとこんなことは言っていられませんね。情けない…。


▶ローテンブルクからブッフ・アム・ヴァルトへ

 8月15日は私にとって孫たちとの一番の記念になると思われる日でした。第一目的は写真集を作るきっかけをくれた故ヨハネス・ペッチュの家を訪ね、手押し車で生活しているフリーデルに孫たちを会わせること、第二目的は既に321. 18回目のドイツ旅行(1) 旅の概略とハイライトでご報告した「マリア昇天礼拝」に家族皆で参加することでした。2007年に奈々子と三津夫と一緒にヨハネス・ペッチュが連れてきてくれて参加したのが初めてで、このとき深く感動し、私の写真展ではこのときに撮れた写真をチラシのメインとして載せてきました。ただ、この写真は2.4MBしかなくて大きく引き延ばすことができませんでした。次回の写真展では2023年8月15日に写した写真をチラシやポスターに活用しようと考えています。

 朝、たっぷりの朝食を食べて旅館前に皆集合。フリーデルに渡す花束も用意できました。約束の時間よりも早めに旅館の前に来てくれたタクシー運転手さん。誠実そうな方で、これなら今日一日安心しておまかせできそうだと思いました。ブッフ・アム・ヴァルトまで順調に走行、ちょうど約束の10時頃にフリーデルの家に到着しました。タクシーは午後1時10分に迎えに来てくれる(彼自身がクレークリンゲンへの時間を計算して決めてくれた時間でした)ということで一旦お別れ。

 フリーデルは手押し車を使いながらも私たちのためにケーキを焼き、珈琲を煎れて待っていてくれました。昨年訪ねたときはお世話をしてくれるエリーナさんが一緒に生活してくれていたので安心でしたが、どういう事情か今は一人住まい。よくこれだけの食器やケーキなどを一人で用意してくれたものだと驚きました。彼女のきれいに整った住まいも荒れた様子はなく、息子一家にドイツ人の住まいと広い庭を体験してもらう良い機会となりました。フリーデルは今年91歳。ドイツの友人の中で最年長です。いつまで長生きしてくれるか、楽しみに見守りたいと思います。



サンルームの食卓でフリーデルと


▶ブッフ・アム・ヴァルトからクレークリンゲンへ。

 フリーデルの家に再び時間通りに迎えに来てくれたタクシーでラインハルト家へ。クレークリンゲンが近づいたら町中に入るのではなく、左折して教会に向かう坂を上り始めたので、あわてて運転手さんに「教会に行くのではなく、朝お渡しした住所に行ってください」とお願いしました。てっきりこの日は教会に行くものだと勘違いしたようですが、すぐにUターンしてくれました。町の入口近い坂を上がっていくとラインハルト家があるのです。彼らの家に着いてベルを鳴らし、イングリッドさんの顔を見て安心しました。いつもは彼らが車で案内してくれるのでドアが閉じたままの玄関は見慣れない感じがしたのでした。今日はヴォルグガングさんは大病の治療の合間で家にいらっしゃって、私たちの送り迎えなどもできるとのことでご厚意に甘えさせていただきましたが、実際にお顔を見るまで心配でした。でも彼の表情も明るくて胸をなで下ろしました。

 ラインハルト家でもイングリッドさん手作りのケーキをいただき、もうお腹が一杯。広い居間で孫たちは人形遊びを楽しみ、夕方4時半にお二人が車をそれぞれ運転してくださって合計8人でヘルゴット教会に出発しました。幸い2台分の駐車スペースがあってホッとしました。
 入口まで行くと見慣れた女性が「Frau Fukuda!」と言ってくれたのでとても嬉しくなりました。私の方ではお名前が思い出せず、ごめんなさい。撮影禁止の表示が相変わらず壁にかかっていましたが、彼女に撮影の許可をもらって一番後ろの壁際で三脚を立てて準備。三津夫、孫たちはラインハルト夫妻と一緒に前方の席で静かに座っています。「マリア昇天礼拝」が始まり、途中まで明るい光が祭壇の左隅に当たっていたのですが、一時パッと消えたので「何とかマリア様のお顔に当たる時間までには戻ってきてくれますように」と祈りながら撮影しました。皆の願いは届き、11分後には光が戻ってきてくれました。2007年は午後ずっと曇っていたのですが、夕方になると晴れ上がり、じっくり光の饗宴を見学することができたのです。2回、この礼拝時にヘルゴット教会にいて、2回とも祭壇中央の光を拝観できるとは、多分、私たちはお天気運がとても良いのでしょうね。


▶ローテンブルクからヴュルツブルクへ。

 8月16日。朝はゆっくり食事をとって、9時5分発の列車でヴュルツブルクに向かいました。始発列車なのでゆったり座って、乗り換えもスムーズ。ヴュルツブルク中央駅に予定通り10時17分頃到着。
 その後は私にはちょっと忙しい日。なぜなら今年は金婚式のお祝いも兼ねて普段はとても泊まらないお城のホテルを予約してあったからです。このホテルに行くにはバス便もトラム便もないのですが、重いトランクを転がしながら歩くにもまた大変な距離がありました。高い丘の上に建っているのです。ここはタクシーという選択肢を選ぶしかありません。

 そこで、ヴュルツブルク中央駅についてから、まず皆でホテルまで荷物を持ってタクシーで行き、荷物だけホテルに預けてから歩いて町へ下りました。荷物無しで歩いても、町まで30分はかかりました。
 リーメンシュナイダー作品の宝庫である市内
のマリア礼拝堂や大聖堂を案内してから、息子一家の希望の一つでもあったノルト・ゼーで昼食をとりました。その後の市内観光は三津夫が引き受けてくれて、5人で夕食まで済ませてもらいます。私は歩きで先にホテルに戻ってチェックインを済ませ、また歩いて駅まで行って特急でフランクフルト空港へというスケジュール。奈々子が「一人で平気よ」と言っていれば任せてホテルで待ったかもしれませんが、ホテルがとても不便なところにあるだけに、娘が夜遅くにヴュルツブルク駅から一人でタクシーに乗るのは気がかり。「迎えに来てくれるんでしょ?」と言われて「うん」と言ってしまっていたのでした。続きは次回に。


一人でホテルに戻るときに見かけた可愛い汽車。これは初めてみました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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324. 18回目のドイツ旅行(4) 家族6人旅 フランクフルト空港からミュンヘンへ

2023年12月12日 | 旅行

▶フランクフルト空港で息子一家と合流してミュンヘンへ

 


アルトエッティング、聖フィリップ・ヤコブ  カトリック教会 
 アルトエッティングの
扉のマイスター 1518年~20年頃

▶真夜中にたどりついたミュンヘン中央駅

 8月11日。アイゼナハからやってきたフランクフルト空港。12日前にフランクフルト空港から入国したばかりなので、今度は迷わずに行けるだろうと考えて、遠距離列車ホームの上で連れ合いにトランクを預け、私1人で第1ターミナルまで迎えに行きました。ところが一歩外に出たらすでに来たときとは景色が変わっていて面食らいました。確かに大きな工事中ではあったのですが、この前下車した場所でバスに乗ろうと思っても、その乗り場が見つけられず心細いことったら…。無事に戻って来られるようにスマホで撮影しながらやっとバスに乗り込み、なんとか第一ターミナルに着きました。息子一家が乗った飛行機は到着時にトラブルがあって一度やり直したとかで、予定より大分遅れていました。息子と連絡を取り合いながら待っていると、ようやく孫の顔が見えてホッとしました。皆疲れた様子です。取りあえず空港の長距離列車ホームに戻るのですが、またまた前回乗ったエレベーターが見当たりません。我ながら記憶力と位置情報の弱さには参りました。
 何とか遠距離列車ホームにたどり着き、三津夫と合流。息子一家はライゼツェントルムにドイツ鉄道パスのバリデートをしてもらいに行きました。でもなかなか戻ってきません。せっかくミュンヘンまでの列車で6人分の座席指定をしてあるのにその列車に間に合うかどうかギリギリです。息子が呼びに来たので私も駆けつけ、若い車掌にバリデートしてくださいと伝えても「バリデートって何ですか?」ときょとんとしているのです。「今日からこの鉄道パスを使うので、彼らのパスポートを見て確かめたらここに判を押してください」と説明しても、どうしたものかとおろおろ。離れた席の先輩のところにいってお客さんの対応が途切れるまで待ってやっと作業の確認ができたようで戻ってきました。私のイライラは爆発寸前。「2~3分もあれば終わる作業が何でわからないのか?」と。最近はデジタルの鉄道パスがほとんどで、担当の若者は紙のパスを見たことがなかったのかもしれません。やっとバリデートを済ませ、三津夫と一緒にトランクを持ってホームに下りたら結局予定の列車は既に出発した後。ガッカリしました。こんなときは「いつものように遅れてきてくれたら良かったのに」と思ってしまいました。
 仕方がないので遅めの夕食を買い出しにいき、次にミュンヘンまで直行で行ける列車を待つことにしました。フランクフルト空港からミュンヘンまでは3時間35分かかります。到着はほぼ真夜中になりそう。幸い次の列車で隣同士の空席があって座ることができました。何とか買って来たパンで食事をしたあと、孫たちは丸まって眠りこけていました。やれやれ…。

 ミュンヘン中央駅では、すぐそばにあるはずのホテルなのに暗くてなかなか入口を見つけられず、スマホでここしかないはずだと工事中らしき囲みの中に踏み込んでみたら、なんとそこがホテルの入口だったのでした。翌日は息子一家は日本語ツアーを予約しているので、彼らの朝食だけはホテルに申し込み、私たちはゆっくり別行動することにしました。お疲れさま!


