DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

映画『バイス』Vice(2018年、アメリカ):副大統領を悪役にし、大統領の責任を軽減!

2019-04-08 22:53:14 | 日記
(1)
映画は、ディック・チェイニー副大統領(共和党)(1941-)を描く。彼は、ジョージ・W・ブッシュ政権で「史上最強の副大統領」「影の大統領」と言われ、2001年9・11後のアメリカをアフガニスタン戦争(2001-)、イラク戦争(2003-10)へと導いたとされる
(2)
チェイニーは、フォード政権(1974-77)で、史上最年少34歳の大統領首席補佐官、父ブッシュ政権(1989-93)で国防長官など歴任、ジョージ・W・ブッシュ政権(2001-09)で副大統領の座に就く。アメリカ同時多発テロ(2001)以降、ブッシュ政権の強硬な武断政策は、チェイニーの意見が大きく働いたとされる。
(3)
2003年、国連査察団がイラクで「大量破壊兵器」を探すが見つからない。しかしアメリカは「大量破壊兵器」があると主張し、さらに「フセインはテロ組織アルカイダと関係する」として、イラク戦争を開始した。これをチェイニー副大統領が主導したと、映画は描く。
(4)
民主党オバマ大統領当選後、2008年12月CNN世論調査では、チェイニーが「副大統領としての能力に劣る」との回答41%、「史上最悪の副大統領」とする回答23%だった。(なお2009年には、極秘の対テロ作戦実行を、議会には隠すようCIAに指示していた事も発覚。)
(5)
チェイニーは1995-2000年、米ハリバートン社のCEOだった。同社は、世界最大の石油掘削機の販売会社で、またイラク復興支援事業や米軍関連各種サービスも提供し、イラク戦争で巨額な利益を得た。チェイニーはこの会社の最大の個人株主である。

《感想1》
チェイニー副大統領が悪役とされる最大の理由は、イラク戦争(2003-10)の開戦を推進したことだ。イラクに「大量破壊兵器」の証拠はなかった。しかしチェイニー副大統領はサダム・フセインを倒すことに「主観的」に執心し、また「フセインはテロ組織アルカイダと関係する」と情報をチェックせず「主観的」に判断した。米ハリバートン社の「利益」も考慮したかもしれない。
《感想2》
だがイラク戦争の開戦を命令したのは、ジョージ・W・ブッシュ大統領だ。責任を「邪悪な(VICE)」チェイニー副大統領に負わせようとするこの映画は、元大統領の責任を軽減する。
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特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館   2019/04/02

2019-04-08 17:43:32 | 日記
(1)
唐で密教を学び帰国した空海が、823年真言密教の根本道場としたのが東寺(教王護国寺)だ。この特別展では、講堂安置の21体の仏像からなる立体曼荼羅のうち、国宝11体と重文4体、合計15体が出品されている。(下記のうち大日如来、金剛波羅密菩薩、不動明王、広目天、多聞天、梵天が未出品。)
(2)
如来部が、全体の中央に位置する。講堂の本尊となる大日如来を中心に、阿閦(シュク)如来,不空成就如来,宝生如来,阿弥陀如来。(すべて重文)合わせて五智如来と呼ばれる。
(3)
菩薩部は、東側に位置する。中央に金剛波羅密菩薩、周囲に金剛薩埵(サッタ),金剛宝,金剛法,金剛業の四菩薩。(すべて国宝。)
(4)
明王部は、西側に位置する。不動明王を中心に降三世(ゴウザンゼ),軍荼利(グンダリ),大威徳,金剛夜叉が周囲を固める。(すべて国宝。)
(5)
天部は持国天、増長天、広目天、多聞天(以上、四天王)、梵天、帝釈天。(すべて国宝。)

《感想》
宇宙の真理を、仏教(真言密教)を通して知った空海は偉大な人だ。頭脳も天才的。「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(ヘンジョウコンゴウ)の灌頂名をもつ。嵯峨天皇の勅命で中務省に勤務するなど文章作成能力抜群。また土木知識もありレオナルド・ダ・ヴィンチのような万能人だ。

《参考》東寺講堂・立体曼荼羅


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笑い話「開門爆杖」(元日の爆竹)(『笑府』馮夢竜、1644年):「爆竹の音で吉凶を占う」という非合理的な呪術的行為! 

2019-04-08 15:14:06 | 日記
元日、人々は朝、爆竹を三度鳴らし大きな音を立てる。 On New Year's Day, people make loud sounds by explouding bamboo fireworks three times in the morning.
人々はその音で吉凶を占う。 They interpret their loudness level as a fortune-telling message.
ケチな男が竹の鞭で壁を三度たたき大きな音を立てた。 A stingy man made loud sounds by hitting a wall three times by a bamboo stick.
彼が言った。「この方がずっといい。 He said, "This way is much better.
第1に、爆竹を買う金が要らない。 First, it doesn't need money to buy bamboo fireworks.
第2に、火事を起こす危険がない。 Second, there is no danger for me to cause a fire.
第3に、竹の鞭でも爆竹と同じ大きな音が出る。」 Third, even a bamboo stick can make as loud sounds as bamboo fireworks,"

