Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

藤原保信『自由主義の再検討』ノート(05)

2020-10-26 | 日記
 第05回 藤原保信(ふじわら やすのぶ)『自由主義の再検討』(岩波新書・1993年)ノート

 第Ⅰ章 自由主義はどのようにして正当化されたか
 2議会制民主主義の正当化
 ホッブスは、人間は生まれながらにして自由・平等であり、自己保全のために、ありとあらゆる行為(他人から奪い、殺すことも辞さない)を行う自然的自由があること、従って人間が自己の自然的自由を行使する状態は、「万人の万人に対する闘争」が行われている状態(自然状態)であること、この状態とはまさに喰うか喰われるかの状態であることを説きました。人々は恐怖と不安のなかで生きて行かなければなりません。その恐怖と不安から逃れるために、人々は各人の自然的自由を相互に尊重しあうために自然法を発見します。
 この自然法は、3つの根本法則から成り立っています。第1の根本法則は、平和・社会的平穏を相互に作り上げる戒律です。それがまず人々に提起されます。第2の根本法則は、平和を確立し、相互に防衛するために、自然権を相互に放棄することです。これが人々に命ぜられ、自分に許される自由と同じ自由を他者に許し、それで満足することを命じます。そして、第3の根本法則は、は自然権を相互に放棄することです(その全てではありません。生命の権利や経済活動の自由などは残ります。放棄されるのは、自然権侵害を行った者への報復の権利などです)。
 しかし、人々が自然権を発見したからといって、自然的自由を求める行動が沈静化するわけではありませんし、他者から奪う者がいなくなるわけではありません。従って、自然法の命令を実効的なものにするために、自然法に違反した者に対して政策や刑罰を科す機関が必要になってきます。自然権侵害が行われた場合に、その人に対して現状の回復を求めたり、損害の賠償を求めたり、場合によっては刑罰を科すのが国家(リヴァイアサン)です。人々は社会契約を締結して、この国家を創設し、その任務と機能を特定の人物や組織に委ねます。その国家は、人々の自然的自由の保障機関であり、絶対的な存在であり、人々に対して責任を負う必要はないとされています。ホッブスの場合は、国家の機能と役割を担うのは国王です。
 自然法が発見され、その執行機関としての国家が創設されることにのって、人々は自由・平等にその自然的自由、とりわけ経済活動の自由を行使することができます。アリストテレスの時代から中世キリスト教社会のアクィナスの時代において説かれてきた配分的正義と整正的正義の考え(社会的富が人々の配分される場合の配分方法は、階層的な身分制秩序の価値等級に応じて配分されること、そして人と人との関係において交換が行われる場合には等価交換でなければならないこと)が拒否され、人は生まれながらにして平等である以上、人の価値も平等であり、配分は平等でなければならないと主張し、身分制秩序の解体を主張しました。また、人と人が交換をする場合、何を何と交換するか、どのように交換するかは人々の自由に委ねられるべきであると主張し、身分制秩序における「等価交換」の考えを斥けました。そして、自由・平等な人間が自由に経済活動を行うことによって、自ずと配分的正義が実現されると説きました。

5ロックの自然状態論
 ロックは、ホッブス的な社会契約論を継承しました。ロックも同様に人々は社会契約によって国家を創設しますが、この国家はホッブスのような絶対主義国家ではなく、人々のコントロールに服させられます。ロックは言います。1人の人間に権力を集中するのは、「スカンクや狐の禍(わざわい)から逃れようとして、ライオンの餌食になる」ようなものであると。プラトンやアリストテレスの古代ギリシアの時代から国制の問題として、貴族政、名誉政、寡頭政、民主政、僭主政などが論じられてきました。誰に国家の権限を委ねるのが、社会全体・人民全体の利益に資するかという観点から議論されてきました。ロックは、スカンクや狐に国家の権限を委ねた結果、人民は大変に目にあったからといって、ライオンに委ねるのが安全かというとそうではない。このように述べて、国王に国家の権限を委ねることを説いたホッブスを批判するかのような発言をしています。1人の人物や一定の集団に委ねるてはならない。結果的に国王や集団(議会)に委ねたとしても、それが行使する権限は人々の同意に基礎づけられねばならないのであって、その同意に反した権限の行使は認められないと説きました。この主張は重要であると思います。
