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<リアル 芸能 ルポ>  かつて、異色の「女優」として評価が高かった「中尾幸世」についての、想い出。

2014-11-11 18:08:37 | テレビ番組

 ああ、いた、いた、いたなあ・・・・彼女が「女優」扱いだった時代が、走馬灯のように、甦ってきた。

 「中尾幸世(さちよ)」(当時・写真下)と書いても、コアな映像・ドラマファン以外は、誰ですか? その人?って、感覚が、フツ~であろう。

 私にしても、NHK-BSで、ここ最近、何度目かの再々放送で、彼女「主演」の、ドラマというより、「紀行」「映像詩」を何気なく見ていて、当時のことを思い出したくらいなのだから。

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  現在、すでに78歳にもなった佐々木昭一郎。彼が、NHKの社員ディレクター時代に創りあげた、彼女を抜擢して、撮影した数本。

 「夢の島 少女」 「四季 ユートピアノ」 「アンダルシアの虹」などなど。

 キチンとした筋立てがあるドラマでは、無い。まさに、映像詩というほか無い作品。観ながら、各々が何かを感じてもらえれば良いという作り。そう、とらえていた。

 民放に較べ、制作費がふんだんに使えた時代。NHKだから、可能だった。視聴率は、カネかけた割りに低調だったけれど。

 しかし、外国の映像祭では受けたし、数多くの賞も獲った。だから、再放送で、視聴率がグ~ンと上がるか?というと、そんなことは無かった。

 佐々木が、当時、民放の社員だったら、絶対に創らせてもらえない作品。

 それは、まさに作り物の、本流を往くドラマではあったが、故・和田勉(べん。本名の読みは、つとむ)も、同様であった。

 和田には、局在籍時に、インタビュー。

 斬った張ったの展開となり、取材していて、気持ちが躍り、わくわくした。

 和田も佐々木も、定年まで勤め上げ、退職。

 しかし、予期して、和田の記事に当時書いていたように、フリーになってからは、すべて興行成績はふるわず。

 監督をした映画「ハリマオ」で、陣内孝則を起用。実在した、ハリマオと呼ばれた日本人の軌跡を追い、再構成するなど、意欲作だったが、大コケ。

 ダジャレ連発の、大口開けて演技して笑う「ガハハ オジサン芸人」として、安易なコメンテーターも務めていたが、あわれでしかなかった。

 後年、銀座のとある小さなビルのエレベーターで、和田と2人きりになって、偶然乗り合わせた。

 「ガハハの笑い装って、楽しいですか? 満足、してます? 我が身の晩節、汚してませんか? これで、良いんですか?」

  そう問うと、うつむいて、黙っていた。

 佐々木昭一郎もまた、乳母日傘(おんばひがさ)の身から退職後、やっと15年後に映画を1本撮れたが、紆余曲折、ケンカ、物別れなど、世間の風をまともに受けていた末の作品。

 資金回収は、厳しいであろう。

 

 実は、局内に居た時から、佐々木の評判は、賞とは裏腹に、とても芳しいものではなかった。公私ともに、むしろ悪いと言い切っていいほど。

 だから、当時、中尾をインタビューするに当たって、佐々木には何もコンタクトを取っていない。

 上記写真。中尾幸世の、この顔立ちと印象が強く残った。おまけに「専業女優」ではないという。他に、正業を持っていると聞いた。

 なんとかかんとか、取り次ぎの末、直接彼女に連絡が取れた。

 待ち合わせ場所は、有楽町。

 彼女が勤務している、広告代理店の近くで、ということに。

 会社が入っている雑居ビルから出てきた中尾幸世は、テレビでみたまんまの顔。

 印象的な、頬の上の照かりも、そのまんま。

 路上を、足しげく行き交う人達は、彼女が、「女優」であるとは、誰一人気付かない。

 数年に1度。それも、NHKのみで、単発で出る女性。例え、ヒロイン・主役であっても、足を止めるほどコアな人は、いない。

 このインタビューのために、昼休みの食事の時刻を、ずらしてもらって、会社を出てきたのだと言う。ありがたい。

 食事もゆっくり取る時間も無く、近くの喫茶店で、1時間弱、話しを聞いた。

 仕事は、広告のグラフイック・デザイン担当。多摩美術大学を卒業後、就職し、この仕事を続けている。

 「残業もあるし、土日も仕事をする時もある」などと話していた。

 「時々、雑誌のレイアウトの仕事も回ってきて、やるんですよ」という言葉がアタマに残っている。

 整理整頓が悪く、今すぐ手元に、そのインタビュー記事を引っ張りだせないでいる。

 覚えているのは、長期撮影のための休みは、会社に有給休暇の届けを出して、出かけて行っている。

 なので、「もう、有給が無いに等しくなってきているの。私の仕事は、あくまでコレ。芸能活動という認識はまったく無いし、この先、ずっと続けていこうという気持ちも無いんです」

 芸能プロダクションや、事務所にも所属しておらず、する気もまったく無い。むろん、マネージャーもいない。

 新しい作品で、また撮影がしたいんだけど・・・と、佐々木さんから電話連絡があってから、どうしょうかなあ・・・・と、考えるというカンジ。

 仕事は、チームでこなさなければならないし、自分が抜けることで、迷惑も掛かる。

 もう、多分、おそらく、テレビも含めて、将来も、芸能人的な仕事はしてゆく気持ちがないし、多分、もう、しないと想う、とも言っていた。

 笑顔が、何よりステキだったし、化粧っけ、殆んど無し。地味といえば、地味。結婚や、恋愛については,答えを笑顔を浮かべて、はぐらかされた記憶がある。

 「もう、そろそろ会社に戻らなきゃいけないので、この辺でいいですか?」

 それが、締めの言葉。

 演技にも、自信が無いのだそうな。

 で・・・・・それ以降、佐々木の作品も含め、消・え・た。

 それも良い。あくまで、他人の為ではなく、中尾幸世、彼女の人生なのだから・・・・・・・・。

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 本日。コレを打ち込むに当たって、彼女の今を、検索してみた。

 すでに、57歳

 なんと、週末の土曜日、朗読会を、全国各地で開いていた。

 それも、15年も前から。

 Dscf8947 この写真は、始めた頃か。

 近年は、年齢を重ねたせいか、メガネをかけ、ゆったりと余裕のある衣装を身にまとい、宮沢賢治、小川未明、小泉八雲などの作品を、朗読している。

 Dscf8951 時には、このような場所で。オトナだけではなく、幼児相手に読み聞かせてもいる。

 ハープ、ピアノ、弦楽器、などの伴奏も付けて、物語の世界を独自に創り上げている。

 その後、結婚したのか? 子供が、いるのか? 孫までいるのか?

 仕事(正業)は、今も辞めずに続けているのか?

 わからない。

 今月も、関東地方で2か所。

 週末に、朗読をする。

 マイペースの人生を、着実に歩んでいる。

 かつても、そして今も。

 かろやかに、かろやかに・・・・・・


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