リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

321. 18回目のドイツ旅行(1) 旅の概略とハイライト

2023年12月05日 | 旅行

▶帰国してから既に2か月半経ってしまいました。

 


暑かった日々を思い出すランツフートのイーザル川


▶遅くなりましたが、「18回目のドイツ旅行」の記録です。

 大変ご無沙汰しています。

 今年2023年は7月31日に日本を出発し、9月18日に帰国(50日間)と、今までで最長の旅となりました。
 今回はドイツを中心としてデンマーク、フランス、イギリス、スイス、オーストリア、イタリアの合計7か国の町を回ってきました。

 私たちはドイツで友人、シルヴィアとクラウス、アンゲリカとヴィリーの2組の夫婦と1週間弱生活を共にしました。シルヴィアの庭に行ってバーベキューをしたり、クラウスの運転でホーエンツォレルン城を訪ねたり、昨年最後に間違えて行った Bingen のリベンジで、本当の Bingen にある教会を訪ねたのでした。
 私たちが無事日本に戻ってきた直後に、今度は彼らが日本を訪れたのです。その旅の最後、10月中旬には我が家に一週間弱滞在しました。大柄のドイツ人が4人も泊まるための準備もなかなか大変ではありましたが、笑いの絶えない日々を過ごし、記念に川越まで連れて行き、着物体験をしてもらってから成田に向けて送り出しました。
 そんなこんなで10月一杯はとても旅の記録をまとめるゆとりがありませんでした。彼らの帰国後は旅先で写した何千枚にもなる写真の整理、ドイツの友人たちへのクリスマスの贈り物やカードの準備などで私の頭もエネルギーも一杯一杯でした。

 12月に入ってようやく少し落ち着いてきた今、何とか旅の記録をまとめておきたいと思うようになり、ブログを書き始めています。ただ、前回までは日記帳を元に細かな記事を書きましたが、これも相当なエネルギーと時間を要していましたので、今回の旅は要所要所だけ数回にまとめて書いてこうと思います。


▶「18回目のドイツ旅行」のルート

 今年は大きく分けると以下の3つの日程での旅となりました。

 1)8月上旬の夫婦2人旅(宿泊した町を主として記載) 
  フランクフルト空港 → コペンハーゲン(デンマーク) → タープ (ドイツ)→ リューベック → デュッセルドルフ → ライプツィヒ → アイゼナハ → フランクフルト空港

 2)8月中旬の家族旅
  フランクフルト空港 (息子一家と合流 計6名となる)→ ミュンヘン → ローテンブルク → ヴュルツブルク(娘と合流 計7名となる) → フランクフルト(息子一家帰国 計3名となる) → シュトゥットガルト → ヘッヒンゲン → シュトゥットガルト

 3)8月下旬の夫婦2人旅
  シュトゥットガルト(娘帰国 2人に戻る) → フランス(パリ) → ロンドン(イギリス) → フランス(トゥールーズ) → バーゼル(スイス)  → インスブルック(オーストリア) → フィラッハ(オーストリア) → ランツフート(ドイツ) → バーデン・バーデン → フランクフルト → フランクフルト空港

 

▶この旅のハイライトは、8月15日の「マリア昇天礼拝」に参加できたことでした。

 今までにも何回か娘の奈々子とはドイツを一緒に旅しましたが、息子一家4名と孫とはしたことがありませんでした。今年は私たちの結婚50周年でもあり、少しでも体が動くうちにきれいな町や私たちが愛する教会や彫刻を孫たちとも一緒に見て回っておきたいと計画したのです。息子一家はドイツ旅行が初めてなので、ちょうど8月15日にクレークリンゲン、ヘルゴット教会で「マリア昇天礼拝」を参観することにしました。奈々子は2007年に私たちと一緒に見ていますし、仕事の都合でこのあとのヴュルツブルクで合流することになってしまいましたが、息子夫婦と孫たちと一緒にこの日にクレークリンゲンを訪ねることができるのは本当に幸いでした。私が2回のリーメンシュナイダー写真展を開催し、5冊のリーメンシュナイダー関係の写真集を発行してきた理由も感じ取ってもらえるのではないかと思う気持ちもありました。そのマリア祭壇に奇跡の夕陽が当たり、時間と共に移り変わっていく様子をここに数枚の写真でお届けします。


