おにへー観ながら、ポン酒飲みつつ、なんとなくブログ更新しようかなと。
お盆休み突入しましたけど、何してますぅ?
ワタシは11日にすでにお参り行ったしぃ。その足で、おかんと立田とゆ~ところの道の駅にいきまして。
ここはレンコン畑の多い所なので、ハスが植えられているんですけどね。
やはりもう花はほぼ終了。
実になってました。
なんかのアンテナか、ごっついシャワーみたいな気もせんでもない。
レンコンの実、ちょっと好き。
つぼみは数えるほど。
おかんはカエルが好き。
私たちの足音で、さらさらと草をかき分けて水に飛び込む音と共にいなくなっちゃうんだけど、
「なぁにぃ。どこにおったのぉ」と姿なきカエル様に話しかけるおかん。
写真のこいつには、「あんた何しとるのぉ」と手を差し出し、チチチチチと舌を鳴らしてた。
ねことちゃうで、おかん。
この日は、野菜とか激安だった。
いつものスーパーできゅうり1本54円とか60円とかって値札見て、げんなりしてたけど、6-7本入ったナスが200円ぐらいとか、とりあえずうちの近所のスーパー(イオン系)の半額以下だったんで、野菜買いあさってみた。
「トマトはもう売りきれちゃったのかないんだよー」とおかんに話していたら、「ちょっと、ここにあるよ!」トマトの箱発見するおかん。
近づいてみてみたら、トマトの箱にはカリモリがてんこ盛り。
箱に騙されてはいけない ふれあい市場の法則。
【細かいことは気にしないのよ、の図】
お盆だから、とゆ~わけではないんだけどね。
ワタシの住んでするところは、大須商店街が近いとゆーのは、よくここでご紹介するので知ってらっしゃる方も多いと思いますがね。
大須商店街は、大須観音というお寺の門前町。
大須観音というのは、もともと清州という町にあったお寺を信長がこちらに移築したようだ。
歴史は1000年ぐらいある古い寺で、大須という町に来てからは500年経ってないのかな。
大須という名前も清州から来ているとか。
つまり、名古屋市中区の上前津近辺は、信長がいなかったらなかった町といえるかも。
そのせいか、大須商店街の中には信長ゆかりの寺が多い。
そして、上前津から地下鉄で1区の、駅名にもなっている東別院。
ここには、私のじーちゃんばーちゃんおばちゃんたちが永代供養されてて、墓を持たず納骨堂で居てもらっている。
だからちょくちょくお参りに行くお寺なんだけどね。
ここも大きなお寺ですけど、昔からの寺ではなく、もともとは織田家の城である古渡(ふるわたり)城があった場所だそうだ。
東別院の中を探索すると、城跡であることが書いた石碑がある。
信長がここに住んでいたかどうかはわからないが、東別院~上前津は、織田家と非常に深い縁のある土地とだということが、この辺りに住みだしてから徐々にわかってきた。
そして、私の名字を聞いた人で歴史に明るい人はみんなこういいます。
「ああ、織田にゆかりのある方ですか?」
そうなんです。
ワタシの先祖はどうやら、織田家の家臣らしい。織田にまあまあ気に入られたため、この家紋をいただいたらしい。
だからワタシがここに住んだのはきっと先祖の縁なのだろうなと思った。
しかもっ!同じ家紋の人に3人も出会いましたわよ!ブログ通じて(>▽<)!
言わなければわからない家紋の話も、たまたま出た話。何かしらの力を感じる一瞬。
先日、立田に行ったとき、おかんが何げに「あそこ、祠(ほこら)があるのかな?」と指した場所が気になり、神社と聞いてはご挨拶に行かねばならぬっ! と思い、ちょっと行ってみたのさ。
そしたらなんとっ!
織田家の管轄していた城跡だった!
