息子は左側頭部、頭蓋内出血で開頭術をしていただいたが、血腫で圧迫された脳が回復してくるときに、激しいけいれんを伴ったため3ヶ日間薬によって眠らされていた。回復してもしばらくは右手足がマヒしていたため3ケ月のリハビリでやっと歩けるようになった。
息子が元気になってくると、やっぱりもう一度ロンドンマラソンで楽しみたい。
それで6ケ月間は朝、昼のトレーニング。
9月の申込書には過去の記録時間のコラムがあり、この時3時間半と嘘を書いた。4時間4分だとまた1万人の真ん中あたりか後ろになってしまうだろう。
その嘘が今回は好転して、Faster than Your Age(本人の年齢よりも早い)と言うカテゴリーに選ばれた。
1991年4月21日、私の46歳の誕生日、家族はグリニッチとドックランドで応援してくれるという。
貰ったゼッケンからグリニッチ公園の門の外に100名ほどのグループがあった。私の所属しているダリッチランナーの中に知った顔が2人。一人は私より1歳下の英国人女性、彼女はロンドンマラソン発足時から毎年出場しているベテランのスーちゃん。今まで何度かハーフマラソンなど一緒に走ったが一度も勝てなかった。
もう一人は70歳以上のダリッチランナーの長老、彼は外科医でしばしば海外へ出張公演に行っているという。彼は痩せて小さな人だがヨーロッパの70代のフルマラソン最速記録を持っている。
彼に挨拶して、貴方は早いから と言ったら でも僕はスタミナがないからね。とご謙遜。
出発の合図と同時に彼は消えてしまった。スーちゃんも100名の中に紛れて見失なった。でも6か月のハードトレーニング、何の心配事もなく体も足も快調。何よりも9000人の人の壁がない、皆相当早いペースで走っているから、目の前は十分スペースがあった。途中でスーちゃんを追い越した。 玲子、Go, Go, Happy Birthday !!と大声で叫んでくれた。
グリニッチのカティーサーク(古い帆船・ロンドンの観光名所)の近くで日の丸を振っている娘と息子、ポールは決して日の丸を振らない。あたりはものすごい応援の人混みで、そのあと地下鉄でドックランドへ行ったが立って応援するスペースがなかったという。
そう、ドックランドではまたもやベーコンを焼いている美味しそうな匂い、皆おなかをすかしているからオーとかアーとか嘆きの声。時々道端の応援をしている人達が飴をくれる。おなかがすいているときはなんでも有り難い。セロファンのかぶった飴を貰って走りながら剥こうとするが手袋をしている上に、手が震えていて剥けない。
やっと剥けたと思ったらポロリと落ちてしまい無念の涙。
この写真は働いて居た会社の若い人が、ドックランドの道端で待ち構えていて写真を撮ってくれた。25kmの地点だった。
胸に日の丸とユニオンジャックの小さなマークに名前をかいてあるから、道端の知らない日本人も 玲子さん頑張って と大声で応援してくれる。
ロンドン塔の石畳もなんのその、快調に走ってエンバンクメントからトラファルガースクエアーを通って、バッキンガム宮殿へ向かうThe Mall (マルと呼ばれる大通り)へ差し掛かった。
いつもお昼休みに一緒に伴走してくれた若者S君がたくさんの人垣の後ろに立っていた。人一倍背の高い彼の姿を見つけるなり、 ほらこのタイム と時計を指さしたら、彼は I Know, Reiko Go, Go, Go と言いながら私のペースに合わせて人垣の後ろを走り出した。しばらく走って、セントジェームスパークの向こう側へ横切っていくからと走って行ってしまった。
バッキンガム宮殿の前で左に折れ、ビックベンの有る国会議事堂への道は、歩いている時には気がつかないが、緩い坂道の登りになっている。この辺りもびっしり人垣で埋まっている。
ほとんど疲れも感じず、ウエストミンスターの橋に着いてあと100メーターでゴールと言うところで、あの外科医のミスターGに追いついた。
彼は橋の右側をよろよろ走っていた。嬉しさのあまり彼の横へ走って行ってハローMr G と声をかけたら、Oh Well done Reiko と言うなり急に走り出した。私も遅れてはならぬと追いかけ同時ゴールイン。3時間35分59秒。
あとでMr G の奥さんから いけない人ね。手を取り合って一緒に走ったらよかったのに。ランナーのクラブの人たちは そんな時は声をかけずにこっそり追いつき追い越すものだ。と言われた。本当に負けず嫌いの人たち。
思い返すと今私は彼の年齢になっていて、3時間35分で絶対走れない。そう思うとやっぱり MrG は偉大な長老だった。