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<リアル 事件 ルポ> 北海道七飯町 7歳児、山中に2度も置き去り事件。第4弾。 田野岡大和、家族、退院後の真実 

2019-09-30 00:48:25 | 未必の故意・事件・犯罪

 ≪ 2016・6・9 掲載記事 ≫

 タダの北海道の7歳の男児が、これほど、有名になろうとは・・・・・・・。

 といっても、日本人は、熱しやすく醒めやすい。ヒトの噂も75日、ということわざもある。

 はたして、この最新真実情報を、どれほどのヒトが読んでくださるか、どうか・・・・。

 退院時、母の誰もが驚く、まるで犯罪を犯して逃げ隠れしているさなかのような姿。

 

 それが、どうにも、アタマの片隅に引っ掛かったまま

 なので、この事件のその後を追った

 陸上自衛隊、駒ヶ岳演習場の中に在った「第二廠舎(しょうしゃ)」の正面入り口(写真下)のカギが掛かっていなかったため、田野岡大和、7歳は雨にも濡れず、深夜の寒さからも逃れることが出来た。

 さらに自衛官がめくる写真下のように、マットの中に、身長120センチのカラダを滑り込ませて、寝ることが出来た。

  

  現在、マットはそのままにしてあるが、陸上自衛隊に確認したところ、「もちろん、キチンと正面入り口は施錠しました」と、どこか苦笑いしながら答えてくれた。

 また、廠舎の「月例点検」についても、「より、今まで以上に、隅々までくまなく点検することになりました」とのこと。

 退院した、小学校2年生の田野岡大和は、いまだ「北斗市立 浜分(はまわけ)小学校」(写真下)に通学は始めていない。

 ちなみに、小学校5年生の大和の姉は、休む事無く、すでに同じこの浜分小学校に通っている。

  その姉は、口裏合わせのためか、父の貴之に言われたのか、弟が行方不明になった理由を「山菜取りに行って、迷子になったみたい」と言っていた。

 あの地域。そもそも、山菜そのものが生えておらず、すぐにばれるウソであったのだが・・・・・。

 退院後、ひととき家族団らん。

 だが、有給休暇もオーバーし、父の貴之は隣りの函館市の五稜郭そばの会社に通い出しているし、あの母は勤務する病院に看護婦(看護士)として通勤し出している。

 ただし、勤務場所は、大和が緊急搬送入院された「函館市立病院」ではないという。

 「行方不明」「迷子」「山菜採り」と供述していた当時、夜に成ってその母とおぼしき、夜目にも分かる白い帽子をかぶった小柄なオンナが、山林のなかで「やまと~!」「やまと~!!」と叫び、大声で呼んでいたが、そもそも山林という発想がおかしい。

 7歳の子供が、真っ暗闇のなか、自分から山林に分け入るであろうか? 愚か、と断じるほかない。

 だから、捜索団(写真下)も、連日、雨模様の中、首を傾げながらも、苦労を重ねた。

 

 ましてや、貴之は「暗闇などは自分からは行かない。とても怖がりな子」と大和を評していたというのに。だからこそ、意図的な御仕置として、夕方山道に捨て去った、というわけか。

 この夫婦。我が子の本当の性格を、殆んど分かっていない。平気で都合よくウソをつくことが、この大騒動によって日本中に知られる結果となった。

 母は、看護婦という仕事柄か、子供が一週間近く発見されず、生死さえ分からなかったというのに、驚くことに、あまり仕事を休んでいない。

 ともかく、かたくなに顔を見せたくない「事情」がある。

 実は、今もって、多忙な夫婦共稼ぎのため、子供の世話をしていたのは母の実母。お隣の函館市から来て、同居して面倒や家事一切をこなしていた祖母だ(写真下)。

 人並み以上に、孫の大和や小5の姉を可愛がり、愛情を注いでいた。

  「行方不明」「生死不明」とされた現場に何度か足を運び、テレビ取材陣の問いにも答えていたこのヒトが、その人。

 ましてや、昨年まで父の貴之は、函館にある本社から、札幌の北二条に建つビルの一室「札幌デザインセンター」へと、単身赴任していた。

 そのせいもあり、大和は祖母に甘やかされ、ワガママ一杯に育ってしまい、貴之が戻って来た時には、少々、手に負えない存在に成り果てていたようだ。

 だから、少しでも気にいってもらおうと、札幌ドームでの「日本ハムファイターズ」戦にも、レプリカのユニフォームを買ってあげ、背中に「やまと」と刺しゅうまで入れてあげてプレゼント(写真下)している。

 

 父なりの、「愛情を注いできた」というわけだ。なのに、おとなしく言うことを聞かないばかりか、反抗する。

 そのための、彼なりの荒療治だったのか。

 とはいえ、「父親としての、威厳を保つためにもやってしまった」という言い訳は、いげんいけん。

 また、その発端となった、せせらぎが流れる人工河原のある「七飯町(ななえちょう)の公園(写真下)で、大和が人や車に向けて石を投げていたので、怒って注意した」と言っていたこと。