 もっとも、ロックが批判の対象にしたのは、ホッブスの国家論ではなく、R・フィルマー『族父権論』(1680年)において展開されていた王権神授説でした。フィルマーは、神がアダムに授けた世の中を支配する権限はアダムから現在の君主に至るまで連綿と続いていること、それによって国王の支配権を正当化しました。しかし、ロックは、聖書のどこを読んでも、神がアダムにこの世の支配権を授けたと明言しているところはなく、アダムが支配権を有しているとしても、それが国王に継承される根拠もないと反論しました。さらに、フィルマーは、人間は生まれながらにして自由であるということが否定され、全ての政体は絶対君主政であることが主張されていました。ロックが厳しく批判したのは、この点です。そして、人間は生まれながらにして自由であり、国王の政治権力は、このように自由な人々の同意に基づいていなければならないことを強調しました。
 では、ロックの社会契約論はどのような内容の理論でしょうか。ロックもまたホッブスと同様に、その理論を自然状態から述べ始めます。人間はいかなる他人の意思に依存することなく、自分自身の判断に従って行動することができる。身体と財産を処分することができる完全な「自由の状態」にあり、他人以上のものを持たない「平等な状態」にあります。そこでは、各人は自己の生命、自由、財産に対する自然権を持っています。ただし、その自由・平等の状態は、ホッブスが言うような「万人の万人に対する闘争」の状態=自然状態ではありません。政治的規制や法的拘束のない前政治的・前法的な自然状態ではありません。ロックの自然状態にはすでに自然法が存在しています。この自然法は、自由で平等な人々が自然的自由を行使するにあたって、様々な助言を行います。全ての人々は平等で独立しているのであるから、何人も他人の生命、健康、自由、もしくは財産を損傷してはならないと助言をしますしかし、自然状態において自然法が存在しているからといって、自然状態が平和であるとは限りません。自然法とは何かに関する解釈、それをどのように執行するかの方法、自己の自然権が侵害された場合に侵害者を処罰する手続や方法は、すべて各人に委ねられたままです。その限りにおいては、自然状態は自然法によって管理・監督されているとはいっても、不安定なままです。潜在的には「万人の万人に対する闘争」の状態に転落する可能性もあります。それゆえ、ロックは人々の社会契約を通じて、人々の同意にも付いた国家・政府のを創設する必要を説きます。ロックは、これを自然状態から政治社会への移行、あるいは政治社会の誕生と言います。

6同意による政府
 ロックは、政治社会の誕生について次のように述べています。
 「すでに述べたように、人びとは、生まれながらにしてすべてが自由で、平等で、かつ独立であるので、何人も、自分自身の同意なしには、このような状態を追われて、他人の政治権力に服することはありえない。いかなる人の、自分の自然的自由を失い、政治社会の絆を身に負うようになる唯一の方法は、かれらの所有権の完全なる享受と、その社会以外の者(からの侵害)にたいするより大いなる保全とを通じて、お互いの間で豊かで、安全で、平和な生活を営むために、他人と合意をかわしてひとつの共同社会を結合することである」。
 人々は生まれながらにして、自由・平等・独立しています。自分の意思・同意なしに、その状態にいることを止めて、他人の権力に服することはありえません。かりに、自分の自然的自由を失い、他人の権力が支配する政治社会に属することになったとしても、そこでは所有権(生命、自由、財産を含む全ての自由を所有する権利)が完全に保障され、その政治社会の外側にいる者から侵害を受けずに守られることが約束されていなければなりません。また、お互いの間において、豊かで、安全で、平和な生活を営むために、他人と合意を交わし、契約を結んでいなければなりません。その合意と契約によって作り上げられたのが、共同体・政治社会です。ロックはこのように述べています。フィルマーの王権神授説は完全に否定されています。また、人々の同意に基づいて国家・政治社会が創設されているので、同意がなければ、それもまた解体されることから、ホッブスが述べた国家の絶対主義的性格も否定されています。