▶アルトエッティングの大天使ミカエル像

 8月12日。7時45分にツアーに無事合流できたと息子から連絡があり、ホッとして私たちはパンを買いに行きました。その時に気が付いたのですが、ホテルのドアには薄い文字で名前が書かれていました。だから昨夜は見えなかったのですね。
 アルトエッティングには「アルトエッティングの扉のマイスター」と呼ばれる彫刻家が彫った教会の入口扉(トップ写真)があり、いつか見に行きたいと思っていました。
 アルトエッティングの駅前は静かでしたが、教会まで行くと結構観光客もいて賑わっていました。特に教区教会にある黒いマリア像が有名らしいのですが、堂内ではミサをしていたので中には入れませんでした。その後で訪ねた聖フィリップ・ヤコブカトリック教会でようやく長いこと見たいと願っていた扉彫刻を拝観することができました。

 この教会は大きく、見応えがありました。その中で見た大天使ミカエルの写真を載せておきます。


アルトエッティング、聖フィリップ・ヤコブカトリック教会 大天使ミカエル像


 それにしても今回の旅ではいつも以上に聖ゲオルク像に出会ってきたような気がします。聖ゲオルクの闘う様子にも様々あり、竜の風貌も大きさもずいぶんと違うものです。一方でこの教会のように大天使ミカエルがやはり竜退治をしている像もあり、聖ゲオルクの場面と大天使ミカエルの場面では竜退治の意味がどう違うのかといつも迷っていました。そこで、この項を書く前に検索をかけてみたところ、
ある文献が出てきました。それは何と植田重雄先生の書かれた「早稲田商学第333号(平成元年2月)ドイツ・スイスにおける年間民俗行事研究」でした。平成元年といえば1989年、今から35年も前のことです。植田先生が早稲田大学を定年・退任されて後の研究論文のようです。
 全部で90頁という長い論文ですが、その中の11頁に第二章として「竜退治の聖ゲオルクの展開」が、19頁には第三章として「守護天使ミカエル」がまとめられていました。

 第二章「竜退治の聖ゲオルクの展開」では、元々人類の原初の時代から爬虫類との闘いがあり、世界中のあちらこちらでそれぞれの王や聖者、英雄たちと龍(場合によっては蛇、鰐、鯨など)との闘いの伝説が語り継がれているそうです。
 さらに、第三章は「地上のもろもろの悪にたいし、闘う守護聖者ゲオルクがこの世界に存在しているように、天上には天上の悪と闘う守護天使ミカエル(Michael ミヒャエル)がいる。」と始まります。そして24頁では、
「龍として象徴される荒々しく混沌として無秩序なもの、あるいは闇と闘い、これを制圧する光と正義、秩序を実現しようとする存在が、守護天使聖ミカエルであり、守護聖者聖ゲオルクである。ミカエルが天の叛逆者を制圧しているのに対して、ゲオルクはこの現世の悪逆にたいして正義を守る存在である。両者が相応じていることによって、ヨーロッパのキリスト教文化は保持されていると考えられる。」とまとめておられました。様々な例を挙げ、聖ゲオルクや、彼と同じように殉教した聖セバスチアンが、民衆を疫病や災いから守ることのできる守護神になっていく様子なども詳しく書かれています。何回か読み直すともっと理解が進むかと思いますが、今回は聖ゲオルクと大天使ミカエルの竜退治の場面に絞ってここに抜き書きさせていただきました。
 ※植田先生はタイトルの「竜」と違う「龍」の文字を文中では使われていましたのでそのまま書き写しました。

 今まで両者の関係がよく掴めずにいた私は、先生のこの論文のおかげで、同じような竜退治の場面が描かれていても、天上の守護天使ミカエルと地上の聖ゲオルクの違いが納得できるようになりました。

 ここまで書いたところで三津夫に論文のことを報告すると、本棚から『守護聖者──人になれなかった神々』(植田重雄著 中公新書)を取り出して「この本を見れば簡単にわかるのに」と言われてしまいました。植田先生は論文をちゃんとこうして2年後に出版していらしたのですね。どうも私が三津夫に頼まれてアマゾンで買った本らしいのですが、読んでいなかったので完全にすっぽ抜けていました。失礼しました。まずは我が家の図書管理者に聞けば良かったと反省しています。


▶夜は皆でミュンヘンのビアホールへ。

 この日の夜はノイシュバンシュタイン城ツアーから戻ってきた息子一家と合流してミュンヘンでビアホールに行くことにしていました。ただ、ドイツの人々は外ではタバコを吸うことが大変多く、私は安心して食事ができませんし、孫たちにもよくありませんので、早めに室内の席を予約したいと思っていました。そこで午後は三津夫と下見にあちこち回りましたが、評判の良さそうなビアホールは既に満席。最後にマリエン広場の市庁舎地下にあるラーツケラーに入ってみたところ、「予約は必要ありませんよ。いつでもどうぞ」と言われ、半分安心しつつも半分不安でした。

 まだ時間があったので、ライプツィヒと同じようにミュンヘン中央駅でもライゼツェントルムに行き、6人分の座席指定をした列車にバリデートの時間がかかったため乗れなかったと訴えました。でも今回は冷たい顔をした男性で「返金はできません」とにべもありません。そこで「フランクフルト空港駅で鉄道パスのバリデートの仕方がわからない担当者がいること自体がおかしい。きちんと教育するよう是非伝えてください」と切り上げました。ついでにライプツィヒでもらっていた Gutschein 20 ユーロ分を元に明日の地下鉄やバスを乗るのに使えるバイエルンチケットを買いました。

 夕方、無事にツアーから「楽しかった」「きれいだった」と帰ってきた息子一家と再びマリエン広場に行きました。パンダのぬいぐるみと一緒に写真を撮ったり、ちょうど回り始めたからくり時計を見上げたりしてからラーツケラーに下りました。入口付近は満席でしたが、どんどん奥へと案内され、ちゃんと6人で丸いテーブルを囲むことができました。息子一家もおおいに飲んで食べて、皆満足したようでした。


▶今日も別行動でラーマースドルフに向かいました。

 8月13日。この日は息子一家はギュンツブルクにあるレゴランドまで列車で出かけました。1日遊び倒すのだそうです。とても私たちはつき合いきれないので、こちらは地下鉄に乗ってミュンヘン近郊のラーマースドルフへ。
 ラーマースドルフのマリア被昇天カトリック巡礼教会ではグラッサー工房作の磔刑祭壇を拝観。厚手の塗りのせいもあるかもしれませんが、あの躍動感あふれるモーリス・ダンスの踊り手たちに較べ、ぐっと感情を抑えた静かな磔刑群像でした。


ラーマースドルフ、マリア被昇天カトリック巡礼教会 
 エラスムス・グラッサーとその工房 磔刑祭壇 1482年頃                                   



 その後、市内に戻ってからバスに乗ってバイエルン国立博物館へ。日曜日は入館料が1ユーロです。ヴェニガーさんはお忙しいので後日会うことになっていましたから、私たちだけでゆっくりと館内を巡ると、今までは見ていないと思われるハンス・ムルチャーの作品が数点まとめられていました。

 明日は家族旅行第二の宿泊地、ローテンブルクに向かいます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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323. 18回目のドイツ旅行(3) 2人旅 デュッセルドルフからアイゼナハまで

2023年12月09日 | 旅行

▶取りあえずハンス・ブリュッゲマンを離れて…

 


世界遺産のあるナウムブルクの町角で

 

▶まずはデュッセルドルフへ

 8月6日。リューベックからデュッセルドルフへは近いようで結構時間がかかるのでした。私はドイツ鉄道のウェブサイトで列車検索をしているのですが、この日はハンブルクまで南下して、ここから FLX 1341 という列車でデュッセルドルフまで行くことにしていました。ここで「あれ?」と思われた方はドイツ鉄道に余程詳しい方ですね。そうなんです。ここは同じ駅から同じ駅まで行く列車でも違う会社が運営している者列車だったのです。だから予約席も無いんだなと。結構地域の列車で色違いの準急のような列車も入っているのでそれなのかなと思っていたのですが…。

 ハンブルクから無事に予定していた FLX1341 に乗車。発車してからしばらくすると検札が来て、ユーレイルパスを見せたことろ「これでは乗れませんよ。次の停車駅で下りてください」と言われてしまいました。若い車掌さんでしたが、だから何度も「乗車券無しで乗っている場合は600ユーロ支払わなければならない」と注意喚起をしていたのだなとやっとわかりました。私たちはちゃんとユーレイルパスを持っているので安心だと思っていたのでしたが。空席があったので座っていたのですけれども、途端に怖くなって席を立ち、トランクと共に乗降口に移って「一体次はどこに下りるのだろう」「デュッセルドルフまで行く列車は何番線から何時発なんだろう」とあれこれ検索。でも FLX の走行ラインがわからないので、下車してみるまで見当がつきませんでした。下りた駅はオスナブリュッケで、数分後にデュッセルドルフ行きが出ることがわかり、大急ぎで番線移動。この間お腹の大きなおじさまから若いお兄さんたちにトランク運びを助けてもらうことができ、無事にデュッセルドルフ行きに間に合いました。感謝、感謝 この旅で2回目の緊急事態もこうして無事に脱出することができたのでした。

