おかんがペインコントール入院中。
おかんはメンタルが強くないのと、他者とワイワイやるのが苦手なタイプなので、患者さん同士の交流は頑なに拒否してるんです。
もう亡くなってしまったアノ人とかと話してほしかったなーと思うけど、後の祭りで。
今、病室に行って、彼女たちがまるで生きているかのように、あの人はこんなことに困っていたよーとか、彼女の遺品整理を手伝わせてもらったんだけど、このヒトはこんな人だったんだよーとか、話をしてやると聞きたがることが分かったのね。
だから、生きているとき、彼女たちはどう生きてたとか、何が好きだったとか、どんなわがままを言って、それでも愛されたか、話していこうと思ってるところです。
どんなに素晴らしい政策や制度でも。必ずボーラインに引っかかって救われない人がいる。これは仕方がないことなのね。ボーダーラインをなくすことは政策上無理。だからボランティアがあるのね。
でも、日本のボランティアは難しいな・・・・
救われるべき人が救われないなぁ・・・
辛い人は、毒を吐くんじゃなくて、ちゃんと話を聞いてくれる人と話した方がいいよ、
と、そんなことを思って酔ってます。
ペローーーーーーーン
今私の周りで一番つらい思いしている友人Cへ
アナタが一番がんばってる。
辛いと思う。見ているのは辛いけど、人の最後というのは、お産で赤ちゃんが辛い思いをして現世に来たのと同じ思いをして、天国に行くのだということも聞きます。
我々は見届ける人です。
辛い思いをしている人と同じ気持ちになってはいけません。
見届けなければならないからです。
彼女がどんな思いで逝ったか、彼女が何を辛いと思っていたか、彼女が大切していたものは何か。
見届けるというのは、同化する事ではないのです。
ただただ見て、辛い時は抱きしめて、ただただ見ているしかないのです。
何もできないのではなく、見ていることがとても素晴らしいことなのです。
だから、たくさんの手を借りて、たくさんの目で見ましょう。
そして、我々は見送るのです。