 ロックはこのように政治社会の創設を人々の同意を基礎にして論じます。したがって、人々が政治社会へ結合されるのは同意だけであり、同意しない人はそこから除かれます。政治社会のスタート地点には、政治社会の創設に同意した人々(全員一致で結合した人々)が存在します。ただし、その後の政治社会の運営は、多数決の原理によるといいます。藤原さんは、「そうでないかぎり政治社会は運用されないからである」と説明しますが、多数決による運営にチェックがかからないわけではありません。政治社会の権力は、立法権力、執行権力、連合権力の3種に区別され、連合権力は外交権力であり他国と連携・連帯する権力です。これは執行権力に融合され、同一の機関によって行使されることになります。司法権のようなものは想定されていませんが、それは立法権力の中に含まれているようです。モンテスキューのような三権分立ではありませんが、立法権力と執行権力が分離されることによって、執行権力の濫用が引き起こされないようにしているのが特徴的です。社会契約の内容である様々な合意に対して、立法権力が背いて、それを濫用するときには、立法権力にはその権限を行使する資格はありません。社会契約の内容通りに立法権力が法律を制定しても、執行権力がその法律を執行しない場合も、同じように執行権力の資格が剥奪されます。
 このように立法権力と執行権力の権限濫用を監視し、チェックし、それを抑えるのは何かというと、それは自然法です。自然法に則して、常に公共の利益のために活動することが、立法権力と執行権力には求められています。人々が自然的自由を行使する際に、相互に遵守しなければならない規範・ルールとして、自然法がすでに自然状態において存在します。この自然法を実効性あるものにするために、人々は社会契約を通じて国家・政治社会を創設しました。従って、政治社会はまずこの自然法によって拘束され、その任務は人々の自然的自由の行使を保障することに限定されます。立法権力は自然法に拘束されながら、人々の自然的自由の行使を保障するために様々な法律を制定します。執行権力は、その法律に拘束されます。このようにして「法の支配」が成立します。
立憲主義であるとか、法治国家という言葉が用いられるときは、モンテスキューの名前が思い出されることが多いですが、その起源はロックであると言うこともできるでしょう。

7抵抗権と革命権
 立憲主義・法治国家という法思想との関連で言うと、国家権力の行使は全て法律によって制限されているので、それを超えて国家権力が行使されるならば、違法といわなければなりません。これが「法の支配」の鉄則です。その法が憲法として確立しているところでは、国家は法に基づいて統治しなければなりません。
 しかし、ロックも認めていることですが、緊急状況下においては国家権力は法を超えて事態に対応することも許されています。国家緊急権、非常事態法と呼ばれているものです。ただし、このような権限や措置は、それを講じなければ人民の利益を損なう場合に限られているので、非常に制限的であるといえます。国家の安全や治安の維持のために、人々の自然的自由=基本的人権を制約するならば、それを超える自然的自由=基本的人権が実現していなければ、国家緊急権・非常事態法は認められないというのがロックの考えです。したがって、そのような権利の保障なしに、国家が個人の自由を侵害することは許されません。もしも政治権力がそのような権限を行使するならば、それは権限の濫用であって、決して許されません。ロックは、それを次のように言います。
 「人民の全体、あるいはたった1人ですら、その権利を奪われ、不当な権力行使のもとにありながら、地上に訴えるところをもたなばあいには、かれらはそこに十分な理由があると判断したばあいには、天に訴える自由をもっているのである」。
 不当な権力行使によって自由と権利を奪われている場合に「天に訴える自由」があるというのは、どのような意味かというと、それは抵抗権あるいは革命権のことです。政治権力は、人々の社会契約と同意に基づいて成立しています。それに反して権力を行使するならば、政治権力は否定されるということです。ただし、この場合、政治社会=政府だけが否定され、解体されるのか、それともその前から存在する社会もまた解体されるのかは、明白ではありません。政治社会=政府が解体されるのは明らかですが、それを創設したのは人々の社会ですから、その社会もいったんは解体して、もう一度、社会契約を結び直すということも考えられます。ロックの理論では、社会を作る契約とその社会を基礎にして政府を作る契約が明示的に区別されていません。