DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「狼と馬」(225)『イソップ童話集』岩波文庫:狼が悪党だとしても、権力を持たなければまだ対応のしようがある!

2019-04-14 22:53:12 | 日記
狼が畑で大麦を見つけた。しかし彼は大麦が食べられない。彼は通り過ぎた。 A wolf found barley at a field. But he could not eat it. He passed it.
しばらく行くと、狼は馬と会ったので言った。「私は大麦を見つけた。君が大麦を食べる音が聞くのが好きなんだ。君を大麦まで案内する。」 Going on for a while, the wolf met a horse and said, "I found barley. I like to hear a sound you make when you eat barley. I will take you to the barley."
馬が答えた。「お前が大麦を食べることができたら、そんな音を好きにならなかったろう。」 The horse replied, "If you were able to eat barley, you would never like such a sound."
教訓:悪者はたとえ人々に有用なことを伝えても信用されない。 Lesson: A bad person cannot be trusted by people even if he/she tells them about a useful thing".

《感想1》狼が信用されないのは、「狼が来た」と村人をだまし喜んだ少年に似る。
《感想2》この狼のように、人に「恩を売る」狡猾な者も多い。「お人好し」は侮られる。「油断も隙もない」世の中だ。
《感想2-2》あるいは権力者が平気でうそぶく。「盗人(ヌスット)猛々(タケダケ)しい」!
《感想3》狼が悪党だとしても、権力を持たなければまだ対応のしようがある。
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「司祭の亡霊」『スペイン民話集』岩波文庫:予言が成就され、少年は縛り首になった!しかし彼は母親の助言に従ったので、神の奇蹟により復活した!

2019-04-14 10:33:30 | 日記
 「司祭の亡霊」 A ghost of a priest

(1)
少年が生まれた時、「お前は22歳で縛り首になる」と予言された。母親はそれを知り悲しんだ。彼女は予言を少年に告げないと決意した。 When a boy was born, a prophecy said he would be hanged at 22 years old. His mother knew it and became sad. She decided not to tell him about the prophecy.
(2)
しかし10年後、母親は偶然、少年に予言を告げた。彼はショックを受け、旅に出ると決めた。母親は反対したが、いやいや認めた。そこで彼女は彼に助言した。「新しい町に着くたびに、最初のミサに参列しなさい。」 However, 10 years later, she accidntally told the boy about the prophecy. He was shocked and he decided to make a trip. His mother refused but reluctantly said yes. Then she advised him, "Every time you arrive at a new town, you have to go to the first mass."
(3)
かくて少年は彼が着いたどの町でも最初のミサに参列した。ある日、彼は奇妙な町に着いた。そこではミサが真夜中の12時に始まった。彼は真夜中前に教会に行った。 Therefore, the boy went to the first mass at every town where he arrived. One day, he arrived at a strange town, where a mass were scheduled to begin at midnight, that is, 12:00 am. He went to the church before midnight.
(4)
骸骨が墓から現れた。それは前の司祭の亡霊だった。骸骨はミサのための衣装を着た。少年が手助けした。骸骨がミサを捧げ、少年が参列した。 A skeleton appeared from the grave. It was a ghost of the ex-preist. It wore the costume for a mass. The boy helped. The skeleton held a mass, which the boy attended.
(5)
骸骨が少年に感謝し言った。「私は前の司祭だが私の魂は安らえなかった。しかし今、天国に行ける。」そして続けた。「お前は私の魂を救った。だから私はこれからずっとお前を守るだろう。」少年は幽霊と別れた。 It thanked him and said, "I was the ex-preist and my soul could not rest in peace. But now, I can go to Heaven." And it went on, "You have saved my soul. Then I will protect you from now on." The boy said good-by to the ghost.
(6)
2日後、少年は22歳になった。その日、彼は盗賊に襲われ、予言通り木に吊るされた。 2 days later, the boy became 22 years old. On that day, he was attacked by bandits and hanged on a tree as the prophecy had said.
(7)
しばらくするとあの亡霊が現れ少年を蘇らせた。結局、少年は再び故郷に帰った。 After a while, the ghost appeared and brought him back to life. After all, he went home again.