①16:53 まだ少し明るい状態で左翼下の「受胎告知」が照らされています



②17:16 左下に跪く弟子たちに光が当たり始めました 



③17:33 この少し前に11分間曇り、光が戻ってきたところです



④17:34 ③よりもほんのわずか光が右上に移りました



⑤17:41 光が聖母マリアから右翼へと移っていきます 



⑥17:48 光の先が右翼の中央を過ぎました



⑦17:50 光はもう少しで聖母マリアからも弟子たちからも離れていきます


毎年8月15日の「マリア昇天礼拝」にて
 
 

 このようにして光とリーメンシュナイダーの祭壇彫刻が織りなす祈りのひとときが終わりました。私は④から⑤に光が移ろう間に必死で聖母マリアをアップで写していました。このとき、聖母マリアの一番美しい表情と手が見えるのです。このアップの写真は次回の写真展で展示するつもりです。
 昨年まではマリア様の左頬に黒いシミのような汚れが広がりつつあってとても心配でしたが、この日はそれがきれいに拭われていて安堵しました。

 

▶そしてもう一つのハイライト

 私たちは旅行中に、できる範囲で友人宅を訪ねていますが、そうしたドイツ人の家庭を息子一家と一緒に訪問する機会も今後そうそう持てるものではないので、ローテンブルク近郊にあるブッフ・アム・ヴァルトのフリーデルと、クレークリンゲンに住むラインハルト夫妻のお宅を訪ねることも計画しました。フリーデルは私が写真集を作るきっかけともなった写真家ヨハネス・ペッチュのお連れ合いで、今年91歳になりました。広いお庭には林檎の木が何本もあり、大人たちのおしゃべりに退屈した孫たちも元気に遊ぶことができます。実際は私とフリーデルのおしゃべりの時間となり、三津夫も息子たちもこの庭の雰囲気をゆっくりと楽しんでいたようです。

 ただ、このときは合計6名の集団を乗せてくれるタクシーを頼めるかどうかすごく不安でした。ローテンブルクのホテルの受付で6人乗れるタクシーがあるかどうかと尋ねたところ大丈夫という答えで予約も入れてもらえてホッとしました。当日の料金はローテンブルクからブッフ・アム・ヴァルトまでとブッフ・アム・ヴァルトからクレークリンゲンまでの2回お願いして合計156.5ユーロでした。
 クレークリンゲンでは昨年泊めていただいたイングリッドとヴォルフガング・ラインハルト夫妻がケーキを焼いて待っていてくださいました。フリーデルのところでもケーキをたくさんいただき、こちらでも美味しいケーキが待っていたので孫たちは大喜びでしたが、息子は頑張って食べたため、お腹を壊してしまったとのこと。するとイングリッドさんが大変強いお酒を出してくださって、ドイツではお腹が緩いときにこれを飲むと良いのだと勧められ、結果的にはすっかり良くなったのだそうです。ヴォルフガングさんは体調が整わなかったのにも拘わらず、イングリッドさんとお二人で私たちをヘルゴット教会まで送り迎えしてくださいました。来年にはすっかりお元気になられることを祈っています。

 そして息子たちの最終目的地フランクフルトでは、毎回お世話になっているトーマスがわざわざ駅から歩いて行けるカフェを予約して私たちを待っていてくれました。ここでも美味しい食事とケーキをご馳走になり、申し訳ないようでした。 

 昨年はトーマスの帯状疱疹がひどくて泊まるには負担が大きくなり、帰国前日にフランクフルト駅前のホテルまでルースと杖をついて歩くトーマスがやって来てくれたのでした。今年はトーマスは杖無しで歩いてこられるようになっていましたが、ルースは残念ながら故郷で集まりがあって出かけなければならず、息子一家に会うことはできませんでした。
 それでもこうしてドイツ人のお宅を2回訪問でき、息子一家には貴重な体験になったのではないかと思っています。

 ちなみに、ミュンヘンについた翌日に息子一家は日本語ツァーでノイシュバンシュタイン城に行ってきました。夜は私たちと待ち合わせてミュンヘン、マリエンプラッツにあるラーツ・ケラーに入ってビールやドイツ料理を楽しみました。2日目には近郊のレゴランドで1日遊びまくり、大変満足したようです。その間私たちは近隣の町まで足を伸ばして小さな教会を訪ね歩いたのでした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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