人々は自然状態において社会契約を結んで結合し、それによって社会を作るのと同時に政治社会=政府をも作るので、社会と政府の関係、人民の共同社会と政治権力の担い手である政府の関係は、一応は区別されていると思います。従って、抵抗権や革命権とは、政府が政治権力を濫用して、人民の利益を損ね、その共同社会が危機にさらされたとき、人民は自らの利益を守り、共同社会を維持するために、今の政府を解体して、新しい政府を作るということを意味します。社会は存続し、今ある政府は解体するということです。政府に対して抵抗するだけで、権利と共同社会が維持できるなら、革命を起こすことまでは必要ではないので、その限りで言えば、抵抗と革命との間には質的な差があります。
 抵抗や革命のきっかけになるのは、政府の権限濫用ですが、立法権力の至高性(国権の最高機関であること)が侵害され、また法の支配が崩壊したり(何者かが立法権力に代わって無権限に法律を制定したり)、立法権力や執行権力が人民の委託に背いて、人民の自然的自由を侵害するなどした場合です。それを判断するのは、人民自身であるとロックは言います。ただし、人民1人1人が判断することはできないし、またそれは妥当ではないので、共同社会の多数が判断することになります。

8国家と社会の区別
 では、ロックはこのような政治権力=政府の役割を誰に委ねるのでしょうか。ホッブスが説いた国家のあり方は君主国家、絶対主義的な君主政でした。ロックは、国制の形態、国家の形態をホッブスと同様に3つに類型化します。共同社会の構成員の過半数の人々が法を制定する権限を握る民主政、法を制定する権力を選ばれた少数者に委ねる寡頭政、そfれを1人の人間に委ねる君主政の3種です。ロックは、政治権力=政府は人民の意思・同意に基礎を置くと主張しているので、政府を人民の代表から構成す民主政を支持しているのかというと、必ずしもそうではありません。また、人民が直接政治に参加する権限を拡大することや、自分たちの代表を選出する普通選挙制度などについて言及していません。ロックは、そのような具体的な問題について触れてはいませんが、人民の同意による政府、法の支配、権力の分立、抵抗権、革命権などに言及していることから考えると、論理的には民主政を支持していると解することができそうです。現在でいう国民主権の思想であり、普通選挙制度を通じた代表選出とその代表が議会を構成する議会制民主主義です。
 ただし、ロックが望む国制・国家形態が民主政であったとしても、人民の同意が政治権力(立法権力と執行権力)をしっかりと拘束し、人民の利益を実現する政治が行われていなければなりません。清き一票をこの候補者に託したいと考えて投票し、その候補者が当選しても、議員が公約に違反するような行動に出ても、また公約違反とまで言えなくても、不誠実な態度をとっても、そのことを理由に議員を罷免することができないのが現実です。ルソーは、18世紀のイギリス議会を批判して、イギリスの人民が自由で平等な立場から選挙をして代表を選んでも、それによって成立した議会や政府は、人民の意志から離れて、人民のコントロールが及ばなくなり、人民の同意に基づいた政治権力の行使は期待できなくなっていると述べました。この批判は、ルソーならではのものです。ルソーは、政治権力が個人の意志であると同時に人民全体の意志であるような一般意志によって運営される直接民主主義を主張しました。いわゆる人民主権論がそれです。主権は人民にあり、人民の意志が一般意志であり、それが法律の基礎にある。政府は一般意志が具体化された法律を執行するだけである。ルソーがこのように述べたのは、イギリスにおける民主政が形骸化し、それによって人民の同意から離れて政治権力が一人歩きし始めた現状に直面したからでしょう。したがって、ルソー的視点から見れば、ロックの民主政は問題と限界があると言わざるを得ません。それが想定する議会制にも限界があったと言わなければなりません。
