梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

おバカタレントに思う

2014-09-23 16:28:03 | 日記
   相方・・・いつの間にかこっちの呼び方になってしまいましたが・・・、業務用の文書じゃあるまいし、「弊社」はないのでは?

   高卒の子が大卒よりも仕事を覚えるのが遅いというのは仕方ないことですね。大卒よりも人生経験が4年も少ない・学力的な問題もあって進学しなかったのかもしれない・そして、高卒に向かって話をしている相方本人が大卒であること・・・。同じところまで下がっては話をするのにはこちらも修業が必要なのではないでしょうか?昨日まで高校生だった子たちを一人前の組織人に仕上げるためには、相方自身が接し方を徐々に変えていくテクニックを身に着けていることが必要条件かも。言わなくてもわかっていると思いますが。

   世の中、いまや「おバカ」全盛時代とも言えます。一世を風靡しているガールズ・グループの子たちなどは学生時代そのほとんどが「おバカ」に属していたのではないかと思います。ただ、その「おバカ」というのがなかなか侮れないものです。今若いタレントで三人おバカガールを挙げよと言われたら、私なら鈴木奈々、川栄なんちゃら(名前までは覚えていません)、坂口杏里の三人を挙げます。

   川栄なんちゃらは既にAKB48の中で位置を確保した感があります。しかし一番の成功を収めているのはなんといっても鈴木奈々だと思われます。正直、ほんとにおバカさんなのですが、タレントとしての使い勝手はに抜群のものがあるようです。どこから見ても「おバカ」でありながら、土曜日夕方にはMXTVにおいて、政治家や評論家が登場して政治や経済の裏側を語る番組のレギュラーを務めています。もちろんたいした意見は述べようがないわけですが、番組が堅苦しくならないような大事な役割を果たしているように見えます。更にはNHKの教養番組にまで進出しているのですから、立派なものです。

   痛々しいのは、母親の七光り以外の何物も持ち合わせていない坂口杏里です。小学校時代の通知表がおオール「1」であったのは有名な話ですが、「おバカ」の「お」を返上しなければならないほど悲惨です。三人の中で彼女だけが、空気が読めない、適切なコメントができないなど、その基本的能力の無さで、見ている者を完全に白けさせてしまっています。彼女を番組に出演させること自体がすでに立派な虐待になっています。

   坂口杏里を取り上げた時点で、話が方向性を見失ってしまいました。私が言いたかったのは、学校で学力不足のレッテルを貼られている子たちの中に、将来なんらかの成功を収める人間が混ざっているという事実です。昨日と同じようなことを言いますが、知恵遅れでも立派な芸術家になった山下清画伯の例を挙げるまでもなく、人間の才能はどこに隠れているかわかりません。

   昨日は私が最も疑問視している、数学の問題を挙げましたが、一つの教科の出来がひどいからといって、その生徒の将来を奪うような資格は誰にもないということです。私自身、数学が苦手であったために、英語教師という夢がはく奪されるところでした。国立大学であったために、落第させれば巨額の国費を私一人のためにつぎ込まなければならないという理由によって、事務長の権限で数学の単位が付けられたのです。一年から四年まで、毎年同じ数学の講義を四回も受けながら、ついに自力では単位が取れなかったのです。

   もし事務長にそこまでの権限が与えられていなかったなら、「英語教師梅様」は誕生することがありませんでした。当然、相方やKさんを知る日も来なかったのです。

人間の値打ち

2014-09-22 15:45:07 | 日記
   それほど大きな事を書こうとしているわけではありませんが・・・。

   先日テレビで、街行く若い女性達に指定した料理を作ってもらい、10人中何人が正しい作り方で料理ができるかを確かめるという企画があった時のことです。恐らくは料理自体出来そうにもない子たちを選んで出演してもらっているのでしょうが、9人までは惨憺たるものでした。手順・味付け、どれをとってもでたらめでした。

   しかし、撮影順から行くと本当は何番目だったのかは知りませんが、最後に紹介した、いかにも今どきのおバカな女の子が、見事に手際良く、何のためらいもなく、それを完成させて見せました。人は見かけによらないものとは、正にこのことだと思いました。

   ところでこの女の子、見た目通り、本当におバカな子で、なんと足し算が出来なかったのです。掛け算や割り算ならともかく、足し算が出来ないのです。一緒にいた友人が楽しそうに出す簡単な問題、小学二年生でもできる問題に、彼女は正解することができません。誰もできなかった料理をいとも簡単にやってのけて見せたくせに、足し算が出来ない!この子の頭の中は一体どうなっているのでしょうか。