 デュッセルドルフでは駅のすぐそばの大きなホテルでチェックインもスムーズ。行きたかったのは Kunstmuseumでしたが、以前チェックしたときは閉館だったのです。詳しい情報がわからないので一時的なものかと思い、ホテルマンに尋ねると開いているとのこと。あ~、よかったと雨の中傘を差しながら歩いて行きました。ところがやはり閉館中でなにやらコンサートを開催していましたがオットーボイレンのマイスター作品「クリストフォロス」はまたの機会に先送りです。帰り道の途中にあった美術館 K20 に入るもガッカリ感が尾を引き、あまり楽しめませんでした。疲れた身体で駅まで歩く途中リトルトーキョーを通り、ラーメン屋さんが何軒かあったのでラーメンを食べて疲れが飛びました。ちなみにこの日の歩きは17,240歩でした。

 8月7日は列車でライプツィヒまで移動するのですが、一旦フランクフルトまで行って乗り換えるというルートになります。午後3時までには着くはずでしたが、フランクフルトへの列車が40分遅れたため、座席指定を取ってあった列車に乗れませんでした。この日のフランクフルトはすごく寒くて駅で待つ間に体が凍えそうになりました。ライプツィヒには結局2時間ほど遅れてやっと到着。散々な日でした。
 あまりにも悔しいので
ライプツィヒのライゼツェントルムで使えなかった座席指定について返金を求めました。このためにも相当待って待ってやっと呼ばれ、返金することはできないけれど次回ドイツ鉄道を利用するときに使えるという50ユーロ分の書類を出してくれました。感じの良い女性担当者のおかげで少し気分も回復。

 ライプツィヒ中央駅は大変大きく、買い物もあれこれできて便利。駅真ん前のホテルの部屋も美味しい珈琲が作れるマシンがついていて、ゆっくり過ごすことができました。ここを足場に8日はナウムブルクの大聖堂(世界遺産)まで有名なウタ像を見にいき、9日はドレスデンへ足を伸ばして何回目かの緑の丸天井へ。ペーター・デルのレリーフ3枚を探し回りましたが、やはり見つけることはできませんでした。残念。この辺は三津夫のブログに詳しいのでご覧ください。

〔611〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く③ 世界遺産、ナウムブルク大聖堂で美しいウタ夫妻の彫刻に対面しました。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

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リューベックから向かったのは3回目の訪問のデュッセルドルフでした。じっくり市内を巡るのは初めてでした。ここに1泊して次はライプツィヒに3泊です。デュッセルドルフでは...

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〔612〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く④ 「アルトエッティングの扉のマイスター」の扉をガン見する。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

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ライプツィヒ滞在の最終日、ドレスデン国立美術館を訪ねました。ここは2020年11月17日に世界を揺るがす大盗難があったところです。巨額の金銀財宝が盗まれたため、入場の際...

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▶ライプツィヒからアイゼナハへ

 8月10日は2人旅第一弾の最終宿泊地。2010年から交流のある友人エルケさんを訪ねました。お連れ合いのウヴェさんを亡くしてから町の中心部近くに住まいを移し、1人で静かな生活を送っています。アイゼナハ駅に着くとエルケさんと何となくつかず離れず歩いてくる大柄の女性が…。どなたかと思ったらミュンヘンにいる娘さん、ウルリケがたまたまこちらに来ているのでした。まずは一緒にホテルまで行って荷物を預け、その後もう少し歩いてエルケさんのアパートへ。手作りの昼食をいただき、少しずつウルリケさんとも話を交わしてミュンヘンの町でどこのビヤホールが良いかと盛り上がったり。娘さんはその後用事で出かけ、エルケさんと3人であれこれ買いものをしてから車でウヴェさんのお墓参りに。去年来たばかりなので大体のお墓の位置は覚えていてささやかな花を供えて祈りました。
 その後は友愛記念碑の建つ丘の上まで行って、遠くにヴァルトブルク城を見ながらあれこれお喋り。昔住んでいたという家にも連れて行ってくれました。でも道が狭くて、よくこんな細い道路で駐車できるものだと感心するほどでした。
 夜の食事にはウルリケさんも戻ってきて一緒に楽しく話しながらいただきました。エルケさんは「明日は娘と近くの山歩きを予定しているの。あなた方が午後ゆっくり時間があるとは知らずに申し訳ない。明後日からは天気が崩れるので明日しか行けないの。ごめんなさい」と言うので「明日はゆっくり教会巡りをするから大丈夫よ」と言ってお別れしました。第一目的のお墓参りと、エルケさんとのお喋りが出来たので、十分満足です。

 8月11日。この日も良く晴れた暑い日。ゆっくり朝食を食べた後、ちょうどテレビでワールドカップ女子サッカーの「なでしこ対スウェーデン戦」を中継していたため目が離せず、10時50分まで粘って応援しながら見ていました。その後チェックアウトしてからトランクを預け、聖ゲオルク教会に行ったところオルガンコンサート中で中には入れませんでした。今回の旅では聖ゲオルク像に度々出会うので、アイゼナハの中でも大きな聖ゲオルク教会にあるゲオルク像はどんなものかと見ておきたかったのです。そこで早めのお昼を買って食べてから再び教会に出向きました。ところが、どこを探してもそれらしき彫刻は見当たりません。教会の人に尋ねたところ、「聖ゲオルクはステンドグラスにあるだけなんですよ」と申し訳なさそうに言っていました。教会前の広場には金色のゲオルク像が建っているのですが、残念。でも考えてみればステンドグラスに聖ゲオルク像は珍しいので、写真に写してきました。 

 


アイゼナハ、聖ゲオルク教会のステンドグラスと広場のゲオルク像

 

 このあと私たちはフランクフルト空港まで列車で行き、息子一家と合流しました。次回からは家族旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

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322. 18回目のドイツ旅行(2) 2人旅 コペンハーゲンからリューベックまで

2023年12月06日 | 旅行

▶ドイツからコペンハーゲン、シュレースヴィッヒ、リューベックを訪れた目的とは?


シュレースヴィッヒ、聖ペトリ大聖堂の「ボルデスホルマー祭壇」1521年  Hans Brüggeman
 ※元々はボルデスホルムにあるアウグスティヌス教会参事会教会に設置されていました。

 

▶ハンス・ブリュッゲマンがテーマの旅

 昨年の秋には初めてシュレースヴィッヒの大聖堂を訪れ、この頁のトップ写真として掲載した偉大なる「ボルデスホルマー祭壇」を拝観しました。北ドイツで最大の祭壇(高さ12.6m)だそうです。そのとき、私たちはハンス・ブリュッゲマンの力量に感銘を受け、その場で『Bordesholmer Altar(1521)』という冊子を買い求めました。その冊子を資料として今年は近隣にあるブリュッゲマンおよび工房等の作品を訪ねておこうと以下のように計画したのです。

 ★デンマークのコペンハーゲン国立博物館・歴史博物館:ブリュッゲマン作 聖ゲオルク像を見る
 ★シュレースヴィッヒ大聖堂を再訪:昨年はうまく写せなかった祭壇を丁寧に写す
 ★シュレースヴィッヒ、
ゴットルフ城博物館:ブリュッゲマン作、または周辺作家による作品を見る
 ★リューベック、聖アネン博物館:ブリュッゲマン作 「跪く聖人(大ヤコブか?)」を見る

 旅の1)は、こうしてハンス・ブリュッゲマンを訪ね歩くというテーマで5日間動き回りました。


▶まずはデンマークへ出発

 デンマークのコペンハーゲンまではドイツから列車で行けるので、私たちはフランクフルト空港で1泊し、翌日列車でコペンハーゲンに向かう予定でした。ドイツの友人たちは飛行機で行くと思っていたようですが、グローバルユーレイルパスを持っているので、わざわざ飛行機の切符を買う必要もありません。こうした列車旅も時間がゆっくりある老夫婦の特権でしょうか。

 8月1日。朝8時にフランクフルト空港駅を出発し、ハンブルクで乗り換えてコペンハーゲンへ。乗り換え時間に余裕を持っての列車選択に頭を悩ませ、一度乗り換えればコペンハーゲンまで行ける列車で行くことにしたのです。どちらも5時間前後の長旅なので座席予約は必須。日本にいる間にインターネットで汗をかきかき座席を予約できたときにはホッとしました。乗り換え時間が50分あるのでまずは大丈夫でしょう。大きな遅れも事故もなく、無事にこの2本の列車でコペンハーゲンに到着したのは午後8時近くとなりました。
 コペンハーゲン中央駅を出ると町は暗くて景色もわからず、少しウロウロして何とかたどり着いたホテルは、人は良さそうだけどエレベーターがありません。階段でトランクを運ばなければならないと予め情報は届いていましたが、それにしてもこの年寄り夫婦を3階の部屋にしなくても…とぼやきながら疲れた身体で何とか運び上げました。途中若い女性が少し手伝ってはくれましたが、なかなかきつい体験でした。部屋もベッドも狭くて、旅の始まりとしてはちょっと意気消沈した夜となりました。

 8月2日、早速コペンハーゲン国立博物館に向かって歩き、念願の「聖ゲオルク像」を堪能しました。これはリーメンシュナイダーの静かでアンニュイな雰囲気を持つ聖ゲオルク像とは正反対で、長い槍を既に竜の喉に突き刺して最後のとどめを打とうと鋭い剣を振りかざしている姿。今にも「我こそお前を征伐する者だ!」という音声が聞こえてきそうな迫力を感じました。この彫刻も皆さんにお目にかけたいところですが、残念ながら美術館・博物館の作品は勝手に載せられないので興味のある方はネット検索をしてみてください。


コペンハーゲン国立博物館・歴史博物館


博物館の奥にある宮殿 丸く並んだ石がおもしろくて写しました。

 

