梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

「ベスト・キッド」を見る

2014-09-26 16:04:18 | 日記
  今晩民放で、「ベスト・キッド4」が放映されるようです。今回はジャッキー・チェンと黒人の子供という組み合わせです。前作までは沖縄出身の老人という設定で師匠になる人物が登場していたのですが、4に至ってついにジャッキー・チェンこと成龍が出演することになりました。その分なんとなく信憑性が増し、その代わりに神秘性が失われた感がありますが、ここで私が述べたい内容とは関わりがないので、そこには突っ込みを入れません。

   実は「ベスト・キッド3」もしばらく前に放映されていたのですが、見始めたものの、主人公の女の子の動きに無理が感じられ、開始早々視聴を放棄してしまいました。目先を変えたかったのでしょうが、少々やり方が姑息であったような気がします。ちなみに、この映画とは関係ありませんが、最近CMに登場する「瓦割り」の子、私は結構好きです。彼女がまだ女子高生でデビューした頃から私は知っています。

   本題に戻ります。「ベスト・キッド」シリーズは水戸黄門も真っ青というほど見事にマンネリ化したシリーズですが、その分ストーリー展開は最初から読めてしまう分だけ、安心してみていられます。途中トイレに行こうが風呂に入ろうが、全く問題ありません。結末は主人公が勝つに決まっているからです。

   私はこの「ベスト・キッド4」は旅行先で中国版のDVDを購入し、中国語版で鑑賞したのですが、(何語で見ようと関係ありませんが。)シリーズの4まで見終わったところでの感想は、恐らくほかの皆さんとは少し違ったものになるのではないかと思います。

   私は自分自身が「いじめられっ子」でした。したがってこうした映画も、純粋にいじめられる側に立って見ることができます。その意味では、いじめられっ子がユニークな修業の果てにいじめっ子と空手の試合で対決し、これを倒すという筋書きは、小気味の良いものです。つい拍手喝采したくなります。

   しかしその一方で、いじめられっ子代表として言わせていただくなら、この映画は4作まで制作しながら、いじめ問題については何の解決策も示してはいません。いじめに対する真の解決策など実はあり得ないのですから仕方ないのですが、であればこそ、こんなものを4部作も作るなと言いたくなります。 

   この映画が示していることは真実です。いじめられっ子は、いじめっ子よりも喧嘩が弱い間は永遠にいじめられ続けます。大人になったところで、いざとなれば喧嘩が強い男の方が立場が強くなります。したがって、いじめらるのがどうしても嫌だというのであれば、自分が一番強いということをはっきりと実力で示さなければなりません。そしてこの映画は、そうすれば問題はすべて解決するのだということを示しているのです。

   ところで、その結論は、果たして現実問題として何らかの価値があるものなのでしょうか。いや、極一部の身体能力に恵まれた人間なら、主人公の後を追って修業に励むことにより、いじめの世界から抜け出すことができるでしょう。しかし99.9パーセントの人間にはそんな未来は待ってはいないのです。

   この映画は、ほとんどすべてのいじめられっ子にとって、フィクションであり、おとぎ話の域を出ません。そして何より重大な欠陥は、この映画は結局、暴力に打ち勝つにはその暴力を上回る暴力をもって立ち向かうことだけが有効な解決策であることを、余すところなく示しているということです。その意味におい、この4部作が放つメッセージは、極めて暴力的で、原始的で、悲観的なものとなるのです。

   私は暴力を伴ういじめは、未来永劫無くなることはないと思っています。それは動物としての本能に根差すものであり、そう簡単に理性をもって抑え切れるのものではないからです。であればこそ、せめて映画の中では暴力を伴わない美しい筋書きでいじめを解決してもらえないものでしょうか。いじめに対する解決策として、いつまでもこんな形しか提示できないということ自体、問題の本質を如実に表しているのではありますが。