   しかし彼女は他の子たちに出来ないことが出来ます。この料理しか作れないことはないと思うので、ほかにも作れる料理が沢山あることでしょう。結婚しても、取りあえずやっていけそうな気がします。

   さて、改めて元教師の目からこの子を見直してみます。足し算が出来ないということは、義務教育は通わせてもらえても、高校の授業にはついていけないということです。いや、高校入試の段階で選別されてしまい、高校自体入学出来ていないかもしれません。

   そんなことを思いながら、かつて自分が在職していた高校のことを思い出しました。高校の数学の先生は、基本無慈悲です。点数が足らなければいともたやすく落第点をつけてしまいます。このあたりの思い切りの良さは、文科系人間である私の思いもよらない潔さがあります。彼らは、人間の価値は多面的であり、数学の出来不出来で人間の価値が決まるわけではないという考え方には立っていません。いや、そんなことはないと彼らはいうでしょうが、現実には点数が足らなければ彼らの思考はそこで停止してしまい、該当する生徒が数学だけのために退学に追い込まれても、胸の痛みを感じたりはしません。本人の努力が足らないか能力が足りないのだから、退学に至るのは当然のことだと考えます。

   私が彼らの思考についていけないのは、私自身は、自分の教科である英語が出来ないからといって、その生徒の将来の芽を無慈悲に潰すことなど考えられないからです。高卒の資格がなければできないことは世の中に沢山あります。他の科目に突出した才能を見せたところで、高卒の資格がなければ大学受験をすることさえかないません。かつ、私立大学文系の入試科目には数学などないのです。このとてつもない矛盾を一体どう考えているのでしょうか。いや、考えてなんかいません。全然。

   数学に限らず、教師の中にはとてつもない発想に立つことができる人もいます。かつてある世界史の教師は、年度当初に、授業中携帯電話の呼び出し音がしたら、その生徒には「1」をつけるといって、その通り実行しました。該当生徒は当然落第し、高校を4年間かけて卒業しました。次の年私が担任を引き受けたのですが、明るくてとても性格の良い女生徒でした。まあ、ダメといったら企画はずれにダメなところもあって、修学旅行先から途中で親に引き取ってもらったりしたこともあった位でしたが、そんなダメさを補って余りある、可愛げのある子でした。

   私はとても怖い先生として知られていましたが、一方では絶対に生徒に「1」をつけたりはしませんでした。どんなにダメな生徒であっても、良く観察していれば、この私よりも優れたところがどこかにあるものです。私より優れたところがある生徒に、私の科目で「1」をつけ、将来の道をはく奪することなど、考えるべきではありません。第一、卒業させてやりさえすれば、その後どういう変貌を遂げるかは、たかが教師風情が決めつけられることではないのです。

   「1」はつけない・・・・。それは教師の仕事として正しいことなのか、間違ったことなのか、人によって、または科目によって、考え方は様々だと思います。たとえば商業高校において、簿記という科目が出来なかったら卒業させない、これは仕方のないことだと思います。しかし、たとえば私の教科である英語などは、出来なくとも生活に特に差し支えはありませんし、世界史を知らなくても問題なく生きて行くことができます。

   学校という場が、もっと人間の多様性を認め、育てる場になることを期待しています。   

ああ矛盾

2014-09-21 14:44:48 | 日記
   一緒に韓国語を習っているHさんからメールが届きました。テキスト付属のMP3CDがカーステレオでも聞けたとのこと。私の車の場合はどうなのでしょう。第一この車を買ってから2年半というもの、ラジオは聞いても文化放送だけ、せっかくついているテレビは見たことなし。ましてCDなどかけたこともありません。しかし試してみる値打ちはあるので、いずれかけてみましょう。第一Hさんがまったく気づかないでいたことを教えてあげたのは私なのに、自分ではやってもいないのはおかしな話ですから。

   Hさんは筋金入りの韓流ファンです。もうすぐ50歳に手が届く女性です。JYJのCDを聞いて、どのパートを誰が歌っているのか、ちゃんと聞き分けることができます。(ファンなら当たり前か・・・)東方神起のコンサートがあれば申し込み開始時間と同時にパソコンから間髪入れず申し込みます。

   そんなHさんは年に何回か渡韓します。(本題とは無関係ですが、ATOKを組み込んであるとこんなに変換精度が違うのですねえ。韓流も「はんりゅう」で一発変換しますし、東方神起も一発変換しました。MS-IMEの無反省な進歩のなさが許せない気持ちになります。)今回の渡韓で特に印象に残ったエピソードを語ってくれました。