▶次はシュレースヴィッヒへ

 8月3日。この日はコペンハーゲンからハンブルクに向かう特急が停車するシュレースヴィッヒに宿を取りたかったのですが、駅の近くには宿の空きがなく、2駅手前のタープという町に宿を予約していました。しかし1時間に1本しかない列車では行ったり来たりが大変。できればシュレースヴィッヒ駅でコインロッカーはないか見てみて、無ければ2駅準急列車で戻るしかないと覚悟はしていたのですが、タープまで行く列車で戻り、ホテルにチェックインしてまたシュレースヴィッヒまで戻ってくると2時間はロスしてしまいます。シュレースヴィッヒはもっと大きな町かと思いきや、鉄道駅近くは閑散としたものでコインロッカーはおろか、荷物預かり所も見当たりません。すぐ近くに何か聞けそうなのはと見回したところ、下に掲載した写真のKioskだけしか見当たりませんでした。
 中に入って「この近くにコインロッカーか荷物預かり所はありませんか?」と店の女性に尋ねると、気の毒そうな顔で「ここには無いんですよね」とのこと。困ったなぁという顔をしながら「夕方まで預かってくれるところを探しているんですが」と言うと、「何時頃までですか?」と。「夕方4時か5時頃までお城博物館を見て、ここに宿が取れなかったからタープまで戻るんですけど」「このキオスクは午後6時までですから、確実に戻ってきてくれるのであればここで預かることはできますが」との返事。その瞬間、心がパーッと明るくなりました。「はい、必ず6時前には戻ってきます」と約束して大きなトランクを2個預けることができたときには、その親切なおば様と神様(無宗教ですけれど)に心から感謝しました。そして、まずはここでお昼の食べものと飲み物、少しおやつも買って、近くの芝生で食べました。第一難関突破。幸先の良い旅です。


とても親切なシュレースヴィッヒ駅のキオスク

 駅から歩いて行けるゴットルフ城博物館を訪ね、ブリュッゲマン、あるいは弟子か周辺作家の作品をいくつか拝観しました。それほど大きな博物館ではなく、午後3時半頃、博物館の目の前にあるバス停へ。来るときにはまだ元気でしたが、博物館が修復工事中で大回りしたため思っていたより長い時間歩いたことに旅の疲れも加わって、今日はバスで帰ろうということになったのです。夕方4時頃には駅に戻り、親切なおば様にお礼を言ってトランクを引き取ることができました。
 列車は16時15分発。タープまでは準急列車で14分。とはいえビュンビュン飛ばすのに驚きました。そして小さな駅 Tarp に着き、無事に宿に入ることができました。

 この宿は静かで部屋も広く、大きなテーブルセットと浴室がついています。トランクを4個ぐらい広げても大丈夫なほどで心もゆったり。夕食は宿で食べ、翌朝までゆっくり休みました。

 
 翌8月4日はタープからシュレースヴィッヒへ。駅を下りて早速キオスクのおば様に挨拶に行くと、今日も元気に働いていらしたので、再度お礼を言ってメッセージカードと日本の飴を手渡しました。

 昨年はヨーラとヘルヴィックが車で連れて来てくれたのですが、駅から大聖堂までは3km以上あり、歩くのは少し大変です。この日はバスで直接大聖堂に行くことにしました。まだツアー客もほとんどいない静かな大聖堂でゆっくり拝観し、撮影をさせてもらいました。この祭壇には彫刻がおよそ400体あるそうです。以前は日常的に翼が閉じられており、塔の上に立つキリストやアダムとエヴァなどの彫刻しか見られなかったそうです。一般の信者たちは年に数回、特別な行事の折りにしか見られなかったこれらの精緻な祭壇彫刻を、私たちはいつでも見せてもらえるというのは幸運なことだと思います。
 

 


「ボルデスホルマー祭壇」部分 いずれも奥行きのある細かな彫りに目を見張ります。

 

▶リューベックへ

 8月5日。ゆったりしたタープのホテルに別れを告げ、リューベックに着いたのは10時半頃でした。ホテルを見つけてトランクを預け、まずは駅まで戻って腹ごしらえ。ホルステン塔を通りぬける頃には真夏の太陽が照って喉が渇きました。何回か地元の人に聞きながらアネン博物館にたどり着くと、中には思っていた以上に多くの宗教彫刻がありました。そしてブリュッゲマン作「跪く聖人(大ヤコブか?)」も拝観することができ、一番の目的は達成。その後、いくつもある教会を巡り、最後にカタリーネン教会でエルンスト・バルラッハの彫刻を歩道から撮影しました。深く人間の悲哀や苦しみを感じさせる彫刻群です。よくご覧になりたい方は双眼鏡などお持ちになることをおすすめします。




エルンスト・バルラハの彫刻群:リューベック、カタリーネン教会ファサード


エルンスト・バルラハ:「聖者の集い」左から風の中の女・松葉杖の乞食・歌う修道僧 1930~1935 


エルンスト・バルラハ:上記3点の作品名は見つけられませんでした。 

 

 取りあえず、ここでハンス・ブリュッゲマンをテーマにした旅は一区切り。このあとは今までの取りこぼし、再訪、新規開拓の作品を見る旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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321. 18回目のドイツ旅行(1) 旅の概略とハイライト

2023年12月05日 | 旅行

▶帰国してから既に2か月半経ってしまいました。

 


暑かった日々を思い出すランツフートのイーザル川


▶遅くなりましたが、「18回目のドイツ旅行」の記録です。

 大変ご無沙汰しています。

 今年2023年は7月31日に日本を出発し、9月18日に帰国(50日間)と、今までで最長の旅となりました。
 今回はドイツを中心としてデンマーク、フランス、イギリス、スイス、オーストリア、イタリアの合計7か国の町を回ってきました。

 私たちはドイツで友人、シルヴィアとクラウス、アンゲリカとヴィリーの2組の夫婦と1週間弱生活を共にしました。シルヴィアの庭に行ってバーベキューをしたり、クラウスの運転でホーエンツォレルン城を訪ねたり、昨年最後に間違えて行った Bingen のリベンジで、本当の Bingen にある教会を訪ねたのでした。
 私たちが無事日本に戻ってきた直後に、今度は彼らが日本を訪れたのです。その旅の最後、10月中旬には我が家に一週間弱滞在しました。大柄のドイツ人が4人も泊まるための準備もなかなか大変ではありましたが、笑いの絶えない日々を過ごし、記念に川越まで連れて行き、着物体験をしてもらってから成田に向けて送り出しました。
 そんなこんなで10月一杯はとても旅の記録をまとめるゆとりがありませんでした。彼らの帰国後は旅先で写した何千枚にもなる写真の整理、ドイツの友人たちへのクリスマスの贈り物やカードの準備などで私の頭もエネルギーも一杯一杯でした。

 12月に入ってようやく少し落ち着いてきた今、何とか旅の記録をまとめておきたいと思うようになり、ブログを書き始めています。ただ、前回までは日記帳を元に細かな記事を書きましたが、これも相当なエネルギーと時間を要していましたので、今回の旅は要所要所だけ数回にまとめて書いてこうと思います。


▶「18回目のドイツ旅行」のルート

 今年は大きく分けると以下の3つの日程での旅となりました。

 1)8月上旬の夫婦2人旅(宿泊した町を主として記載) 
  フランクフルト空港 → コペンハーゲン(デンマーク) → タープ (ドイツ)→ リューベック → デュッセルドルフ → ライプツィヒ → アイゼナハ → フランクフルト空港

 2)8月中旬の家族旅
  フランクフルト空港 (息子一家と合流 計6名となる)→ ミュンヘン → ローテンブルク → ヴュルツブルク(娘と合流 計7名となる) → フランクフルト(息子一家帰国 計3名となる) → シュトゥットガルト → ヘッヒンゲン → シュトゥットガルト

 3)8月下旬の夫婦2人旅
  シュトゥットガルト(娘帰国 2人に戻る) → フランス(パリ) → ロンドン(イギリス) → フランス(トゥールーズ) → バーゼル(スイス)  → インスブルック(オーストリア) → フィラッハ(オーストリア) → ランツフート(ドイツ) → バーデン・バーデン → フランクフルト → フランクフルト空港

 

▶この旅のハイライトは、8月15日の「マリア昇天礼拝」に参加できたことでした。

 今までにも何回か娘の奈々子とはドイツを一緒に旅しましたが、息子一家4名と孫とはしたことがありませんでした。今年は私たちの結婚50周年でもあり、少しでも体が動くうちにきれいな町や私たちが愛する教会や彫刻を孫たちとも一緒に見て回っておきたいと計画したのです。息子一家はドイツ旅行が初めてなので、ちょうど8月15日にクレークリンゲン、ヘルゴット教会で「マリア昇天礼拝」を参観することにしました。奈々子は2007年に私たちと一緒に見ていますし、仕事の都合でこのあとのヴュルツブルクで合流することになってしまいましたが、息子夫婦と孫たちと一緒にこの日にクレークリンゲンを訪ねることができるのは本当に幸いでした。私が2回のリーメンシュナイダー写真展を開催し、5冊のリーメンシュナイダー関係の写真集を発行してきた理由も感じ取ってもらえるのではないかと思う気持ちもありました。そのマリア祭壇に奇跡の夕陽が当たり、時間と共に移り変わっていく様子をここに数枚の写真でお届けします。