《感想》ケチな男が「屁理屈」を言っていると笑われる。しかし彼の言い分は、合理的だ。ただ世の中の慣習に反し、また宗教的or呪術的心情を無視する。笑われるのは、むしろ「爆竹を三度鳴らし、その音で吉凶を占う」という非合理的な呪術的行為の方かもしれない。実際、「鰯の頭も信心から」と言われる。
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ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第1編」「第1章 現存在の準備的分析の課題の提示」「第9節 現存在の分析論の主題」(その1)

2019-04-08 14:09:00 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」

《感想1》現存在は日常用語で《意識》と呼ばれるものだ。それはまた日常用語で《私》だ。それは分裂していて、すでに生きられた私(存在者=ノエマ)と、今まさに生きられている私(実存=存在=ノエシス)からなる。(《現存在=意識》の分裂1)
《感想1-2》そして今まさに生きられている私(実存=存在=ノエシス)そのものも分裂している。「現存在の分析論」が扱うのは、生きられている私(実存=存在=ノエシス)そのものの分裂だ。(《現存在=意識》の分裂2)
《感想2》認識論的には、見ている私(ノエシス)が実存=存在であり、見られ生み出された意味(観念)(ノエマ)が存在者だ。(《現存在=意識》の分裂1)

(1)現存在という存在者の「存在」は、「私の存在」である!&現存在は、その存在において、おのれの存在に関わり合う!
A 現存在の分析論(現存在の実存論的分析論):現存在という存在者の「存在」は、そのつど「私の存在」である。
《感想3》ここで「私」あるいは「私の存在」とは超越論的主観性(モナド)のことだ。つまり「現存在」は超越論的主観性(モナド)だ。
《感想3-2》ハイデガーの「存在」は、フッサールの「ノエシス」に相当する。「ノエマ」(=意味=観念)は客体的存在で「存在者」だ。「存在」の内容が「実存」である。

A-2 「この存在者(※現存在)は、その存在において、みずからおのれの存在に関わり合っている。」
《感想3-3》現存在は《意識》だから、それは分裂していて、すでに生きられた私(存在者)(ノエマ)と、今まさに生きられている私(実存=「存在」)(ノエシス)からなる。《意識》は分裂した統一(一者)だ。(《現存在=意識》の分裂1)

(2)現存在という存在者の「存在」が実存(Existenz)であり、それは客体的存在でない!
B 現存在という存在者の「存在」が、実存(Existenz)である。それは客体的存在(Vorhandensein)でない。
B-2 「現存在の『本質』は、それの実存にある。」(42頁)
《感想4》今まさに生きられている私の《実存=「存在」》(ノエシス)そのものが分裂している。(《現存在=意識》の分裂2)

(2)-2 ※私見では、「現存在の分析論」は、超越論的主観性の「ノエシス」の働きの分析論だ!
C 「この存在者(※現存在)がみずからの存在において関わらされている存在とは、そのつど私の存在である。」

《感想5》ハイデガーが言う「私」とは《自発性》(能動性)のことだ。この《自発性》(「私」)にはまだ他者(他我)を前提したうえでの「私」という意味はない。
《感想5-2》今まさに生きられている私の《実存=「存在」》(ノエシス)そのものが分裂している。(《現存在=意識》の分裂2)。
《感想5-3》私見では、「現存在の分析論」は、超越論的主観性の「ノエシス」の働きの分析論だ。
《感想5-4》すなわち、ハイデガーの「現存在の分析論」は、ノエシスとノエマの分裂的統一としての「意識」(《現存在=意識》の分裂1)でなく、ノエシスつまり今まさに生きられている私(実存=存在)そのものの分裂的統一(《現存在=意識》の分裂2)の分析だ。
《感想5-5》要するに、ハイデガーの「現存在の分析論」は、現存在という「存在者」(ノエマ)の「存在」(ノエシス)についての分析論だ。

(2)-3 客体的な存在者にとっては、それの存在は、『無関心』なことである!(※《意識》をもたない!)
C-2 「客体的な存在者にとっては、それ(※自ら)の存在は、『無関心』なことである。(※つまり客体的な存在者は《意識》をもたないということ。)というより、よく見れば、その存在はそれにとって関心事でもなく無関心なことでもない・・・・。(※これこそ《意識》をもたないということだ!)」

(3)現存在の各自性(Je-meinigkeit):現存在はいつもおのれの可能性を存在している!つまりおのれの存在(可能性)にむかって「態度」をとっている!かくて現存在には、「本来性」と「非本来性」という二つの存在様態がある!
D 「みずから存在しつつこの存在そのものに関わり合っているこの存在者(※現存在)は、おのれの存在をひとごとならぬ可能性として、これにむかって態度をとっている。現存在はいつもおのれの可能性を存在している。」
D-2 現存在には各自性(Je-meinigkeit)という性格がそなわっている。
D-3 かくて現存在には、「本来性」(Eigentlichkeit)と「非本来性」(Uneigentlichkeit)という二つの存在様態がある。
D-4 「現存在は・・・・おのれの可能性を存在しているがゆえに、この存在者はその存在において①自己自身を『選びとり』、獲得し、あるいは②自己を失い、また③ただ「みかけだけ」自己を得ているだけで、いちども本当に得なかった、というようなこともありうる。」(※①②③は評者による。)
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