   地下鉄の駅を出て道路に出た瞬間、見ず知らずのおじさんが、いきなり「〇〇はあっち!」と聞きもしないのに教えてくれたそうです。そこに来た日本人の多くがその〇〇へ行く人達だと知っているので、聞かれなくとも教えてくれたのです。Hさんも実際そこへ行こうとしていたところだったのでした。

   また他の場面では、地下鉄の駅で複雑な路線にとまどっていると、若い男性が声を掛けて来て、一緒に付き添って必要な改札口まで連れて行ってくれたそうです。もっともHさんは親切さ以上に、「それが若くてすごいイケメンだったの!」という方にいたく感激していたのでありますが。

   私も同じような親切に遭遇したことがあります。娘と二人、ソウルの交差点に立って、道を確認していると、きちんとした身なりの男性がすぐに声を掛けてきました。取りあえず 〝Do you speak English?” と来たので、
いやしくも英語教師であった私はもちろん 〝Yes" と答えました。 その時は特に道に迷っていたわけではないのですが、バスがいいか地下鉄がいいかと聞くので、バスと答えると、該当のバス停まで連れて行ってくれただけでなく、バスが来るまで待って、運転手に私たちが降りるべき停留所名を告げ、そこで降ろしてくれるように依頼してくれました。

   そんなことがある度に思います。韓国政府がやっているあの反日は一体何なのか?時折テレビで見るあの派手な気違いじみた反日パフォーマンスは一体誰がやっているのか?街角インタビューで、「日本人は猿みたい。」とか、「日本人の女の子はブスばかり。」などと答えている連中は一体誰なのか?全く関係のないアメリカでいわゆる「従軍慰安婦」の像を立てて喜んでいる連中は一体何を考えているのか?

   私はもう何年も個人的に韓国に対する「経済制裁=韓国に行かない」を続けています。 あの素朴で親切な韓国人を思い出すと、また行ってみようかな、という気にはなるのですが、新聞を見る度にまたいや、まだ駄目だ!と気を引き締めている今日この頃です。

   しかし、このままだとあの地に再び足を踏み入れる前に、私の寿命が尽きてしまいそうです・・・・・。

「るろうにん剣心」に思う

2014-09-19 17:36:59 | 日記
  先日、萬屋錦之助主演の「織田信長」を久しぶりに見ました。BSで放映していたのですが、大変懐かしく鑑賞しました。

   私がこの映画を前回見たのは、50年以上前、小学校低学年の時であったと思います。当時私たちは映画館で映画を見られるほど豊かな生活をしていませんでした。そこで夏休み期間のある日、公園に柱を立て、そこに真っ白い布を張ってスクリーンに見立て、映画を映して鑑賞したのです。この「織田信長」も、このようにして鑑賞の機会を持つことができたのでした。

   当時人気絶頂であった錦之助は、演技力に長け、時代劇でありながら、恐らく8歳位であったであろう私を少しも飽きさせることがありませんでした。当時は日活が10日で一本の割合で娯楽現代劇を撮影していた映画全盛期でしたが、一方でこうした本格時代劇も制作されていたのです。

   以前、キムタクごときが織田信長を演じるべきではないと書きました。本物の時代劇俳優の演技を見てきた私には、とても見るに堪えないからです。時代劇俳優は、トレンディドラマの俳優と違って、特別な修業が必要でした。かつて北大路欣也がその父親と時代劇で相対するテレビ番組があったのですが、父親はきっちりと江戸時代の武士に成りきっていたのに対して、既に功成り名を遂げていたはずの北大路欣也が、見ちゃいられないほど見劣りしていました。

   最近読んだ記事の中でも、とある俳優が、最近の若い俳優は時代劇が全くできないと嘆いていました。袴を穿いて立ったり座ったりを繰り返すと、動作がなっていないために、演技の途中で脱げてしまうのが常なのだそうです。また、時代劇では口先での発声ではなく、腹式呼吸で腹から声を出さないと、トレンディードラマっぽいせりふ回しになってしまって、時代劇としてのリアリティーがなくなってしまうのです。

   この点は韓国でも同じで、とある人気女優は時代劇に抜擢されたものの、時代劇にふさわしい発声ができなかったために毎日監督に居残りを命じられ、何か月もかけてようやくそれらしい発声ができるようになったそうです。時代劇を演じるということは、国を問わずそれだけ難しいのなのだと言えます。