①16:53 まだ少し明るい状態で左翼下の「受胎告知」が照らされています



②17:16 左下に跪く弟子たちに光が当たり始めました 



③17:33 この少し前に11分間曇り、光が戻ってきたところです



④17:34 ③よりもほんのわずか光が右上に移りました



⑤17:41 光が聖母マリアから右翼へと移っていきます 



⑥17:48 光の先が右翼の中央を過ぎました



⑦17:50 光はもう少しで聖母マリアからも弟子たちからも離れていきます


毎年8月15日の「マリア昇天礼拝」にて
 
 

 このようにして光とリーメンシュナイダーの祭壇彫刻が織りなす祈りのひとときが終わりました。私は④から⑤に光が移ろう間に必死で聖母マリアをアップで写していました。このとき、聖母マリアの一番美しい表情と手が見えるのです。このアップの写真は次回の写真展で展示するつもりです。
 昨年まではマリア様の左頬に黒いシミのような汚れが広がりつつあってとても心配でしたが、この日はそれがきれいに拭われていて安堵しました。

 

▶そしてもう一つのハイライト

 私たちは旅行中に、できる範囲で友人宅を訪ねていますが、そうしたドイツ人の家庭を息子一家と一緒に訪問する機会も今後そうそう持てるものではないので、ローテンブルク近郊にあるブッフ・アム・ヴァルトのフリーデルと、クレークリンゲンに住むラインハルト夫妻のお宅を訪ねることも計画しました。フリーデルは私が写真集を作るきっかけともなった写真家ヨハネス・ペッチュのお連れ合いで、今年91歳になりました。広いお庭には林檎の木が何本もあり、大人たちのおしゃべりに退屈した孫たちも元気に遊ぶことができます。実際は私とフリーデルのおしゃべりの時間となり、三津夫も息子たちもこの庭の雰囲気をゆっくりと楽しんでいたようです。

 ただ、このときは合計6名の集団を乗せてくれるタクシーを頼めるかどうかすごく不安でした。ローテンブルクのホテルの受付で6人乗れるタクシーがあるかどうかと尋ねたところ大丈夫という答えで予約も入れてもらえてホッとしました。当日の料金はローテンブルクからブッフ・アム・ヴァルトまでとブッフ・アム・ヴァルトからクレークリンゲンまでの2回お願いして合計156.5ユーロでした。
 クレークリンゲンでは昨年泊めていただいたイングリッドとヴォルフガング・ラインハルト夫妻がケーキを焼いて待っていてくださいました。フリーデルのところでもケーキをたくさんいただき、こちらでも美味しいケーキが待っていたので孫たちは大喜びでしたが、息子は頑張って食べたため、お腹を壊してしまったとのこと。するとイングリッドさんが大変強いお酒を出してくださって、ドイツではお腹が緩いときにこれを飲むと良いのだと勧められ、結果的にはすっかり良くなったのだそうです。ヴォルフガングさんは体調が整わなかったのにも拘わらず、イングリッドさんとお二人で私たちをヘルゴット教会まで送り迎えしてくださいました。来年にはすっかりお元気になられることを祈っています。

 そして息子たちの最終目的地フランクフルトでは、毎回お世話になっているトーマスがわざわざ駅から歩いて行けるカフェを予約して私たちを待っていてくれました。ここでも美味しい食事とケーキをご馳走になり、申し訳ないようでした。 

 昨年はトーマスの帯状疱疹がひどくて泊まるには負担が大きくなり、帰国前日にフランクフルト駅前のホテルまでルースと杖をついて歩くトーマスがやって来てくれたのでした。今年はトーマスは杖無しで歩いてこられるようになっていましたが、ルースは残念ながら故郷で集まりがあって出かけなければならず、息子一家に会うことはできませんでした。
 それでもこうしてドイツ人のお宅を2回訪問でき、息子一家には貴重な体験になったのではないかと思っています。

 ちなみに、ミュンヘンについた翌日に息子一家は日本語ツァーでノイシュバンシュタイン城に行ってきました。夜は私たちと待ち合わせてミュンヘン、マリエンプラッツにあるラーツ・ケラーに入ってビールやドイツ料理を楽しみました。2日目には近郊のレゴランドで1日遊びまくり、大変満足したようです。その間私たちは近隣の町まで足を伸ばして小さな教会を訪ね歩いたのでした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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320. マティアス・ヴェニガーさんのお仕事

2023年07月27日 | 旅行


ニュルンベルクのホテルで初めてお目にかかったヴェニガーさん
 出張からの帰り道で大変お疲れのご様子でしたが、写真集を見て喜んでくださいました。

 

 前回の投稿から大変ご無沙汰いたしました。

今日はドイツの友人の一人、ミュンヘン、バイエルン国立博物館の学芸員、マティアス・ヴェニガー博士の素晴らしいニュースが届いたので是非ご紹介したくて久しぶりに投稿します。

彼は最近大変忙しそうで、今年もドイツに行くのですがなかなかあう時間が取れないようです。普段ならすぐに返信が来るのにしばらく返信も届かず心配しました。でもこの記事を読んでどうしてヴェニガーさんがこれほど忙しいのか理由がわかりました。皆さまにも彼の最近のお仕事をご紹介したいと思います。

元の記事を読みたい方はウェブサイトでご覧になってみてください。

 

German curator on a mission to return silver heirlooms stolen from Jewish families by the Nazi - The Mainichi

German curator on a mission to return silver heirlooms stolen from Jewish families by the Nazi - The Mainichi

MUNICH (AP) -- Matthias Weniger put on a pair of white cloth gloves and carefully lifted a tarnished silver candleholder, looking for a yellowed stick

The Mainichi

 


 英語の文章がよくわからず、記事の内容を読み解くためにDeeple翻訳ソフトを利用して、私が出来る範囲で意訳も付け加えたものが以下の文章です。拙い訳ですが載せておきます。

**************************************

The Mainichi
2023 年 6 月 14 日


ドイツ人学芸員、
ナチスによってユダヤ人家庭から盗まれた
銀の家宝を返す使命を担う


ミュンヘン(AP)--マティアス・ヴェニガー氏は、白い布の手袋をはめ、変色した一対の銀
の燭台を慎重に持ち上げ、その底に付いている黄ばんだステッカーを見つめた。


この燭台は、バイエルン国立博物館にある 111 点の銀製品のうちの一点である。これらの銀
製品は1939 年の第三帝国時代にナチスがユダヤ人家庭から盗んだものだった。ナチスは政権
を取
ると、すべてのドイツ系ユダヤ人に対して彼らが所有している銀製品を質屋に持ち込む
よう
に命じた。これはユダヤ人を辱め、罰し、排除するために作られた多くの法律のひとつ
であ
る。


1933 年、ナチスがドイツで政権を握った後、ユダヤ人に対する差別と迫害が始まった。そ
して 1945 年にドイツが降伏して第二次世界大戦が終わるまでの間に、ナチスはヨーロッパ
のユダヤ人やその他の人々 600 万人を収容所(ホロコースト)で殺害するに至ったのだ。
ミュンヘンのバイエルン国立博物館の学芸員であり、返還活動を監督するヴェニガー氏は、
できるだけ多くの銀製品を元の所有者の子孫に返還することを使命としている。


「質屋に持ち込まれたこれらの銀製品は、ホロコーストで一掃された人々から残された唯一
の生存の証であることが多いのです」。ヴェニガー氏は AP 通信のインタビューに答えた。
そのインタビューは今後返還されるはずの銀食器が展示された博物館のワークショップで行
われたものだった。
「ですから、遺族を探し出し、彼らに返還することが本当に重要なのです」と彼は付け加え
た。


ユダヤ人家庭から持ち去られた何千もの品々は、約 135 トンの銀に溶かされ、ドイツの戦争
を助けた。しかし、いくつかの博物館には、安息日の前夜にロウソクを灯すための燭台、ワ
インを祝福するためのキドゥシュ・カップ、銀のスプーン、ケーキ・サーバーなどの数百の
銀製品が残されたのだった。


1950 年代から 1960 年代にかけて、ホロコーストの生存者が名乗りを上げ、盗まれた品々を
積極的に取り戻そうとすれば、返還されるものもあった。しかし、持ち主の多くはホロコー
ストで殺害されたり、またナチスから逃れることができたとしても、世界の遠く離れた場所
で亡くなった。
「最後の所有者の 3 分の 2 はホロコーストを生き延びることができませんでした」とヴェニ
ガー氏は言う。

ヴェニガー氏は、このような困難な状況にもかかわらず、綿密な調査、献身的な活動、そし
て歴史に関する深い知識を駆使して、これまでに約 50 点の品々を元の所有者の家族や親戚
に返すことに成功した。
氏は、今年中に残りの遺品をほぼすべて返還できると確信している。

まず、彼は元の所有者の身元を探す。いくつかの作品に貼られている小さな黄ばんだ紙のス
テッカーが彼を助けているのだ。それは質屋によって貼られたもので、独裁政権と戦争の時
代にあっても、ドイツ人の執拗な官僚主義が残っていたことを物語っている。ステッカーに
書かれた番号は、80 年以上前の文書にも銀製品の保存を諦めて質屋に差し出した人々の名
前が記載されているのだ。時には、何世代にもわたって家族に受け継がれてきた愛着のある
家宝もある。


ヴェニガー氏は元の持ち主の名前を見つけると、ユダヤ人の死亡記事と系図のデータベース
を調べ始める。直系の子孫やもっと遠い親戚がネット上に名前を載せているかもしれないと
期待して。
「そうして電話帳を通じてある世代から次の世代へと繋がっていき、LinkedIn、Facebook、
Instagram や E メールアドレスなどなどが、その家族の若い世代に対応していくことになり
ます。」
と研究者は説明した。