そんなことがたびたびある。しかもおかんはそういうのをちょいちょい拾う。
そうかっ!織田がワタシを呼んでいるんだっ(ウソ)
あと私にはなぜか長野と九州、北は青森と仙台に、なにかしらの縁がある。理由はまだわからんけど、特に長野あたり発の縁はなぜかドワーッと広がっていく。これは大事にしなさいと言われているんだと思う。
そんな自分のルーツを、少しだけ感じる2016年のお盆でした。
もう一回ぐらいお参りするかな・・・
生きていたらもっと聞けたのに残念です。
しかし父は信長公ではなく家康公が好きでした(^^;
私は信長公の大ファンです。
提灯で安土城をライトアップさせちゃうところなんてロマンチストすぎます。
信長の息子が三重に養子に行き、私の旧姓を名乗ったとか。家紋は揚羽。
城跡があるんだそうです。
まあうちなんか末の末でw 江戸時代は下級武士でずっと江戸詰めで天璋院が最後を迎えたお屋敷で、千駄ヶ谷の多分今は元オリンピックプールになってるの。
大正末期に父の家が火事にあい、系図など全て失い、父の母方に伝わる懐剣だけが残ったそうです。今は疎遠になってる本家にあるかも。
母方は新潟の新発田城でご典医とかやってたそうで、母の曾祖母は着物に切髪でいつも自分の部屋で本を読んでいたとか。
滋坊の母方は宇都宮の勘定奉行で、お寺の柱なんかに寄進者の名前なんか書いてあるの。
住んでたとこは市役所にするというので立ち退きw
父母や祖母なんかが生きてるうちにもって色々聞いておけば良かったです。
以前、区役所めぐりをして先祖調べをしたことがあります。
とても親切に手続きを教えてくれました。
父方は天保時代に掠るくらいまで分かりましたが、それ以前は人別帳になるので非公開とのことでした。人別帳は罪状なんかも表記してあるからだそうです。
先祖話は尽きないよね~。(^^ゞ
うちは上杉、武田と縁があって曾祖父の代まで長野の諏訪大社にいたから、長野は特に親しみを感じるわ。
祖父が跡を継いでたら私も神官になってたかも~ww(^^ゞ
私の旧姓も長野に多い名字なので、長野の出身ですか?って聞かれたことが何度かあるよ。
あー、プルプル。歴史のことなんか考える油断も隙もないぜよ。
ひまわりの種みたいな味だった。
ところで、そのハスを買わずに取りに行った
80過ぎの爺さん(赤の他人)が沼で溺死してたお盆の始まり。ニュースで見て旦那と二人で呆れたわ。
お父さんが調べてたんだー。
ふふふふ。
ふみさんとも同じだもんね♪
信長って、好き嫌いが分かれるところだよね。
ワタシは・・・どっちも好きかな。
近くにいたら胃潰瘍になりそうだよね、信長公は(≧▽≦)
でもアイデアは天下一品だよね。
安土城のライトアップは、きっとぼぉぉっと暗闇に城が浮かんでいるように見えたんだろうなー。
敵は怖かっただろうねぇ。
●sariさん
ほほぉっ!
お父さんの方が!
sariさんは・・すごい調べたんですね。
スバラシイ。
揚羽の方を使っていたということは平氏に関係が深いのかもしれませんね。
いろいろとsariさんのように調べるキーワードのようなものがあると、ルーツが調べやすいですね。
うちは家紋とばーちゃんの言葉しかないので、想像するしかない部分も多くて。
人別帳まで残っているとはっ。しかもちゃんと管理してる!
お江戸は素晴らしいっ!
●ラビママさん
この間の電話、たのしかったですね(>▽<)
ラビママさんも考えてみたら長野に縁がある人なんですよねぇ。
諏訪大社の話、また聞かせてください(>▽<)
絶対に行きたいと思っている神社なんですよ。
あ、そーそー。
カリモリはね、お漬物用のウリなんです(>▽<)
干して、水分を抜いてから、ぬか漬けにすることが多いかな。
●thomさん
なんとっ
thomさん、規則正しいつぶつぶ(爆)だめなの??(≧▽≦)
ねこの顔が敷き詰められた絵とかもだめ?(笑)
ハチの巣はつぶつぶじゃないからいいのかっ
あれは部屋だもんね。
ぷぷぷ
●ちえぞうさん
ハスの実って食べれるの??
へーーーーー
へーーーーーっ
食べてみたいっ!
そのおじいちゃん・・・まさに天罰って感じのなくなり方だね。
そういう死に方だけはしたくないなぁ。
「もっと勉強しておけばよかった」って
今更ながら自分の教養のなさに恥を感じて生きております。
が、信長が反町みたいな顔だったら 絶対もっと勉強してたよなぁ。。。
あ、家康がタヌキだってことは知ってるよ。(>▽<)
ハスね、今年は沼に放たれた外来魚のせいで根こそぎ食われて大損害 ってのをテレビで見たわ。
ここは奇跡のハス畑かもよ。
ウシガエルのぼわぼわを聞きながら…でも星は綺麗でしたよ~。
ウシは鳴き声カワイクなーい!
ヤツら 機械で畑の草刈りが始まると 逃げ足だけは早いそうです(弟談)。
それはそうと 青森仙台に縁があるとか?
青森だと津軽藩か南部藩と 関係あったのかもですね。
ここ数日は風が涼しくてラクなのですが
すでに夏バテみたいで、ぐったりしております。
お盆の迎え火は蚊取り線香。
ルーツは、祖父母ですでに曖昧。
祖父は、出身地も知らない。
何年も前に、父方のおじが調べたところ
「平安時代か鎌倉時代に中国から来たお坊さん」までわかったそうな。
お墓参りは、なかなか行けなくなっちゃったけど
お盆じゃなくても思い出してるから
それでいいかな。
足軽だったらしいです~ ('◇')ゞ
けれど、桜田門外の変の後、
殿様が新政府に寝がえり打ったので、
徳川に義理を通したわれら一門は…。
いまだに歴史上有名なこの殿様は
地元の一部の人たちには、
嫌われています…(-"-)
やはり家臣を可愛がった殿様は
いつもでも慕われるんですね~('ω')ノ