梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

小林幸子

2014-09-28 16:46:14 | 日記
   演歌歌手について書くのは初めてではないでしょうか。

   小林幸子のファンなのかというと特にそういうことでもありません。CDも所有していませんし、公演にも行ったことがありません。それなのになんとなく心に引っかかるものがあるのは、デビュー前から彼女のことを知っていたからかも知れません。

   私の家は貧しかったので、近所の家がみなテレビを購入した後でも、なかなか我が家の番にはなりませんでした。何しろ住んでいた借家の電気が5Aの容量しかなかったのです。これでは電気ストーブ一つすらつけることができません。我が家に冷蔵庫や洗濯機が入るのは、後に建売を買って所沢の畑のど真ん中に引っ越してからの事でした。高校時代交差点で飛び出してきた子供を自転車で引っかけて交番に連れていかれても、我が家には電話がなく、近所の電話番号も知らないので、連絡することもできす、長時間拘束された、そんな「遅れた」人生でした。

   しかし親類は結構金持ちばかりなのです。やがて我が家にもテレビが入る日が来ました。栃木県で病院を経営していた親類(母の妹がそこに後妻に入っていました。)がテレビを買い替えた時、古い方のテレビを我が家に譲ってくれたのです。昔のテレビですから、白黒14インチのブラウン管の両側には立派なスピーカーが付き、画面の前には扉がついていて、さらにその上には豪華なカーテンが掛けられているという代物でした。

   そんなテレビで見たのが、当時まだ小学生だった小林幸子の姿でした。年齢は私と同じくらいではないかと思います。素人の勝ち抜き戦の番組だったと思いますが、その番組で優勝したのが小林幸子だったのです。彼女はあまりの歌の上手を買われて、ほどなく天才演歌歌手として華々しくデビューしました。しかし全く売れることなく、いつの間にか私たちの脳裏からその存在が消え去って行きました。

   彼女が再びブラウン管に姿を見せたのは、すでに「嫁に行き遅れた」というべき年齢に達してからでした。その後数曲ヒットを飛ばした彼女は、確か紅白歌合戦に30回以上連続して出場し続けていたのではないかと思います。それが数年前に事務所とのトラブルがあって紅白の連続出場が途絶え、歌手生命が怪しくなっていた今日この頃・・・・。

   数日前に久々彼女の姿をテレビで見る機会がありました。野外の舞台で歌う彼女の前には沢山の若者たちが立並び、激しくペンライト(最近は違う言い方をするようですが)を振って乗りまくっているではありませんか。
どうも、第二次小林幸子ブーム?が訪れたようなのです。なぜ?彼女が着て報道された衣装が、ゲームの最後の方に登場するボスキャラの衣装とよく似ていたので、ゲーム好きの若者たちに大受けしてしまったのだそうです。なんでも、これを称してラス・ボスというのだとか。彼女のコンサートでも客の層がかなり若返り、「ラス・ボス」という掛け声がかかるようになったという話です。

   小林幸子という歌手は、あまり幸運には恵まれて来なかった人のように思われます。紅白出場が途絶えた時には、年齢も年齢だけに、これで歌手生命が断たれた、と誰もが思ったに違いありません。それが、ほんのささやかな偶然で一気に盛り返してしまったようです。本当に人生というのはわからないものです。

   ま、人生何があるかわからないので、この私も、腐り過ぎないように自戒しながら、自分なりに頑張って見ようと思います、はい。