   目下韓国ドラマ「イ・サン」を見ているところです。突っ込みどころ満載なのですが、それは別の機会に譲るとして、国王の演技が完全に時代劇になっているのに対して、主人公を演じるイ・ソジンはもう押しも押されぬ中堅ですが、それでもすぐに現代劇っぽい軽さが顔を出してしまっています。時代劇を演じるのは本当に難しいものです。

   さて、本題に入りましょう。「るろうにん剣心」、見れば見るほどダメです。佐藤健を始めとする役者たちに時代劇の素養がないばかりか、以前書いたように、ありえないアクションばかり続くので、到底時代劇の範疇に入れてはならないものです。

  この映画の監督は、20年間香港映画でアクション・シーンの指導に当たってきた日本人だそうです。曰く、「日本の時代劇のアクション・シーンは嘘だ。」とあります。では彼が作ったアクション・シーンはどうなのか。ワイヤーで釣ったりカメラを早回ししたりして、人間には絶対に出来ない動きでアクションを構成しています。人間にはできない動きで構成したのなら、それはもう時代劇ではなく、SF映画と呼ぶべきです。

   撮影中、役者たちは生傷が絶えなかったことと思います。彼らは今までとは全く別の苦労を経験したとは思います。しかし、私の答えはやはり「ノー」です。この映画は日本の文化と伝統を知らない監督が働いた「無礼」な作品だと言わせてもらいます。

就職率アップ?

2014-09-18 15:05:36 | 日記
新聞によりますと、来春卒業予定の高校生に対する求人倍率が、2008年度以来初めて1倍を超えたとあります。就職希望の卒業生の数より求人数のほうが上回ったということですね。

   思えば今を去ること41年前、私が今は廃校となった池袋商業高校へ新卒として赴任してからしばらくの間は、卒業生は引く手あまた、私の指導の下三年間ハードル競技に明け暮れていたS藤さんなども悠々と外資系企業の事務員に採用されていました。商業高校からは大手銀行や証券会社に悠々と就職できたのです。当時、時代は高度成長期にさしかかり、就職ができないなどということは、全く考えられない時代だったのです。

   しかし長い普通科経験ののち、最後の4年間勤務した葛飾商業高校時代には様相は全く異なっていました。就職自体が全くの不調でした。その上私がいた4年間で求人は更に減り続け、最初の卒業生と次の学年の間には決定的な差がついていました。求人情報を張り出した模造紙の数が減ったのですから、一目でその変化は明らかでした。求人倍率が、1:1を下回り始めたのです。好みの企業を選ぶことなど不可能になりました。求人が来たところに行くしか道は残されていなかったのです。

   新聞によれば、今年はその状況に明らか変化があったといいます。厚生労働省発表によれば、来春卒業予定生徒の求人倍率は、1.28倍。倍率だけは高くなってきました。その原因としては、団塊の世代と呼ばれた極めて人数の多かった世代(一クラスが50人近く、一学年10クラスなどがあり、分校を作った学校もありました。)が退職の年齢を迎え、その穴埋めに新規採用をしなければならない時期を迎えているのに、少子化のため就職志望者が減ってしまったことが考えられます。

   それでは来春の就職は明るいのかというと、実はそうでもありません。商業高校は事務の技術を教えるところですが、かつてのように大企業の事務系の求人はありませんし、事務系の求人そのものが極めて少ないです。企業側にしてみれば、山ほどいる短大卒や大学卒を採用すれば済むことなので、何も好き好んで商業高校から採用する必要どないのです。専門が通用しないのは工業高校でも同じです。

   現在の求人の多くは、良くて販売、それも駅の一角で畳一枚のスペースに一日中立ってケーキを売るといった仕事です。他は飲食店や配達といった、単純作業の仕事ばかりです。強気の商業校では、こうした求人は生徒に対して発表すらせず右から左に流してしまいます。したがってこうした関係には学力が低めの学校の卒業生が流れ込んでいくことになります。仕事そのものはアルバイトと変わらないので、何のために高校で簿記等の資格を取得したのかわからなくなってしまいます。ただ、概して貧しい家庭の子女が多いので、それでもあきらめて就職していきます。

   職業に卑賤はないとはいえ、最高の時代と最低の時代を商業高校で目の当たりにしてきた私としては、あの子たちをもう少し正社員っぽい仕事につかせてやれないものかと嘆いてしまいます。ただ、こうした単純作業の仕事を外国人労働者に依存してしまうと、それはそれで国家として大きな問題を抱えることになってしまいますので、残念ながらやむをえないのかな、という気になってしまう時もあるのですが。その問題については日を改めて検証してみるつもりでいます。