※ §18 Bewandtnis und Bedeutsamkeit; die weltlichkeit der Welt
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」
(1)用具的(道具的)存在者(Zuhandenes)は、世界の内部で出会う!
A 「用具的(道具的)存在者は、世界の内部で出会う。」この存在者の存在が「用具性」(道具的存在性、Zuhandenheit)である。
A-2 「何がそこで出会うにつけても、世界はそれに先立ってすでに、非主題的にではあるが、発見されている。」
A-3 「世界の内部で出会うものは・・・・配慮的配視に向けて、その存在において明け渡されて(解放されて)いる。」
(2)用具的存在者の存在性格は、趣向性(Bewandtnis、適所性)である!つまり趣かされる(適所をえさせられる)!
B 用具的存在者の道具的構造が、「指示関係」(※目的連関)である!
B-2 「世界はどうして、かような存在様相をもつ存在者を、それの存在に関して明け渡す(解放する)ことができるのか」。
B-3 「用具的存在者の存在性格は、趣向性(Bewandtnis、適所性)である。」その存在者は「なにかへ指し向けられている」。その結果、その存在者は趣かされる(適所をえさせられる)。
《感想1》「《・・・・・・するためにある》」という構造のなかには、「なにかをあることへ向けて指示する」ということが含まれる。これが「指示(Verweisung)」(※目的連関)である。「道具立て全体」には「多様な指示関係」が含まれる。(第15節(7)参照)
(3)「趣向(適所)全体性」(die Bewandtnisganzheit):A.シュッツの目的動機の連関の全体!or目的連関の全体!
C 存在者たるかぎり、それぞれにはそれぞれの(※用具的な)趣向性(適所性)がある。
C-2 「それの趣向(適所)の趣くところは、それが何のために役立つか、何のように使われるかという用途である。」
C-3 趣向(適所)は次々と連関する。この連関の全体が「趣向(適所)全体性」(die Bewandtnisganzheit)である。
《感想2》「趣向全体(適所)性」とは、目的連関の全体のことだ。例えば、食材を集める⇒調理する⇒食事する⇒生きる⇒死にたくない。
《感想2-2》なお目的連関(指示連関)の全体における「死にたくない」という最上位の目的は、死への根本的不安(A.シュッツ)という「主旨」(Worum-willen)に支えられる。「主旨」をA. シュッツは「究極の理由動機」と呼ぶ。(後述)
(3)-2 「主旨」(Worum-willen):A. シュッツの「究極の理由動機」!
D 「趣向(適所)全体性(※目的連関の全体)そのものは、突き詰めていくと、もはやいかなる趣向(適所性)をもたない《・・・・・・のため》(※究極の理由動機)へ帰着する。」
D-2 この「第一義的な《・・・・・・のため》」は「なんらかの趣向(適所性)をそなえている用途(※目的)」ではない。それは《・・・・・・を主旨とする》というその主旨(※理由)である。」
D-3 そしてこの「主旨」(※究極の理由動機)は、「現存在の存在(Cf. 用具的存在者or内世界的存在者)についてのみ言われうる。」
《感想2》A. シュッツは、目的連関に属す動機、つまり個々の目的を設定させる動機(上位の意図・目的)を「目的動機」と呼ぶ。
《感想2-2》そして目的動機を生み出す感情的根拠、つまり個々の目的を支える感情的根拠あるいは最終目的を生み出す感情的根拠を、「理由動機」あるいは「究極の理由動機」とよぶ。
《感想2-3》ハイデガーの「主旨」は、シュッツの「究極の理由動機」にあたる。ハイデガーの「指示連関」はシュッツの「目的動機」の連関である。
《感想2-4》A.シュッツによれば、「究極の理由動機」は死への「根本的不安」(fundamental anxiety)である。
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」
(1)用具的(道具的)存在者(Zuhandenes)は、世界の内部で出会う!
A 「用具的(道具的)存在者は、世界の内部で出会う。」この存在者の存在が「用具性」(道具的存在性、Zuhandenheit)である。
A-2 「何がそこで出会うにつけても、世界はそれに先立ってすでに、非主題的にではあるが、発見されている。」
A-3 「世界の内部で出会うものは・・・・配慮的配視に向けて、その存在において明け渡されて(解放されて)いる。」
(2)用具的存在者の存在性格は、趣向性(Bewandtnis、適所性)である!つまり趣かされる(適所をえさせられる)!
B 用具的存在者の道具的構造が、「指示関係」(※目的連関)である!
B-2 「世界はどうして、かような存在様相をもつ存在者を、それの存在に関して明け渡す(解放する)ことができるのか」。
B-3 「用具的存在者の存在性格は、趣向性(Bewandtnis、適所性)である。」その存在者は「なにかへ指し向けられている」。その結果、その存在者は趣かされる(適所をえさせられる)。
《感想1》「《・・・・・・するためにある》」という構造のなかには、「なにかをあることへ向けて指示する」ということが含まれる。これが「指示(Verweisung)」(※目的連関)である。「道具立て全体」には「多様な指示関係」が含まれる。(第15節(7)参照)
(3)「趣向(適所)全体性」(die Bewandtnisganzheit):A.シュッツの目的動機の連関の全体!or目的連関の全体!
C 存在者たるかぎり、それぞれにはそれぞれの(※用具的な)趣向性(適所性)がある。
C-2 「それの趣向(適所)の趣くところは、それが何のために役立つか、何のように使われるかという用途である。」
C-3 趣向(適所)は次々と連関する。この連関の全体が「趣向(適所)全体性」(die Bewandtnisganzheit)である。
《感想2》「趣向全体(適所)性」とは、目的連関の全体のことだ。例えば、食材を集める⇒調理する⇒食事する⇒生きる⇒死にたくない。
《感想2-2》なお目的連関(指示連関)の全体における「死にたくない」という最上位の目的は、死への根本的不安(A.シュッツ)という「主旨」(Worum-willen)に支えられる。「主旨」をA. シュッツは「究極の理由動機」と呼ぶ。(後述)
(3)-2 「主旨」(Worum-willen):A. シュッツの「究極の理由動機」!
D 「趣向(適所)全体性(※目的連関の全体)そのものは、突き詰めていくと、もはやいかなる趣向(適所性)をもたない《・・・・・・のため》(※究極の理由動機)へ帰着する。」
D-2 この「第一義的な《・・・・・・のため》」は「なんらかの趣向(適所性)をそなえている用途(※目的)」ではない。それは《・・・・・・を主旨とする》というその主旨(※理由)である。」
D-3 そしてこの「主旨」(※究極の理由動機)は、「現存在の存在(Cf. 用具的存在者or内世界的存在者)についてのみ言われうる。」
《感想2》A. シュッツは、目的連関に属す動機、つまり個々の目的を設定させる動機(上位の意図・目的)を「目的動機」と呼ぶ。
《感想2-2》そして目的動機を生み出す感情的根拠、つまり個々の目的を支える感情的根拠あるいは最終目的を生み出す感情的根拠を、「理由動機」あるいは「究極の理由動機」とよぶ。
《感想2-3》ハイデガーの「主旨」は、シュッツの「究極の理由動機」にあたる。ハイデガーの「指示連関」はシュッツの「目的動機」の連関である。
《感想2-4》A.シュッツによれば、「究極の理由動機」は死への「根本的不安」(fundamental anxiety)である。