DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

兼好法師『徒然草』(1330-31頃)第40段「因幡の国に・・・・」:娘を嫁入りさせて、後で彼女の奇癖がわかりトラブルになるのが父親は嫌だった!

2019-04-12 19:52:47 | 日記
ある有力者に美しい娘がいた。 A powerful man had a beautiful daughter.
多くの貴人が彼女と結婚したがった。 Many noble men wanted to marry her.
しかし娘は変わっていた。 However, she was strange.
彼女はコメを全く食べない。 She didn’t eat any rice at all.
彼女は栗だけ食べた。 She ate only chesnut.
父親は結婚の申し込みをすべて断った。 Her father refused all offers of marriage to her.

《感想1》美しい娘だが、コメを全く食べない。食べるのは栗だけだ。父親は、貴人たちの結婚の申し込みをすべて断る。娘を嫁入りさせて、後で彼女の奇癖がわかりトラブルになるのが父親は嫌だった
《感想2》昔から、美女は結婚に際して有利だ。奇癖がなければ、彼女は婿を選(ヨ)り取り見取りだ。Ex. 美しい「かぐや姫」にも、たくさん求婚があった。
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ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第1編」「第1章 現存在の準備的分析の課題の提示」「第11節 実存論的分析論と未開的現存在の解釈、『自然的世界概念』を取得することの困難さ」

2019-04-12 13:47:16 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」

(1)「未開的現存在」が用いる「概念構造」は「実存論的分析論」に役だつ!
A 「実存論的分析論」が「現存在をその日常性において解釈する」にあたり、「未開的現存在」が用いる「概念構造」は、「諸現象の存在論的構造」を明らかにするときに役立つ。
A-2 というのは「未開人の現象」は、「当の現存在の発達した自己解釈によって蔽われたり複雑化したりしていることが比較的少ない」からだ。

(2)「現存在の実存論的分析論」の端緒としての「『自然的世界概念』!
B 「現存在の実存論的分析論」の端緒として、まず「『自然的世界概念』という理念」を開発する必要がある。つまり「世界一般の理念」を明らかにしなければならない。

(3)「実証科学」にとって「実存的分析論」(「存在論」)は前提だ!
C「実証科学」の推進のために、「存在論」は「間接的な寄与をなしうるのみである」。しかし「存在者についての情報を得るにとどまらず、それを超えて存在をたずねる問い(※存在論)が、あらゆる学問的探求の良心である。」
C-2 Cf. ハイデガーは1923年、「実存的分析論」(「存在論」)の必要について、エルンスト・カッシーラーと「意見の一致」を見た。
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明治座『ふたり阿国』:「ややこ踊り」から「かぶき踊り」へ!さらに「遊女かぶき」の出現!

2019-04-12 11:50:43 | 日記
(1)出雲阿国:「ややこ踊り」から「かぶき踊り」へ!
出雲阿国(1572?-?)は、出雲国出身で、出雲大社の巫女となり、文禄年間、出雲大社勧進のため諸国を巡回し、評判となった。1600年に「クニ」(出雲阿国)が「ヤヤコ跳(オドリ)」を踊ったという記録がある。この「クニ」が3年後、1603年に「かぶき踊」を始めたと考えられている。

(2)「かぶき踊」の性的倒錯感!
阿国一座の踊りは、かわいらしい少女の「ややこ踊」から、傾き者(カブキモノ)に男装したお国が、茶屋女に女装した夫・三十朗と、濃密に戯れる場面を含む「かぶき踊」へ変化した。一座の他の踊り手も全て異性装。観客はその性的倒錯感に高揚した。最後に風流踊や念仏踊りと同様、出演者と観客が入り乱れて踊り大団円となった。

(3)「遊女かぶき」:お客にとって遊女の品定めの場だった!
京都での人気が衰えると阿国一座は、江戸を含め諸国を巡業した。かぶき踊は遊女屋で取り入れられ「遊女かぶき」となった。当時各地の城下町に遊里が作られており、全国に広まった。 「遊女歌舞伎」は男装した遊女同士の猥雑な掛け合いで、お客にとって遊女の品定めの場だった。

(4)芸能と売春!&ボスが支配する時代!
芸能者は、芸能で客を集め収入を得ると同時に、売春で生きた。時代は残酷だ。そしてボスが支配する時代だ。日常的暴力、権力の暴力、カネの力、ボス支配、性的欲望の強大。これらの狭間で、弱肉強食、適者生存の世間を、誰もが生きて行く。阿国も一座の座主として、暴力的な時代を生き抜いた。(Cf. 今も似ている。)

(5)阿国一座:北野天満宮に定舞台を張る!
京で人気を得た阿国一座は、伏見城に参上し度々踊った。 当初は四条河原の仮設小屋で興業を行っていたが、やがて北野天満宮に定舞台を張る。

(6)「佐渡島おくに」(お丹)!
劇では、阿国一座に拾われた娘お丹は、やがて一座を離れ「遊女かぶき」で名を売り「佐渡島おくに」として有名となる。権力者の要求を満たし利益を上げる茶屋の大ボス「三郎左」が、お丹のパトロンor雇い主だ。お丹は、天に通じる至上の芸を目指した。(ただし劇中で、遊女のお丹が、売春を拒否することは、ありえない想定だ。)

(7)芸能:「神への捧げ物」かつ生きて行くための「芸」!
芸能は、もともと「神への捧げ物」だが(Cf. 阿国は出雲大社の巫女だった!)、他方で生きて行くための「芸」だ。(「芸は身を助ける」!)この世で生きて行くには、「芸」を高品質の「商品」として生み出し、人々に熱狂的に購入されねばならない。

(7)-2 芸術至上、哲学至上、宗教至上主義的なパトロンたち!
だが芸能の庇護者は、貴族・武家・大商人など、権力and/or金があり、かつ知識人的なパトロンだ。彼らは芸術至上、哲学至上、宗教至上主義的に生きる。彼らに受け入れられ、彼らをパトロンとするためには、芸能者自身が、「地から天へむかって、背筋を伸ばして歩き続ける者」とならなければ無理だ。だがそうした超越的目的のために生きることは、パトロンとの関係を破壊することがある。劇『ふたり阿国』は、そうした次元を扱っている。

(7)-3 補足:生きるためにはボスの庇護が不可欠だ!最初のボスは普通、親だ!
補足:生きるためにはボスの庇護が不可欠だ。最初のボスは普通、親だ。働き自立して生きるようになれば、新たなボスが必要となる。ボスに認めてもらう能力を君は磨かねばならない。ボスと対等な関係が可能な領域が一部できれば、そこで両者は相互に人間となる。そうでない場合は、人間(ボス)にとって君は、道具or家畜or下人or追従者or奴隷だ。あるいは君が人間(ボス)と無関係なら、君はただの風景・妖怪だ。(Cf. 君もボスになれば、ボス同士は互いに対等な人間だ。)

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