DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

ハイデガー『存在と時間』(1927)「序論」「第2章 存在問題の開発におおける二重の課題 考究の方法および構図」「第7節 考究の現象学的方法」「[A]現象の概念」

2019-04-04 20:08:56 | 日記
(1)「存在の意味」への問いの取り扱い方は、現象学的方法である!
A 考究の主題となる対象は、「存在者の存在」ないしは「存在一般の意味」だ。(27頁)
B 「存在の意味」への問いの取り扱い方は、現象学的方法である。
B-2 現象学は、第1義的には「方法概念」である。「対象」が何であるかは問わない。
B-3 現象学は、一つの「格率」(Maxime)であり、それは「事象そのものへ」である。(27頁)
B-3-2 かくて現象学的方法は、(ア)宙に浮いた「構成」や、(イ)偶然の拾いものや、(ウ)見かけの実証しかないような概念や、(エ)幾世代にもわたって「問題」として幅をきかせているえせ問題等にさからい、「事象そのもの」へ即する。
C 現象学とは、「現象」(Phänomen)の「学」(Logos)である。この二つの要素について、以下検討する。

[A]現象の概念:①現象(Phänomen)、②仮象(Shein)、③《現象》(Erscheinung)(徴候)、④《単なる現象》(bloße Ersheinung)
(2)①現象(Phänomen):「おのれを示すもの」or「ありのままにおのれを現示するもの」!(これが現象学的現象概念だ!)
D 現象(Phänomen)の語のもとになっているギリシア語ファイノメノンは、動詞ファイネスタイ(「おのれを示す」)に由来する。
D-2 かくて現象とは「ありのままにおのれを示すもの」である。
D-3 なお現象(複数)は、「明るみに出すことのできるもの」であり、ギリシア人は「存在するもの」と同視していた。

(2)-2 ②仮象(Shein)
E  仮象(Shein)は、存在者が「ありのままには『ない』ようなありさまで、おのれを示すこと」だ。(なおギリシア語ファイノメノンには仮象の意味もある。)

(2)-3 ③《現象》(Erscheinung)
F 《現象》(Erscheinung)は、「おのれを示さ『ない』ある事柄」の「徴候」。
F-2 すなわち《現象》(Erscheinung)は、「おのれを示すもの」(「徴候」)を介して「ほかのあるもの」(「おのれを示さ『ない』ある事柄」)を通示することだ。Ex. 症状(病気の徴候)Krankheitserscheinung

(2)-4 ④《単なる現象》(bloße Ersheinung):ある存在者(本質上あらわになりえないもの)からの(流出としての)産出ないし所産!(これが「通俗的現象概念」だ。)
G ある存在者(本質上あらわになりえないもの)からの産出ないし所産としての《単なる現象》。
G-2 例えば、カントの「現象」(Erscheinung)は、一方でおのれを現示するもの(真正な根源的な意味における現象としての「経験的直観の対象」)(①)でありながら、他方で(「現象」においておのれを隠す)何ものか(※物自体)の通示的流出だ(④)。

(3)現象学的現象概念(①)
H かくて現象とは、「ありのままにおのれを現示するもの」(①)だ。だがこの現象概念(現象学的現象概念)(①)は、まだ「形式的」だ。
H-2 つまり「ありのままにおのれを現示するもの」(現象)(①)と呼ばれるべき存在者とは何か?あるいはそれ(現象)(①)は、存在者の存在性格なのか?これらが決定されていない。(31頁)
H-3 「ありのままにおのれを現示するもの」としての現象(現象学における現象、つまり現象学的現象概念)(①)は、例えば、カントの場合には、「直観の諸形式」(空間と時間)が、それにあたる。
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伊東静雄(1906ー53)「中心に燃える」『反響』(1947年):①歪んだ心、①ー2 故障した心、②醜い光、②ー2 目をそむける、③君は生まれてしまった、③ー2 影の化け物!

2019-04-04 19:21:19 | 日記
 「中心に燃える」 Burning in the center

中心に燃える一本の蝋燭の火照り(ホテリ)に A candle is burning in the center. Its heat
めぐりつづける廻燈籠(マワリドウロウ) lets a rounding lantern consistently go around.
蒼い光とほのあかい影とのみだれが Blue light and red shadows mingled.
眺め入る眸(ヒトミ) 衣(コロモ) くらい緑に They are casted on my watching eys, clothes, and dark green leaves
ちらばる回帰の輪を描く while they scatter and go round again and again.
そして自(ミズカ)ら燃えることのほかには不思議な無関心さで And burning itself with misterious indifference,
闇とひとの夢幻をはなれて a candle burns letting itself distant from darkness and someone's illusions
蝋燭はひとり燃える calmly by itself.

《感想1》廻燈籠が人の心、つまり人生を経験する心だとしたら、心に中心があるのか?歪んだ心なら蝋燭は中心にない。そして蝋燭の火がついて、廻燈籠は燃え落ちるかもしれない。君の心が燃え落ちる。大変だ!
《感想1ー2》出来の悪い廻燈籠で、廻らなかったらどうなるのか?君の心(or人生)が故障だ。硬直した心、固定した心、止まった心だ。むなしい。
《感想2》カラフルな心(or人生)だ。しかも「蒼い光」と「ほのあかい影」!美しい光だ。だが醜い光だったら全く嫌になる。君の心がひねくれる。
《感想2ー2》「眺めいる」ことができる幸せ!目をそむけるばかりだったら、君は、惨めだ。
《感想3》蝋燭はなぜ燃えるのか?「蝋」が燃料となる。蝋燭が君なら、君は燃える(生きる)べくこの世に生まれてしまった。喜んでいいのか、悲しむべきなのか?
《感想3ー2》詩人は人生を突き放す。(闇とひとの夢幻をはなれる。)だが人生が戦いで食うのに必死だと、君は人生を突き放すことができない。影の化け物、つまり質量を持った化け物となる。君が暴れる。蝋燭は蹴り飛ばされ、火が消え、君の心(or人生)も終わる。
《感想(補足)》なんとも評者は救いようがない。土砂降りだ。
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