Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ケントの NHS 事情

2019-06-06 14:16:37 | 日記19

ヒーヴァ―城で孫と楽しい時を過ごしている午後3時過ぎ、娘の携帯電話に亭主から連絡が入った。

なんでもついさっき4回も頭が爆発するような気分に襲われ5秒ほど失神状態になったという。手に持っていたコーヒー茶碗を落としたのも気づかなかったという。

娘は驚いて救急車を呼ぼうかと聞いたら、いつもは嫌だという亭主が素直に呼んでくれと言った。

すぐ救急車を頼んだら、呼吸をしている状態だったら2時間以内に行きます。との返事。

私も娘も驚いて、娘は隣の奥さんと友達で電話番号を知っているし、私は近所の親しい老夫婦に一斉に電話した。それで隣のおじさんと近所の老夫婦が驚いて駆けつけてきた時と同じく救急車もついたという。

救急隊員が心電図をとったり血圧を測っている時にまた変な発作が起こったので、彼らは病院へ連れていくことにした。隣のおじさんが救急車の後ろからついていくとの連絡が入ったその時は、私たちはヒーヴァ―城から家に向かっている途中だったがすぐ進行方向を病院へ向けた。

1時間後私たちの方が先に病院へ着いたので、隣のおじさんに連絡して帰ってもらい、救急車の着くのを待った。救急車は一般救急待合室とは入り口が違う。

着いた亭主は頭痛もなく手足にしびれもなく、脳出血や脳軟化症の症状もなかったので、娘夫婦には帰ってもらい、私が病院の待合室で付き添った。

日曜日の遅い午後、救急病院の待合室は何十人もの患者や付き添いでごった返している。まるでポルトガルのファーロ救急待合室と変わらない有様。亭主はナースの問診で時に急を要することはないと診断され、一般待合室で待たされた。待って居た夜9時までの間にあのへんなアタックが10回ほどあったという。でもこれらは初めの時よりもずっと軽く、意識もしっかりしていた。

あの時には死んでしまうと思って非常に怖かったと言った。

やっと9時過ぎ医師と面談、頭のスキャンをして結果を専門医に診てもらうまで待てと言われ、11時10分前に医者は、別に異常は見られないが念のため今夜は病院で泊まりなさい。

それで私は11時のバスで3回乗り換えて帰宅した。

翌朝行って見れば、亭主は明け方4時まで待合室で待たされ、それ以降はストレッチャーで横になって2時間ほど眠ったという。これじゃ健康な人まで病気になりそう。

その日は午後3時ころまでストレッチャーで診察待ち。お部屋が空いたからと4人部屋へ連れていかれ、夕方5時過ぎ脊髄穿刺をするという。脳の中に出血が見られるかを調べるためだ。

この病院は巨大な医学病院であり、インターンの若い医師を養成している。この脊髄穿刺にも若い小さな中国人か韓国人の女性インターンが来てベットに横になった亭主の腰をつつきまくった。穿刺針2回も変えた挙句失敗した、4時間真っ直ぐ寝ていたらまたするからと引き上げていった。

私はそのすぐ後に帰宅、明日は面会時間2時からと言われた。

その夜9時手術室で、亭主は座ったまま脊髄穿刺、同じインターンだったが一度で入って、患者もインターンも大喜びしたという。

亭主は前日ほとんど眠っていないからその夜はよく眠ったという。

丸一日医者の来るのを待って夕方6時もう帰るからと言ったら はいどうぞ。どうしてもっと早く言ってくれないんだとぶつぶつ言いながら帰宅した。それ以来亭主は一切発作が起こっていない。

あの発作がいったい何だったのか判らない。おまけに病院で受けた検査の結果も連絡してこないから3度も電話しても判らずじまい。これが3日間お世話になったNHSの現状。

それでも亭主はNHSのお陰だと感謝している。すべての医療が全く無料で、国民全員がたとえどんなに待ってでも医療をうけられるすごい制度だと。

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