 ただし、ロックが主張した国家論は、自由主義の維持・強化にとって重要な役割を果たしています。とりわけ、自由主義の経済的側面である資本主義経済、市場経済、交換経済を促進するうえで、大きな意味を持っていますし、それは今でも変わりません。ロックは自然状態において農業・漁業労働を念頭において私有財産の増大と富の蓄積に対する自然法的制約の可能性を述べていましたが、市場における貨幣を媒介にした交換経済の現実から、その制約を解除せざるをえなくなりました。しかし、自然法的な制約が解除され、富の蓄積が促進され、それに歯止めがかかりにくくなっても、社会全体として見た場合には蓄積された社会的富は個々人に配分されると考えていたようです。むしろ、富の配分が偏ったり、いびつになったりしないように、市場における個々人の活動の自由を保障し、その機能が安定化するように、侵害行為が生じた場合にだけ国家は介入するという立場です。国家は、利率を人為的に変えるようなことはしてはならない、貨幣価値を上げ下げするようなことはしてはならない、不用意に市場に介入してはならないと主張していたのは、市場における自由な活動が行われるように外部的に保障するのが国家の役割だという認識があったからです。国家とは何か。ロックは、次のように答えます。国家とは、「市民の利益を保障し増進するためにのみ作られた人間の社会」であると。ここでいう市民の利益とは、生命、自由、身体の健康、苦痛からの解放、および土地、貨幣、家具等々のような外的事物の所有が含まれます。このような市民の利益を外的に保障するのが国家だということです。外的に保障するというのはどのような意味かというと、国家が市民社会の内部に介入して、積極的に利益を与えるというのではなく、市民が自由で平等な立場から市場において活動して得られた利益が侵害されることがないよう、外部から見張るという意味です。
 社会において個々人が自由な活動を行い、国家はそれを外部的に保障するという場合に典型的な事例としてあげられるのが、信教の自由の問題です。信教の自由を直接的に行動によって表す場所は、教会です。教会とは、「魂の救いのために神に受け入れられるようなやり方で、神を公に礼拝するために人々が自発的に結合せる自由な社会」のことを言います。教会とは、一定の教えを信仰する人々が集い、神によって救済されることを目的とし、それを達成するために儀式として礼拝を行う建物だけでなく、そのために自発的に結合する組織を指します。このような信教の自由に対して国家が良いとか、悪いとか言うことはできません。公的な領域または公共的な領域においては、国家は謙抑的な態度をとらなければなりません。したがって、国家は市民の経済的・社会的利益を外的に保障する場合、このような精神的・宗教的な領域に介入しないことによって、そのような利益をも同じように、あるいはそれ以上に保障します。国家は私的な領域または個人的な領域には介入してはなりません。従って、国家が行う政治(利益の外部的保障)と宗教は、公的なものと私的なものの基準に従って明確に分離されることになります(政教分離)。ロックは、このような魂の救済という精神的・宗教的な自由はもちろん、私有財産・経済的富の増加という肉体的・世俗的な自由に対して国家が介入するのを控えるよう求めるので。自由主義には寛容性を内容としているといえます。
 ただし、ロックは信教の自由をピューリタンの自由として位置づけ、カトリック、イスラム、無神論者に対して同じような寛容な姿勢は見せなかったようです(ただし、イギリス国王のもとでは、信教の自由は保障されました)。はいえ、社会的な領域を公的な領域と私的な領域に区別し、私的な領域は完全に個人の自由に委ねられ、国家は自己の任務を、私的な領域における自由な活動を外部的に保障する、私的な領域が自由に機能するように外部的な秩序を維持することに限定しました。このように国家と市民社会は分類され、国家は市民社会を維持するための外部的な機構・装置として捉えられています。

9議会制民主主義へ
 では、このようなロックの自然法思想や社会契約論は、どのような国制を導き出すのでしょうか。ホッブスのような絶対主義的な君主政でしょうか。それとも市民による統治、民主政を構想していたのでしょうか。藤原さんによれば、ロックの『市民政府論』は、カトリック教徒のヨーク公(後のジェームズ二世)の排斥を意図した王位継承排除法案をめぐり、国王派と反国王派の争いが次第に激化していったときに、後者の反国王派の立場から書かれたものであり、ロックの国制の理論は、市民革命につながる性格を持っていると評価されています。ただし、それは国王を追放するといった急進的なものではなく、国王による専制支配と反国王派による無政府主義とが激しく対立したため、その回避と沈静化を図るために、反国王派の立場から関わっただけであり、その結果として理論的には立憲君主政(国王、貴族院、庶民院の3者からなるイギリスの伝統的な混合政体)を前提とせざりをえませんでした。ロックが普通選挙制度について明確に言及しなかったのは、このような事情があったからかもしれません。