ほとんどの場合、ヴェニガー氏は幸運にも正しい親族を探し出すことができているという。
子孫の大半は米国とイスラエルに住んでいるが、同博物館はすでに、あるいは現在進行形で
フランス、イギリス、オーストラリア、メキシコに住む遺族にも銀製品を返還している。
そしてヴェニガー氏は個人的に遺族に作品を届けるようにしているのだ。彼は今年の早い時
期にアメリカに渡った。また先週はイスラエルの遺族に 19 点の品物を返還してきた。


そのイスラエルでヴェニガー氏は、テルアビブの北にあるクファール・シュマリャフの自宅
を訪ね、ヒラ・グートマン(53 歳)と彼女の父ベンジャミン・グートマン(86 歳)に会い、
小さな銀の杯を手渡した。
ヴェニガー氏は、マゲン・ダヴィッド・アドム(イスラエル版赤十字国際委員会)の追跡サ
ービスの助けを借りて一家を探し出すことができたのだ。

この杯は、安息日の前夜にワインを祝福するキドゥシュに使われたものだと思われるが正確
にはわかっていない。というのも、ベンジャミンの祖父母であるバイエルンの牛商人サロモ
ン・グートマンとその妻カロリーナが元の所有者だったのだが、祖父母はナチスによってト
レブリンカ絶滅収容所で殺されたからだ。
「この杯を取り戻すのは、私たちにとって複雑な気分でした。なぜなら、ご存じのようにそ
れが祖父母の唯一の遺品であるからです」と語った。
ベンジャミン・グートマンの祖父母はホロコーストで殺害されたが、彼らの息子マックス(ベ
ンジャミンの父)は、ナチスから逃れてイギリス領のパレスチナ(現在のパレスチナ自治区)
に逃れたため、生き延びたのだった。

銀の杯を失い、それを返された悲しみにもかかわらず、グートマン夫妻は、銀の杯を取り戻
せたことを喜んでいる。そして 9 月のユダヤ暦の新年であるロシュ・ハシャナーには、親戚
一同と共にこの銀の杯で儀式を行うことを計画してるという。

ヴェニガー氏について、グ-トマン夫妻は彼と彼の仕事を賞賛している。
「彼は本当に献身的です。」ヒラ・グートマンは言う。「彼はこの小さな杯をとても大切に
扱っています。まるで聖なるもののように。」

**************************************


 私はこの記事が毎日新聞の英語版で取り上げられたことに驚きました。でも記事を読んでとても嬉しく思いました。ヴェニガーさんのお仕事を友人の1人として大変誇りに思っています。

 


バイエルン国立博物館の入口でヴェニガーさんと

 もうすぐ私たちもまたドイツを訪ねます。ヴェニガーさんには会えないかもしれませんが、それでも今までのように後期ゴシックの彫刻も含めて新たにロマネスク時代の教会で見られるという柱頭彫刻も訪ねてくるつもりです。
 ヨーロッパでは鉄道や町中でのストライキがあったりするので予定通り回れるかどうかわかりませんが、また帰国後にしばらくエネルギーを養い、少しずつ皆さまに旅のご報告ができればと思っています。

 本当に暑い夏、どうか皆さまも無事に乗り越えられますように。

 

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319. 17回目のドイツ旅行(47)大失敗の最終日、無事に帰国です。

2023年03月02日 | 旅行

▶今日は帰国の日



ビンゲンの町


▶帰国前に行きたいところとはBingenという町でした。

 ウルム博物館で買った「Einer Kathedrale würdig Das Meisterwerk des Bingener Altars」(聖堂にふさわしいビンゲン祭壇の名作 写真・下)というカタログにがあります。このビンゲン祭壇の祭壇画は Bartholomäus Zeitblom という画家によって描かれたそうです。バルトロマイ(バルトロミオス?)・ツァイトブロムはネルトリンゲンで生まれ、ウルムで画家として活躍し、この祭壇をニクラウス・ヴェックマンとイェルク・ジュルリーン(息子)と共に制作したそうです。ヴェックマンはダニエル・マウホの師匠です。






 このカタログにある祭壇の写真を見て2人とも興味を持ち、Bingenってどこだろうと調べてみたらフランクフルトから1時間弱で行けるようなのです。それで、「せっかく半日以上動ける時間があるのだからこの祭壇も見に行ってみない?」と言ったのは私でした。飛行機は午後7時40分発ですから午後5時ごろまでに空港に着いていれば大丈夫です。「それじゃぁ行ってみようか」ということになりました。教会の住所がわかれば駅からの地図も見られたのですが、カタログを見た限りでは見つからず、現地で聞いてみるしかなさそうです。当たって砕けろの訪問でした。


◆2022年10月19日(水曜日)9062歩
 夜中、何となく気持ちが悪くなって3回も目が覚めました。朝6時半頃起床すると喉に違和感と痛みがあり、喉風邪の症状は今日の方が強いようです。
 昨夕の町歩きの怖さから朝食のパンも2人で買いに行きました。
今朝は毛布にくるまった男性が4~5人歩道に転がって寝ています。前回は誰もホテルの前に寝てはいませんでした。これから寒くなったらどうなるのだろうと気がかりです。
 朝食後、梅干しを食べ、漢方薬も飲んでおきました。

 このあと最後のトランク詰めに手間取り、「何時の列車に乗るんだ」と三津夫に聞かれてもはっきり答えられない状態でしたが、ようやくパンパンのトランクのチャックを閉めることができて受付に預けて出発。9時15分の列車に乗ることができました。
 私たちの行き先は Bingen(Rhein) Hbf で、列車の終点はコブレンツです。この列車が10分遅れでやって来た上に途中でも少しずつ
遅れて11時頃やっとビンゲン中央駅に着きました。この駅がまた何と寂しい感じの駅でしょう。駅の周りは工事中で殺伐としていました。教会への行き方を聞く場所もありません。どうやらここから大分歩かないと市街には出られそうもないとわかり、歩き出そうとしたところへバスが1台やって来たのでビンゲン祭壇の写真を見せて「これを見たいのですが」と言うと、「町に着いたらインフォメーションがあるからそこで聞きなさい」と言いながら乗りなさいという合図。感謝しながら乗せてもらいました。でも料金は取られませんでした。親切な運転手さんに会えて良かった。

 町のバスターミナルで下ろしてもらってインフォメーションの場所を聞くと結構距離があるようです。迷いながら、周りの人に方向を何度も確かめては歩き、やっとインフォメーションにたどり着くと、若い女性がパソコンで検索してくれて「この祭壇はこの町ではなく違う Bingen にあるんですよ」と言われてしまいました。あら~、ガッカリ。当たって砕け散った大失敗の巻でした。正しい町の名前と教会名を書いてもらったら以下の通りでした。

 Bingen/Hohenzollern, Weis Sigmaringen , Pfarrkirche Maria Himmelfahrt

ホーエンツォレルン城はシルヴィアやヴィリーたちと一緒に訪ねたことがありますが、どうやらその地域のようです。ここにはまたの機会に訪ねたいと思いながら帰り道をとぼとぼ歩きました。その時の景色がトップと下の写真です。

 帰りの電車も遅れて大分待たされたので少々心配になってきた頃、やっと来ました。これで取りあえずフランクフルト中央駅まで戻れそうだとホッとしました。大失敗もこれで何とか笑い話にできます。


ビンゲン駅で。私はアンゲリカが送ってくれた上衣を着ています。
 運動靴は啓子さんから頂いた靴です。本当にありがとう!

 フランクフルト中央駅で、ホテルに戻る前にフードコートで焼きそばを食べ、ホテルに着いてからも図々しく珈琲を飲んでトイレも使わせてもらって、トランクを引き取りました。
 でも、こうしてバタバタ走り回っているうちに体の症状も落ち着き、帰りの飛行機でも気分が悪くなることもなく過ごすことができたのはけがの功名でしょうか。


▶最後の空港で苦労したこと

 いつもはトーマスが出発ターミナル2の真ん前まで車で送ってくれていたので、自分たちの足で空港まで帰る経路をすっかり忘れていて少々ドギマギしました。S バーンに乗って空港駅で下車し、久しく乗ったことのないモノレールにも乗り、ターミナル2に何とか着いてまずは一段落。
 飛行機にも空いているうちにチェックインしようと思ったのですが、どこにも JAL のマークが見つかりません。まだ早すぎて窓口が開いていないのでした。しばらくベンチに座って日記を書いたり飲み物を買いに行ったりしながら時間を過ごし、チェックインが始まってからトランクをベルトに乗せたら何と私のトランクが重量オーバー。三津夫の方はまだゆとりがあったので、恥ずかしながら脇の床に2つのトランクを広げて調整する始末。何とかこれで大丈夫だろうと再度量ってもらったら無事OKとなりました。あとは飛行機さえ飛んでくれれば多分日本に戻ることができます。


フランクフルト空港の出発ターミナル2 JAL はDのカウンターです。


◆2022年10月20日(木曜日)6319歩
 機内で日付が変わったので最終日の帰国時の手続きについても少しだけ書いておきます。

 日本時間の午後3時40分頃無事成田空港に着陸しました。残る心配は帰国時のコロナ関係の審査です。表示に従いながらいつもよりずっと長く歩き、まずMy SOSがある人が先に分かれていき、それ以外の人はQRコードをこれから作る人、もう作ってある人で分けられ、私たちは後者だったので青い用紙をもらって歩き続けました。入国用のコロナチェック窓口までまた少し歩きましたが、熱を出したことも咳が出ていることも記入した上で見せたQRコードに「心配したでしょう」と、かえって慰労されて済んだのでホッとしました。その後はトランク受け取りまである意味とても順調に流れました。帰国前のストレスは一体何だったのかと思うほどでした。おそらく今はもっと簡単になっていることでしょう。


