梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

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2017-08-12 09:15:41 | 日記
  Kさん、いつもコメントありがとうございます。一流選手はきちんと休養を取る・・・。実は、意外と超一流選手がきちんと休養を取らずに本番で失敗した例は少なからずあるんですよね。私は陸上競技の場合しか責任を持って語れないのですが、陸上競技で国民を落胆させた選手は結構います。

  今でも多くの人がその名前を知っていると思われる例では、マラソンの瀬古選手がその代表例です。ロサンゼルス五輪本番の10日前、彼は神宮外苑のアスファルトが照り返す歩道上を、30℃を超える猛暑の中、40kmのタイムトライアルを行ってから渡米し、本番に臨みました。当然のことながらひどい疲労を残したまま出場した瀬古選手は、惨敗してしまいました。後日、4位に入った宋茂選手が、この40km走について暴挙だと厳しく批判していました。

  更に遡ってメキシコオリンピックに出場した長距離の沢木選手は、すさまじい切れ味のラスト・スパートを武器として、ヨーロッパで一流選手をなぎ倒し、本番でもメダルを取るのではないかと期待されていました。ところが事前に練習を追い込み過ぎて、過労状態に陥ってしまいました。あるコンディショニングの専門家が脚に触れてみたところ、筋肉が過労のためカチカチに固まっており、とても走れる状態ではなかったそうです。

  そこでこの専門家が、マッサージでこの筋肉をほぐし、疲労物質を追い出してやるからと治療を勧めたのですが、沢木選手は陸連の合宿があるからとこれを断り、合宿で更に状態を悪化させてしまったのです。本番では走るどころの騒ぎではなく、実に周回遅れという悲惨な成績に終わってしまいました。

  更に遡って東京オリンピック。森本葵選手は800mで、ドイツに留学し、ウイッシュマン教授の元、快進撃をしており、現地では森本はかならずメダルを取るはずだと評価されていました。ドイツでの練習は長時間かけない合理的なもので、疲労を後に残さないものだったのですが、オリンピックのシーズンには日本に帰り、ウイッシュマン教授の管轄下でなくなってしまったために練習量が無駄に増え、直前には急性肝炎にまでかかってしまいました。それでも自己記録に近いタイムを残したのですから、うまく自己管理が出来ていたら・・と、残念でなりません。彼の成績は準決勝落ちで、決勝には駒を進めることなく終わりました。

  正反対の例があります。400mで日本人として唯一44秒台の記録を持つ高野進選手は、週に3日しか練習しませんでした。週の前半を練習日に当て、週末に競技会に出場して刺激を与えるという方式で、世界選手権もオリンピックも決勝に進むという、画期的な成功を収めたのです。

  中高校生に激しい運動を課していると、大けがにつながる場合もありますし、消耗させて選手生命を短くしてしまう場合もあります。以下は私の体験談であり、以前にもこのブログに書いた事例ではありますが、関連事項として再び書かせていただきます。

  私が教えていたある中距離選手は、突然背骨を骨折してしまいました。私の練習でそんなことが起こるはずがないと、いぶかしく怒っていたのですが、実は彼は高校時代バレー部に所属し、エース・アタッカーとして、ガンガンスパイクを決めていたようです。思い切り反りかえってはその反動を利用してボールを打つという動作を繰り返している内に、中学時代に既に背骨が疲労骨折しかかっており、高校入学とふとした瞬間に完全に折れてしまったのでした。彼は半年間の入院、欠席が多かったために進級できず、留年となりました。

  顧問が競技テクニックや体力づくりにしか関心が無い場合は、当然ながら弊害が出ます。ある女生徒が、体育大を受けるので、ついては私に100mを速く走れるようにして欲しいと依頼して来ました。この高校では私は陸上部ではなくなぜか水泳部を受け持たされていましたので、なぜ私に?と疑問には思ったのですが、私を信じて頼ってきた者を拒否するわけにも行きません。

  教えようとしてまず愕然としたのは、アキレス腱が異様に硬化しており、たとえば左足を曲げて座り、右足を立膝にしてそのまま前に押し出して曲げて行く、単純なアキレス腱伸ばしのストレッチングが全く出来ないのです。これでは速く走るどころの話ではありません。このままスタートダッシュなんかを教えようとしたら、アキレス腱を断絶しかねません。

  彼女もまたバレー部のエース・アタッカーだったのですが、指導者が練習後の体のケアを全く教えていないことは明らかでした。主練習が終わるとそのまま解散という、乱暴な終わり方をしていたのです。ただ、バレー部の顧問は大変理解ある方で、この子の短距離走の指導については一切口を挟まず、100%私に任せてくれたので、面目が経つ程度の成果は挙がりました。本番の実技テストでは、体育予備校主催の100メートル走で勝てなかった相手を軒並み抜き去って、無事合格してくれました。

  昔ある体育教師がこう言っていたことがあります。自分たちは、生徒たちが高校時代に目いっぱいの競技成績を挙げられるよう、とことんやるしかないんだ、と。私はその時、部員たちが限界ぎりぎりの成績を残せるように指導する必要などさらさらなく、やればまだ伸びるという余地を残して、大学なりなんなりの指導者に引き継ぐべきだと思っていたので、それ以上の会話は避けました。私は、万一高校卒業と共に就職するなりして競技を離れることになったとしても、部活が楽しかったと思ってくれればそれは十分な成果を上げたことになると信じていましたし、現在でもその考えには少しも揺るぎがありません。