DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

①君の宇宙は独立だ&幻だ! ②一貫せず矛盾した欲望が君をコントロールする! ③君は今、快適だ!&君はただの幽霊だ!

2019-04-10 19:41:56 | 日記
(1)君の宇宙は独立だ&幻だ!
雨が降る。寒い。 It rains. It’s cold.
君はコーヒー・ショップにいる。君は平穏だ。 You are in a coffee shop. You are calm.
君の周りはうるさい。しかし、君の宇宙は独立だ。 Around you, it's noisy. However, your universe is independent.
君の宇宙は幻だ。 It is an illusion.

(2)一貫せず矛盾した欲望が君をコントロールする!
君の多くの欲望が君をコントロールする。 Many desires of yours control you.
だがそれらは一貫せず矛盾する。君は戸惑う。 But they are incoherant and cotradicted. You are bothered.

(3)君は今、快適だ!&君はただの幽霊だ!
全体として君は今、快適だ。 As a whole, you are comfortable now.
誰も君を脅さない。誰も君を侮蔑しない。 No one threats you. No one insults you.
誰も君を攻撃しない。君は安全だ。 No one attacks you. You are safe.
君は空腹でない。 You are not hungry.
君はきちんとした部屋でイスにすわる。君はコーヒーを飲む。 You sit in a chair in a neat room. You drink a cup of cofee.
君はただの幽霊だ。 You are only a phantom.
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「ロバを買う人」(263)『イソップ寓話集』岩波文庫:怠け者の友は怠け者ばかりだ!

2019-04-10 19:31:35 | 日記
 「ロバを買う人」 "A man wanted to buy a donkey."

ある男がロバを買いたいと思った。 A man wanted to buy a donkey.
ロバを何頭も売る商人から、その男は1頭のロバを試しに借りた。 From a merchant who sold many donkeys, the man borrowed one of them on trial.
そのロバは怠惰で大食だった。 The one was lazy and ate like a horse.
男はロバを商人に返して、言った。「あなたからは、どのロバも買わない。あなたのロバはみな怠惰で大食だと思う。」  The man got it back to the mercant, and said, "I don't buy any donkey from you. I think all of your donkeys are lazy and eat like a horse."
教訓:人の性格は、その友人たちの性格と類似だ。 Lesson: Your character is similar to that of your friends.

《感想1》「類は友を呼ぶ」。怠け者の友は怠け者ばかりだ。1匹のロバが怠惰で大食なら、他のロバも同じだ。
《感想2》「朱に交われば赤くなる」。悪い友人を持ってはいけない。もちろん「切磋琢磨(セッサタクマ)」する友人同士なら望ましい。
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ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第1編」「第1章 現存在の準備的分析の課題の提示」「第10節 人間学、心理学および生物学に対する現存在の分析論の境界設定」(その1)

2019-04-10 13:13:25 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」

(1)デカルトへの批判:「sum(あり)」は、「cogito(思惟す)」と同じく根源的だ!
A 「実存論的分析論」の意図を哲学史的に例解しよう。
A-2 デカルトは近世の哲学的な問いの出発点の地盤として cogito sum(われ思惟す、われあり)の発見者とされる。①彼は ego(われ)の 「cogitare(思惟する)」を考究した。しかし②ego(われ)の 「sum(あり)」を全く究明しなかった。
A-2 実は「sum(あり)」は、「cogito(思惟す)」と同じく根源的だ。

(1)-2 「物化されない『存在』」とは何か?&「物性」そのものをその存在論的由来について証示する必要がある!
B 最初に「自我や主観」が与えられているという見方は、「現存在」の現象的実態を根底から逸する。
B-2 「主観、心、意識、精神、人格は物化されてはならない」と言われる。
B-3 では「物化されない『存在』」とはどういう意味か?
B-4 そもそも「物性そのものをその存在論的由来について証示する」必要がある。(※物が「存在」するとはどういうことか説明する必要がある!)

(2)「生の哲学」への批判:「生」そのものが存在論的に問題とされていない!「現存在の存在へ向かう問いの次元」の欠如!
C 「生の哲学」には「現存在の存在」へ向かう傾向が、表だたずに働いている。
C-2 だが「生の哲学」では、「『生』そのものがひとつの存在様相として存在論的に問題とされていない。」(47頁)
《感想1》「生の哲学」は、主知主義,理性主義,実証主義,科学哲学など合理的,科学的思考に反対する哲学的傾向の総称。体験,直観を重視し,生を流動的・非合理的なものととらえる。W.ディルタイは精神的歴史的生,G.ジンメルは超越の内在,ベルグソンは生命の飛躍 (エラン・ビタール) を、それぞれ生の本質とした。(参照:ブリタニカ国際大百科事典)

D ①ディルタイの「精神科学的心理学」(「心的な要素」や「原子」から「心的生活」を組成しないで、「生の全体」や「形態」を目指す)、②「ディルタイやベルグソンの影響を受けたすべての『人格主義』的運動や、哲学的人間学」、また③「現象学の側で行われた人格性の解釈」!(③は後述。)
D-2 これらはいずれも「現存在の存在へ向かう問いの次元」に立ち入っていない。

(2)-2 フッサールとシェーラーの「人格」概念への批判(「人格主義」への批判):「現存在の存在」をたずねる原理的な問いがない!(上記③)
E フッサールもシェーラーも、「『人格として存在すること』そのものをたずねる問い」を立てない。つまり「現存在の存在をたずねる原理的な問い」が欠ける。
E-2 シェーラーは言う。人格は「直接に・・・・体験される体験作用の統一」であって、「直接に体験されることがらの背後やそと側にある、たんに思考された物ではない」。人格は「事物的な実体的な存在」でない。つまり「人格は物でなく、実体ではなく、対象でない。」
E-3 フッサールは「人格の統一性」について、「自然事物とは本質的にことなる構成」を要求する。
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