 これにて私たちの17回目のドイツ旅行47日間の記録は終了です。
 私たちがこの旅行中に訪問した施設を数えながら書いてきましたが、見直してみたら数え忘れていたところがあったり、番号を付け忘れて飛んでいるところがあったりしたため、書き直しました。その結果、以下のようになりました。

 訪ねた教会・修道院:57か所 
    美術館・博物館:30か所

 ちなみに旅行中に歩いてカウントできた歩数の合計は42万9496歩でした。
 

 もしこうした教会や博物館に行きたい方がいたら少しでも参考になれば…と思いながら長々と
書いてきました。読むのも大変だったことでしょう。お疲れさまでした。ここまで読み続けてくださった方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 また、記事に関して何かご意見やご異議、ご質問などがある方は以下の頁に連絡先を書いてありますのでご連絡いただければ幸いです。

 274. 17回目のドイツ旅行(2) 新聞記事の翻訳です。

 
*今後、海外旅行を計画されている方へ

 皆さんの旅もどうか順調でありますように。
 世界の情勢が少しでも早く落ち着いて、皆が安心して旅行ができるようになりますように。
 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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318. 17回目のドイツ旅行(46)トーマス、ルースと再会できました

2023年03月01日 | 旅行

▶今日は旅の最終地、フランクフルトに向かいます。



バート・ヴィルベルにて

 

▶今日はフライブルクからフランクフルトまで移動します。

 トーマスから今回の宿泊は無理だと連絡が入ったときに、前半の旅で泊まったフランクフルトのホテルにはまだ空きがあったのですぐ1泊分の予約を入れておきました。他のホテルでは駅に近いところは全く予約が取れなかったからですが、それにしても初回の宿泊費の2.7倍もしたのです。行ってみてその理由がわかりました。この時期は近くのフランクフルト・メッセで本の見本市が開かれていたのでした。それで他のホテルも満杯だったのですね。需要と供給の関係はシビアなものです。

◆2022年10月18日(火曜日)6417歩
 6時半に目覚め、支度をして食堂に下りました。今日もまた朝食を食べて17ユーロずつ払いますというサインを求められました。でも一通りのおかずを取ってパンと一緒に食べたらそれ以上もう食べられません。ゆっくり珈琲を飲みながらも「2日間で68ユーロはやっぱり高いなぁ」とつくづく思ってしまいました。

 8時56分の ICE に乗って11時過ぎにはフランクフルト中央駅に着きました。まだ早めではありましたがチェックインできました。でも部屋は広いのに大きな旧型ストーブがデンと置かれています。2つのトランクを広げるにはスペースが取れないので、戸棚を1つ諦めて、その前に広げることにしました。お風呂場は広く、昔はなかなか豪華な部屋だったのではないかと思われますが、トイレの陶器にはヒビが入り、何とも侘しく感じました。最初に泊まった部屋はここまでではなかったのですが。駅から近いことだけは利点です。

▶トーマス、ルースとの再会

 今日はこのホテルのロビーでトーマス、ルースの2人と会う約束をしていました。ロビーは広々としていて椅子もきれいだったので、ここならゆっくり話せそうと思ってのことです。着いた時にロビーを見回すと、前回は気づきませんでしたが無料で珈琲やケーキを飲食できることがわかりました。なかなか親切なホテルではあるのです。部屋に荷物を置いてから一度ロビーに下りてみました。少し珈琲で喉を潤し、ケーキと林檎ももらって部屋でゆっくり休みました。そしてまずはトーマスたちに渡すお土産を準備しました。

 午後2時少し前にロビーに下りたらソファーが埋まっていて、脇のテーブル席しか空いていませんでした。まぁ、仕方がありません。窓の外を見るとちょうどホテルの真ん前にタクシー乗り場があって、ひっきりなしにタクシーや一般車が来ては止まり、出ていきます。2人が車で来たらなかなか停車できないのではないかと心配になりました。外に出て姿を見せていた方が車で来たときにわかりやすいかもしれないと、しばらく2人で外に立ってみました。すると遠くから手を振る人がいます。ルースです。その後ろからゆっくり歩いてくるトーマスの姿が見えました。歩けるんだと嬉しくなって急いで走り寄りました。右手に杖を持ち、シャキッと立ち止まったトーマスとルースとかわりばんこにハグを交わして3年ぶりのご挨拶。

 ロビーに入ると幸いソファー席が空いたので、そこでお互いの近況報告とお土産の交換をしました。トーマスとルースからはアンゲリカから届いた上衣の箱、大きな蝋燭、チョコレートと、最後に「MODI ORANDI SANCTI DOMINICI  ROSS.3 (1)」と書かれた聖書の復刻版のような本を渡されたのでした。ずっしりと重く、トーマスの話ではこの本には貴重な歴史があるようなので、キリスト教信者ではない私ごときが持っていては申し訳ないと言ったのですが、彼は「僕が持っていても仕方がないので緑に持っていて欲しいんだよ」と言うのです。困った…。取りあえず日本に持ち帰りましたがどうしたものかと悩んでいます。
 私たちからのお土産は『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』と、お煎餅と、彼らが大好きな緑茶です。日本から持ってきた写真集新刊13冊が全部直接手渡しできて本当に良かったと思っています。トーマスが目を細めてこの大天使ミカエルの表紙を見ながら「5冊の中でこの本に王冠をあげるよ」と言います。一番できが良いという意味だそうです。三津夫は「この表紙、僕が選んだんですよ」と喜んでいました。
 いただいたお土産を急いで部屋に一旦納めて、
ルースの案内で駐車場へ。そこはホテルから数分の大きな駐車場でした。こんな駐車場がすぐ近くにあるとは知らずに無用な心配をしたものです。

 ルースの運転で、以前にもよく出かけたバート・ヴィルベルのレストランに行きました。建物の壁が真っ赤な蔦で覆われていると思ったら葡萄の葉なのだそうです(写真・下)。葡萄がこれほど紅葉するとは知りませんでした。



バートヴィルベルのレストランで


バート・ヴィルベルは美味しい地下水で有名です。トーマスが頭に手を置いている男性像がその発見者だそうです。よく似ていること!


「しっかり歩いて筋肉を取り戻す」と意気軒昂なトーマスと、いつも優しいルースと。


 遅めの昼食をご馳走になり、お腹がいっぱいになりました。その後少し町を散歩しながら「来年もまた来るわね」と伝えました。トーマスとルースが日本に来てくれたら今までの24年間にわたる友情と親切にお返ししたいものですが…。
 今日はこのあと列車でフランクフルト中央駅まで戻ってきました。二人の元気な姿が見られて本当に良かったと思える1日でした。

 今日中にトランクをまとめておかなければならないので、日本へのお土産を買いにスーパーに行こうと REWE を探しながら歩きました。すると細い路地をびっしりの人波の中で黒人さんがぐるっと私たちを取り囲んで歩いている時間があり、三津夫は危険を感じたそうです。特に私がぶら下げていたバッグが大丈夫かどうかと…。幸い何とかスーパーが見つかり、急いで家族や友人たちへのお土産を買い込んで、今度はできるだけ広い通りを選んでホテルまで戻りました。いつもはトーマスが連れて行ってくれる郊外の REWE でゆっくりお土産を選んで帰るのですが、中央駅での買い物は今後はやめようと心に刻みました。

 明日は帰国の日です。でも、ちょっと寄っていきたい町が出てきたのです。

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317. 17回目のドイツ旅行(45) フライブルクからブライザッハ往復

2023年02月28日 | 旅行

▶今日はブライザッハまで往復します。



ブライザッハの聖シュテファン大聖堂(教会・修道院56)

 

▶ブライザッハは3回目の訪問です。

 今日はブライザッハのシュテファン大聖堂(教会・修道院56)にあるマイスターH.L. 作と書かれている祭壇の詳細をもう一度目に焼き付けたくて出かけました。ここは撮影禁止の教会なので雰囲気をおぼろげながら覚えていてもなかなか詳細は思い出せないからです。おそらくこれが最後の訪問になるでしょう。


◆2022年10月17日(月曜日)9720歩
 昨日チェックインしたときに、朝食をどうするか聞かれて体力が落ちていた私たちはここでは頼んでも良いかなと判断して申し込んでおきました。6時半に起床、45分頃に食堂に下りたらまだ空いていて、丁寧に「お一人17ユーロかかります、よろしいですね?」と確認され、サインを求められました。ブライザッハへの列車は9時2分発なのでゆっくり食べられます。品揃えも一通りあって悪くない内容ですが、でも2人で34ユーロと考えると高いですね。今のレートでも約5,000円ですから。いかに普段安上がりの朝食で節約しているのか再認識させられます。

 三津夫はこのブライザッハへの往復を楽しみにしていました。以前来たときは花が咲き乱れてとても気持ちの良い沿線の景色だったのを覚えていたからです。ところが今回は花も見当たらず、畑は刈り取られた後の土の色でしたのでガッカリしていました。調べてみたら初めて来たのが2012年の4月でしたので、その印象がずっと残っていたのでしょう。2回目に来たときは2016年の10月で、今回とほとんど変わらない季節でしたが、確かにここまで寂しい景色ではなかったような…。今夏の異様な暑さも関係していたのかもしれません。

