梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

前回の続き・結論編

2021-01-03 15:21:43 | 日記
KARA・少女時代、のちLOVELYZさん、私が書いて良かったと思わず頬が緩んでしまうような有難いコメントをありがとうございます。

私は、パソコン→タブレットという形式の授業は、人間を作る教育ではなく、知識を得るための教育にしかならないと考えております。授業中子供たちは教師の方を見ているのではなく、手元のタブレットをのぞき込んでいる。教師も本体の機器の操作の方を重点的に行う。それでは人が人を教えるという、教育の原点からは大きく外れてしまいます。まるで見て来たかのような臨場感あふれる歴史の授業など、無用の長物となるでしょう。
黒板の前に立った教師が、こちらを見ている生徒たちの表情や反応を見ながら、進め方や内容を調節していくという、教師の熟練の技は無用の物となり、大学を卒業したばかりでも機器の操作に長けた人間が、効率的な授業を行える教師だということになってしまうのではないでしょうか。

教師と生徒の関係は、実に微妙にして深いものがあります。この生徒は一生私の家の方角に足を向けて寝られないぞ!という場合は、概ね恩義など感じていません。その一方で、たった一年間しか教えておらず、その間にたった一度だけ、数秒だけ声をかけただけの生徒から、永遠に年賀状が来たりします。中にはどうしても顔が思い浮かばない生徒からすらも年賀状が来続けるものなのです。
声をかけるタイミング、内容が期せずして絶妙であると、そんな不思議なことが一度ならず起こるものです。タブレットが相手では、そんな人間的な触れ合いは皆無に近くなることでしょう。職員室に呼んで話をしたからといって、子供たちの心に残るものではないのです。そんなやり方は、概ね教師側の自己満足でしかありません。

更に話を少し広げると、学校のコンピュータ化は、教師を少しも救わないという、予想を覆す結果が既に出ております。この方面の先進国である韓国は、日本をはるかに引き離してアジアの先頭を切っていますが、学校をコンピュータ化したために、教師は日々の様々な入力作業のために、一日当たり4時間を費やさねばならないそうです。これは勤務時間の半分に当たりますから、授業をしていない時はキーボードを叩いているという、本末転倒な事態に陥っている訳です。

簡単に言うなら、コンピューターやプログラム化された教材が人を育てるのではなく、人が人を育てるのだという原点を忘れたくない、ということです。いや、タブレットを利用した教育が浸透すれば、そんな簡単な原理すら念頭にない教師が世の中に蔓延してしまうことでしょう。そんな教師に教わるのは、皆さん方の大切なお子さんたちなのです。
中国では時代に逆らうかのように、旧態依然たる教育方法を売りにする私立学校が新設され、それを支持する保護者たちが我が子をこぞって送り込んだりもしています。古典的な教材を旧式なやり方で教える学校と、タブレットに頼る近代的な方式の学校と、どちらが優れた人材を生み出すか、これは見ものです


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1 コメント

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深い学びを賜り、心より感謝申し上げます。 (KARA ・ 少女時代 のち、LOVELYZ)
2021-01-03 20:02:55
 今回の記事も広い御経験と深い御見識に裏打ちされた内容に溢れており、感動をもって味読させて頂きました。
 本当に、教育も、さらには音楽も、やたら目新しいツールの使いこなしと情報的処理の効率性に大きく偏向している面がいよいよ大きくなってきていますよね。人間・人間関係・人間社会というものがそんな一面的なものでは到底捉えきれるものではないにもかかわらず、<情報的処理>(乃至、それに類したもの)の効率性ばかりが持て囃されている偏向が物凄いですね。学校教育だとなおさら、血の通った人間というものこそ主人公であり、ご教示のように、<ツール的還元主義>・<知識への一面化>・<学習心理学的効率化(・単純化)>などよりも遙かに広く深い営みであることはいくら強調しすぎてもしすぎることはないほど、たいせつな核心だと痛感します。
 深い学びをお与え頂き、心より感謝申し上げます。
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