  ところが、函館市立病院内で単独取材を受けた際には、「その公園にある土手の向こうに向かって石を投げていた。外を歩いているかも知れない人や、走っているかも知れない車に当たる可能性もある。そう想ったので、注意したのに、聞かなかった」と、またまた変遷。

 いやはや・・・・・。その前の伏線となった小学校での「行為」もまた、そもそも違っていた。それは、のちのインタビューのくだりで書く。

 父母は仕事に行き、祖母も、祖父のいる函館に帰れば、また姉と弟のカギっ子生活が再開される。

 とはいえ、転居して10年。まだ市内の追分4丁目の建て売り住宅のローンが残っているため、まだまだ共稼ぎに励まなければならないのも、また現実だ

 なにも、そのことは田野岡家に限ったことでは無い。

 北斗市そのものが、かつてはド田舎。函館に仕事で通うためのヒトが住む新興住宅地に住み始めた人達の税金や、新駅などで成り立っているところ。

 無人駅をぶっ壊して新築し、無理やり名付けた「新函館北斗駅」も、その典型だ。

 そのため、田野岡家だけではなく、ズラリと並ぶキレイな新築のどの家の住人も帰宅が遅く、周辺取材には、いささか苦労した。

 この先の田野岡家の行く手は、必ずしも明るい陽は差していない。

 ナニかあれば、「あの人は今」的に取り上げられ、なにか小さな事件を起こしただけで、大きく扱われるであろう。

 さて、小学校。いつ通学し出すのだろうか?

 函館市立病院に見舞いを兼ねて、大和の顔を見に行き、帰り際、大和に「バイバイ」と、50歳差も、ものともせず言われたという、同校の工藤達也校長(57歳)を直撃した。

 この小学校も、国の政策が長年にわたって愚かなために、国民全員が生活苦に陥っており、そのあおりを喰って日本全国に吹き荒れる「少子化」の余波を受け、年々生徒数やクラスの数もじわじわと減少している。

  昨年生徒数965名が、今春以降、935名に。6学年30クラスが、28クラスに減ってますと、工藤校長。

 ---なにかとお忙しいところ、すいません。すぐ終わらせますので

 「わたし、今。すべての取材をお断りしているところなんですが・・・・」

 ---少しだけ、少しだけ。大和クンは、いつ通学始めるんですか?

 「まだねえ、決まってないんですよ。これから、状況をみて、話し合って決めてゆくことになると思います」

 ---小学生にせよ、出席日数が足りなければ、落第は無いにしても、問題ですよね?

「そこは、夏休みの間などに、補習するということになると思います」

 ---大和クンのためではないにしても、運動会(写真左下)を延期しましたね。いつ行なうことになるんですか?

 

 「それもまだ決まっておりません。6月中にやれるかどうかも、今のトコロ、分かりません」

 ---なにか、父親のハナシでしたか、運動会の徒競走で、大和クンが一番でゴールインしていた、とか。足、速いんですか?

 「それね、わたしは把握しておりません」

 ---運動会って、当地では秋などではなく、6月なんですか?

 「そうですよ。北海道では、春先から開催してて、ごく普通のことですよ」

 ---あの、一時期問題になった、ピラミッドなどの組み体操などは、やってるんですか?

 「やっておりません」

 ---また、今回のコトの発端といいますか。父の語ったところによりますと、大和クンが、学校帰りに、手に棒を持って、車を叩いて回った、と。そのことを学校が問題視し、親を学校に呼んで厳重に注意したそうですが?。それを、土手で大和クンが石を投げている時に思い出して、またやっている!やめろ!と注意した、と。

 「それ、間違っています。 親御さんがですかね、誤解してらっしゃる。たしかに、当該生徒が棒を持って車を何台か叩いていたのは事実です」

 「しかし、そのことで親御さんをわざわざ学校に呼んで厳重注意したことは、一切ありません。ただ、こんなことがありましたので、今後注意していただければ、と、1本の電話を大和クンの家に入れた。ただ、それだけのことです。それ以後、あとをひくようなことは、何もありません。ですから、間違っている、誤解しているというのは、そういうことです。もう、そろそろ、よろしいですか?」

 ---すいません。あとひとつ。校長先生も、ご覧になったかと思うのですが、大和クンが退院のとき、お母さんが顔をまったく見せないように隠してらした。アレ、校長先生ね。ナニか、そうまでする理由、ご存知でしたら教えて戴けませんか?

 「それについては、・・・・コメント致しません。また、コメントするものでもないと思っております」

 ナニか?を知っている、感じている含みを感じた。しかし、教育者、まして校長という立場上、何も話せないということか。

 ---すいません、これで終わります。大和クンに病院で会って、最後に「バイバイ」と言われたという。これねえ・・・・7歳の子供とはいえ、はるか目上の人に対してねえ・・・・どう感じられました? 正直なところ。

 「それはねえ・・・・コメントしないでおきます。個人としての感想もです。すいません、これで終わらせて戴いてよろしいですか。他のマスコミには、一切、お答えしておりませんし」

 ーーーすいません。ありがとうございました。

 なんともはや、田野岡親子。

 今後が、思いやられるなあ・・・・・・。

 

 

 

 

 



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