 小高い丘の上のシュテファン大聖堂に着くと、大きな菩提樹が黄葉していました(写真下)。


 私たちが着いた時にはこの菩提樹の下で十数人のツアー客たちがガイドさんの説明を聞いていたので、先に周りの景色を見てから中に入りました。すると少し残っていた人がしきりに写真を写しています。入口には目に入るようにちゃんと「撮影禁止」という札が立っているにも拘わらずです。平気なのか、余程うっかりで気が付かなかったのか。どこの国にもこういう人たちがいるけれど、やはり嫌な気持ちになります。その一方、これだけの文化財を写してはいけないと言われるのもやはり残念なことだなと思います。

 マイスターH.L. の祭壇は印象に残っていたより大きく、近くでじっくり見て味わいました。ショーン・ガウアーが描いたフレスコ画はコロナ禍で修復でもしたのでしょうか、以前は全体像が見えにくかったのですが、この日は案外はっきり見えたように思えました。


 ブライザッハ駅への帰り道でもドラッグストアを探しましたが、歩いた範囲では見つかりませんでした。

 


フライブルク大聖堂(教会・修道院57)


▶今日もフライブルクの町を歩きました。

 フライブルクに戻り、買って来たお昼を部屋で食べ、仕切り直して再び町へ向かって歩き出すと、すぐにドラッグストアがあるのを見つけました。「のど飴はありませんか」と聞くと、下の写真ののど飴を「これは添加物は入っていません」と勧めてくれたので早速購入、一粒口に入れてみました。外で待っていた三津夫にも1つ。素直な味で効果がありそうです。しばらく咳がひどかったり喉が痛かったりしたときにはこののど飴が助けてくれると思って気分が楽になりました。


 今日はフライブルク大聖堂(教会・修道院57 写真・上)と大聖堂美術館で三津夫が見たい作品があるというのでどちらも訪ねることにしました。もしかしたら美術館は月曜日で休館しているかもしれませんが。

 最初に美術館を探してみました。ホテルのフロントで聞いた場所には見当たらず、関係しているらしい名前のホテルがあったので入ってみました。その受付の人が「Erzbischöfliches Diözesanmuseum という美術館はないのです。主な作品はいろいろな美術館に貸し出されているんです。でも一番多くの作品がアウグスティーナー博物館に展示されていますよ」と教えてくれました。「そうだったんですね」と腑に落ちました。

 そこであとはゆっくり見学しようと、大聖堂に入りました。主祭壇の近くまで入るには1人2ユーロ払わなければなりませんでしたが、ありました、ありました。祭壇の「マリアの戴冠」はハンス・バルドゥング・グリーンが描いたもので、彼の作品としては大変有名なものだそうです。彼が描いたにしては天使たちは皆、素直に演奏したり歌ったりしているようでした。昨日見たアウグスティーナー博物館の「Schmerzensmann von Maria und Engeln beweint」(マリアと天使たちが嘆き悲しむキリスト受難像 ← 私の勝手な意訳です)では、40体を超える天使たちがみんな嘆き悲しんでいるのです。中には傷ついたキリストの腕にしがみついて口をへの字に曲げながら泣いている天使もいます。本当に表情豊かです。このバルドゥング・グリーンの描写力には目を惹かれますが、当時の画家として彼の表現は相当異端扱いされたのではないかとも思えます。







フライブルク大聖堂(教会・修道院57) 主祭壇 ハンス・バルドゥング・グリーン 1512~1516年(写真:緑)

 また、堂内の壁に沿ってズラッと並ぶ礼拝堂の中にも同時代の彫刻家の祭壇がありました。この大聖堂で良い作品をじっくり見ることができたので、大満足の1日となりました。


フライブルク大聖堂、ロヘラー礼拝堂「庇護マントの祭壇」
 シクスト・フォン・シュタウフェン 1521/25(写真:三津夫)

 

▶帰国に当たっての難題


 部屋に戻って一息ついたところで JAL からのメールに気が付きました。「帰国する人は全員答えてください」という厚労省からの質問票です。明日はトーマスとルースにも会うし、コロナでないことを書かねばならないだろうしと考えて、もう一度3回目の抗原検査をしました。私たちが発熱してから4~5日目ですが、今回も陰性だったのでまず大丈夫だろうと安心して取りかかりました。この後のドタバタについては、以下のブログに書いておきましたのでご覧になってみてください。

  273. 17回目のドイツ旅行(1) まずはご報告から


 ホッとしたところで夕食は結局パンを買ってきて食べました。
 
 明日は最終宿泊地フランクフルトに向かいます。帯状疱疹で苦しんだトーマスに会えるのは嬉しいけれど、ちゃんと歩けるのかどうかと気がかりでもあります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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316. 17回目のドイツ旅行(44) インスブルックからフライブルクへ

2023年02月27日 | 旅行

▶今日からフライブルクで2泊です。


フライブルクの夕暮れ


▶今日からフライブルクに2泊します。

 今日の目的はまずインスブルックからフライブルクに移動し、アグスティーナー美術館に行ってマウホのレリーフや他の後期ゴシック彫刻家の作品を見ることでした。
 また、フライブルクの旧市街には多くのマークが路上にタイルではめ込まれています。それらのマークをできるだけたくさん写してくることももう一つの目的でした。

◆2022年10月16日(日曜日)5266歩
 5時半に目覚ましをかけておきましたが、「夜中の咳がずいぶんひどかったよ」と言われたように、自分でも度々咳で目が覚めてあまりよく眠れない晩でした。熱は2人とも平熱に戻って一段落でしたが、咳のひどさに「このあと大丈夫かなぁ、コロナじゃないよね?」と不安が募ります。

 パンを食べて7時15分にはホテルをチェックアウト。地下に通じるエレベーターで駅に出たところ、トイレの入口でお掃除のおばさんが怖い顔をして「出てけ、出てけ!」とモップを振り回しながら怒鳴っています。若者たちがお金を払わずにトイレに入ろうとするのを防ごうとしているのです。もしかしたらそのお金もないのか、あるいは節約しようとしているのか、これも難民問題が関わっているのかもしれないと思うと辛い光景です。

 今日の旅程はインスブルック中央駅7時47分発の RJX に乗り、10時23分に Sargans 駅に到着、 Sargans 駅を10時53分の ICE に乗り換えて13時46分にフライブルク中央駅に到着するという段取り。両列車とも2時間以上の乗車となるので座席指定を取っておきましたし、乗り換えも30分あるので余程のことがなければ大丈夫でしょう。2人とも完全復調ではないので座席を予約しておいて良かったと思いました。結局最初の列車が遅れたので乗り換え時間は10分しかありませんでしたが、スロープで下って上って移動できました。ハンブルク・アルトナ行きなので混んでいるのではないかと思いながら乗ったのですが、がら空きでした。
 それにしても階段だけしかなかったら大変でしたが、せめてスロープが使えてホッとしました。日本の私が普段利用している駅にはほとんどがエレベーターか、エスカレーターか、あるいは両方ともが設置されている駅が多いのですが、ドイツなどの海外旅行先では、しばしば大きなトランクを持って階段を上り下りしなければならない駅が多いのが残念です。私の第二のふるさとシュヴェービッシュ・ハルに行くために通るシュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅はその一例です。ヴュルツブルク中央駅もそうでしたが、ようやく数年前にエレベーターが開通しました。


▶フライブルクに来るのは4回目です。

 フライブルクではインターシティホテルを予約しておいたのでイビスよりは部屋が広めだと期待していたのですが、入ってみるとほとんど同じ広さで窮屈だったのが残念でした。それでも午後3時より前に着いてもチェックインできたのは助かりました。
 荷物を置いてから町に出ました。まず最初に遅めの昼食としてケバブを食べ、路上のマークを探しながらアウグスティーナー博物館目指して旧市街に向かいます。マークはずいぶんたくさんあって次から次へと出てきますが、そのうちに目新しいマークも増えてきました。これはお金を出して最近作ったのだろうと思えるものはやはり魅力が今一つです。古くからあるのだろうと思われたマークをここにいくつか載せておきます。










フライブルクの路上のマーク


▶アウグスティーナー博物館(美術館・博物館㉚)でお宝発見

 こうして道草を食いながらようやくアウグスティーナー博物館にたどり着いたときは汗をかくほど暑くなっていました。そのためロッカーに上衣とリュックを入れて回り始めたところ、今までの疲れと寒さとでまた腰がミシミシ痛み始めたのです。「全く懲りないわね!」と自分を叱りました。この博物館はもと教会の建物です。こういった昔の教会建築は冷えるということをすっかり忘れていたのでした。後半はベンチに座って休みながら歩き、三津夫が閉館時間ギリギリまで歩き回るのを見て「こんなに回復して良かった」とは思いつつ、早く暖かい外に出たいと思いながら待ちました。マウホのレリーフもしっかり見られましたし、三津夫のお気に入りとなったハンス・バルドゥング・グリーンの「燃える矢を持つアモール」も大変興味深い絵でした。
 閉館間際、受付であれこれ見ていた三津夫が見つけたのはアウグスティーナー博物館のカタログでした。トランクが重くなるからどうしようかなと悩んでいましたが、「明日は休館日だし、買うなら今日しかないと思うけど」と私が言うと、ついに決心して購入。今夜はこのお宝を眺めて十分楽しめるはずです。

 帰りがけに小さなお寿司屋さんを見つけたので持ち帰り用パックを握ってもらい、部屋に戻りました。三津夫は美味しかったと言い、私は今一つかなと思いましたが、考えてみるとフライブルクでこのように職人さんが握って作られたお寿司は初めて食べたように思います。

 明日は日帰りでブライザッハに行ってきます。そして月曜日になるのでどこかで絶対にのど飴を買います!

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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