 このようなロックの政治理論は、その後の歴史の発展過程において乗り越えられていきました。ロック後のイギリスの政治理論は、ホッブスやロックが論じた自然権、自然法、社会契約といった概念を歴史に実在しないフィクションであるとして斥けながら、名誉革命によって成立した妥協的な体制、市民革命が不徹底であり、立憲君主政という民主主義にとっても不十分な体制を、いかに民主政へと近づけていくかを重要なテーマとしました。従って、政治理論を基礎づけるものは、実在するもの、経験的に認識できるもの、理論や実験によって実証できるものに求められることになります。デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、ジェレミー・ベンタムなどの理論は、そのような特徴を持っているといえます。ヒュームは、歴史の世界に目を向ければ、政治社会は相互の利益によって促進され、黙約(コンヴェンション)を通じて生成し発展してきたことを指摘しました。自然権、自然法、社会契約という概念を用いるまでもなく、利益と黙約によって政治社会は成り立つというのです。墨水もまた、社会契約のような人々の原初的な契約行為がなくても、政府は存在していたと指摘しました。また、スミスは、社会契約を締結することによって、人々が政府に従わなければならないのではなく、政府に権威があり、それによって人々に功利がもたらされるから、人々は政府に従うのだと言いました。さらにベンタムは、ホッブスやロックが主張した自然権や自然法の概念を「空虚な形而上学的たわごと」と一蹴し、法や権利を実在する社会に即して論じました。そして、それを制定する政治制度として普通選挙制度に基づく議会制民主主義を主張しました。選挙区の編制し、そこから一定数の代表者を選出する。人口の動態に応じて選挙区を再編制する。議会を定期的に開催する。議員の有給化などの制度を整備する。このように述べて、堕落の形態であると批判された民主政を主張し、このような代議制の民主主義こそ「理想的な最善の形の政体である」と述べました。
 ここにきて藤原さんは、市場経済と議会制民主主義との関係について言及しています。それは、もちろん自由主義の経済的側面としての資本主義経済、市場経済、交換経済のひずみを、自由主義の政治的側面としての議会制民主主義が是正できるかどうかという問題意識があるからです。アダム・スミスは、市場経済において自由で平等な市民が経済活動を行うことによって(整正的正義の実現によって)、社会全体の富が市民に配分される(配分的政愚が実現される)と述べ、そのメカニズムとして市場における指導調整機能があることを論じました。しかも、市場経済システムと交換経済における自由な競争こそが、資源(自然の資源も人的資源も)を最も有効に活用し、人々の需要を喚起し、そして満たし、さらに富の配分を促すものと説明されていました。それが実現される限り、国家・政府は私的領域に介入する必要はなく、また市場に調整役として介入する必要もありません。国家は市民の社会活動と市場における経済活動が機能的に運営されるよう、その外部にたって監視し、機能障害が発生した場合にはじめて介入するだけでよいのです。スミスにとって国家とは、刑罰国家・夜警国家・国防国家になります。ベンタムにとっても、国家が刑罰を本質とする国家であり、国家が市民社会に介入する限り、それは悪であるが、市場の機能の調整を補完するための必要な介入なので、国家は必要悪と説明されます。
 もちろん、スミスにとっても、ベンタムにとっても、個人の利益が全体の利益に一致していない、社会的富が増大しても、個人にそれが配分されないことがあることは認識されています。その原因は、自由で平等な立場からの市場への参入が、結果的に不平等な配分しか実現しないというのではなく、人々が自己の「真の利益」を発見していないからだと説明されました。人々が自己の「真の利益」を発見し、それを求めて市場において自由な行動をすれば、必ず正当な配分を受けることができると説明されています。つまり、市場経済のメカニズムには問題はなく、政治制度としての議会制民主主義、それに基づいて成立した政府は、やはり介入する必要はないことになります。自由主義が念頭に置いているのは、自己の真の利益を求め、それを実現できる人間像です。また、自己の利益を認識している人間像、そのような価値について正確な知識を有している人間像です。
 藤原さんの説明は、自由主義を支える基本的人間観、価値観の問題へと進んでいきます。