梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

読書感想文「歴史認識とは何か」

2015-10-28 15:46:18 | 日記
   {「歴史認識」とは何か}という新書を北千住駅構内で買って読み始めました。「対立の構図を超えて」というサブタイトルに引かれて思わず購入してしまったのですが、読み始めてすぐに怒りと後悔の念がわいてきました。2015年7月初版のこの本、つまりはこの手の本としては最新のものと言わねばなりません。にもかかわらず私は何故に怒りと後悔という言葉を使わざるを得なかったかといえば、この本が結局一方の立場に加担し、公平な視点で書かれていたものではなかったからです。

   何よりも怒りを覚えたのは、この本が読者を導く先は、一言でいえば、「日本が悪かったのだということを認めなさい。」という一言に尽きるからです。筆者は東大大学院を卒業し、いくつかの大学で教鞭を執った後、現在は東京大学名誉教授という立場にありますが、もはや少しでも意識のある人なら周知の事実をすべて無視して話を進めていきます。ここで全てを語りつくすわけにはいきませんが、たとえば、75ページにはこうあります。

   「何といっても真珠湾とマレー半島を無警告攻撃して対英米戦争を開始した日本側に非があったことは否定できない。」

   この点については、既にアメリカ側の公文書で明らかになった事実があります。時の大統領ルーズベルトは日本を完全に経済封鎖し、日米開戦を正当化するために、「ジャップから先に一発撃たせる。」という方針を固め、着々と日本を追い込んでいきました。後に占領軍司令官マッカーサーが上院において、「あれは日本にとって自衛のための戦争だった。」と証言していることにも触れていません。既に日本は、負け戦を覚悟で一矢報い、少しでも望ましい条件で講和を結ぶために戦うという、勝てないことを承知の上で開戦せざるを得ない状況にあったのです。181ページには、こうあります。

   「今度は1937年に盧溝橋事件で日中両軍が衝突し、日中戦争へ発展していきます。」

   この時繰り返し発砲し日本軍と国民党軍との間に疑心暗鬼の念を抱かせ、戦闘に突入させたのは実は共産党の軍であったということが既に明らかになっています。いわば両軍を共倒れさせ、そのすきに乗じて中国を乗っ取ろうとしていた共産党の手口に我知らず載せられてしまったということです。したがって盧溝橋事件を語る際にこの件について全く触れず、背景を説明せずにその後の展開だけを述べるのは無責任です。

   万事がこの調子です。戦後朝鮮人が日本国籍を「奪われた」という経緯についても、まるで日本人が悪意を持って日本国籍をはく奪したかのように書かれていますが、朝鮮を併合していたものが、併合が廃止されたのですから、朝鮮人がめでたく元の国籍に帰れるのは当然のことではありませんか。肝心の朝鮮人自身、「俺たちは戦勝国国民だ!」と急に態度を大きくさせ、トラブルを起こしておいて相手の日本人を暴行殺害するという事件がいくつも起きています。警察もこの敏感な問題に手が出せず、業を煮やした暴力団が警察に変わって朝鮮人を襲撃して事を収めたという事例もあります。朝鮮人自身が、「俺たちはもう日本人じゃない!」といって大暴れしていたのです。この事実に触れずにかわいそうな朝鮮人扱いは間違っています。朝鮮人は今でも「国を奪われ、言葉を奪われた。」と言い張っているではありませんか。朝鮮人や韓国人にとって都合の悪いことは書かない、というのが著者のスタンスなのです。

   歴史認識と言えば、避けて通れない問題があります。筆者は、「いわゆる従軍慰安婦問題」についても、一方的な肩入れが目立ちます。名乗り出た従軍慰安婦の証言が揺れに揺れているにもかかわらず、それを問題にするのは「極端な揚げ足取り」だとして切り捨てようとしています。しかし、その証言の内容が、「親に女衒に売られた。」、「クリスマスにはジープに載せられて連れていかれた。」などという話が含まれていたりするのですから、証言の信ぴょう性が問われるのは当然です。日本軍はクリスマスを祝ったりしませんでしたし、そもそもジープはアメリカの軍用車両です。

   極めつけはここ数年の日本人の韓国に対する心情的な冷え込みについて全く理解を示していないことです。この原因については素人でも知っているではありませんか。愚かな前大統領が、天皇陛下に対して、「韓国に来るなら跪いて詫びろ。」といった発言を契機に、日本人の多くは一気に韓国離れしてしまったのです。著者は韓国側のひどいやり口については全く触れようとしていません。

   また、韓国人・朝鮮人の、どうにも救いようのない民族性についても、著者は一切触れません。これまでにこのブログでその問題については繰り返し書いてきましたので、ここでは触れませんが、この民族性を抜きにして日韓関係は語れませんし、この悪しき民族性が変わらない限り、絶対に日本人と信頼関係を結ぶことは不可能です。

   最後の方、209ページで、「KPOPや韓国ドラマ・・・・社会の高齢化…自殺…テーマはいくらでもありますーを日韓シンポジウムの形で学者、ジャーナリスト・・・・・たちに論じてもらい、その内容を日韓両方で報道する、そういった試みを持続させ、積み重ねていってほしい。」と述べていますが、そもそも日韓シンポジウムなど成立しないのは、古田博司先生を始めとする韓国通の先生方の報告で死ぬほど明らかになっています。著者は韓国人について、あまりにも無知過ぎるのです。

   結論が、「お互いに努力してもらいたい。」という、何ら意味を持たない無味乾燥なものになっているのは、なぜなのでしょう。「歴史認識」「対立の構図を超えて」という書物の結論が、「お互いに努力しましょう。」では身も蓋もないではありませんか。結局この程度のことしか言えないのなら、最初から偉そうな本なんか書くんじゃない!と言いたい。


   
 

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