《感想1》生まれた赤ん坊に、「22歳で縛り首になる」とはむごい予言だ。母親はショックだ。子供に伝えないのが当然だ。
《感想2》しかし偶然、予言を知った10歳の少年は驚愕し、自分の運命を呪った。彼は不安を忘れようと、旅に出る。
《感想3》母親は息子が神の加護を受けられるよう、「着いた町の最初のミサに参加しなさい」と告げた。
《感想4》予言は成就され、少年は22歳になった日、木に吊された。
《感想5》だが母親の助言に従い常に少年は「着いた町の最初のミサに参加」していたので、ついに神の奇蹟により死から蘇った。
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ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第1編」「第2章 現存在の根本的構成としての世界内存在一般」「第12節 世界内存在を、内存在そのものを手引きとして素描する」(その2)

2019-04-14 10:16:20 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」

(3)「内存在」(③)(あるいは「内」)は実存範疇であり、「・・・・・・のもとに住む」、「・・・・・・となじんでいる」、「・・・・・・のもとにある存在」を意味する!
D 「世界内存在」の構成契機のうち「内存在」(③)を取り上げ、全体の見通しをつける。
D-2 「内存在」は、「カテゴリー的」とよばれる存在論的性格を持つのでない。
D-4 つまり「内存在」は、「ある物体的な事物(人体)が、ある客体的存在者の『なか』に客体的に存在している」ことを指すのでない。「空間的な意味で一方が他方の『なか』にあるという客体的関係」を指すのでない。(54頁)。
E 「現存在」は、「客体的存在」(「現存在的でない存在様相を持つ存在者」)でない。「現存在の存在構成のひとつ」である「内存在」は、「実存範疇」である。
E-2 「内存在」あるいは「内」とは、実存範疇であり、「・・・・・・のもとに住む」、「・・・・・・となじんでいる」、「・・・・・・のもとにある存在」を意味する。

(4)「世界内存在」とは、「世界のもとにある存在」だ!
F かくて「世界内存在」とは、「世界のもとにある存在」(「世界のもとに住む」、「世界となじんでいる」)である。
F-2 世界の「もとにある」存在は、実存範疇として見れば、「現存在」という存在者と「世界」という存在者とが「ならび合っている」ということではない。(※これは、客体的存在者同士のカテゴリー的関係だ。)

(4)-2 「無世界的」であるふたつの存在者は《触れあう》ことがありえない!
G 「それ自体において『無世界的』であるようなふたつの存在者は、決して《触れ合う》ことがありえない。」
《感想3》これは、あるモナド(現存在、つまり超越論的主観性としての《意識》)と、他なるモナドの出会いの問題だ。独我論の問題。両モナドが共同体的に、一つの世界を構成しないかぎり、両モナドは出会えない。モナド(現存在)が、初めからモナド共同体である場合にのみ、あるモナドと、他なるモナドは、一つの世界のうちで出会うことができる。

(5)現存在の「事実性」(Faktizität)あるいは「現存在に本来そなわっている『客体性』」
H 「現存在はひとごとでない自己の存在を、ある意味でひとつの『事実』として、事実上現実に存在しているという意味で、了解している。」自己の現存在の事実。つまり現存在の「事実性」(Faktizität)。あるいは「現存在に本来そなわっている『客体性』」!
《感想4》「了解している」とは、《意識している》ということだ。
《感想5》現存在の「事実性」(Faktizität)あるいは「現存在に本来そなわっている『客体性』」とは《有》であって《無》でないということだ。《無》でない、つまり《有》であるとは、実に奇跡のような出来事(「事実性」or「客体性」)だ。

(5)-2 現存在の「事実性」(Faktizität)に含まれる事柄:①世界内存在、②現存在は「おのれ自身の世界の内部でおのれに出会うもろもろの存在者の存在に連帯している」!
H-2 現存在の「事実性」(Faktizität)には次のような事柄が含まれる。①「世界の内部にある」存在者の世界内存在ということ。
《感想5-2》世界内存在、つまり世界の「のもとに住む」とは、その存在者が、世界そのものだということだ。例えば君は世界そのもの、君において世界という出来事が出現している、君とは世界という出来事の出現そのものだ。君は世界or宇宙そのもの、君はモナド、フッサール的に言えば君は超越論的主観性だ。

H-2-2 ②しかも「この存在者はその『運命』において、おのれ自身の世界の内部でおのれに出会うもろもろの存在者の存在に連帯していることをみずから了解する」ということ。
《感想5-3》おのれのモナド(現存在)のうちで、他のモナド(現存在)に出会う。この出会いは「運命」的で避けがたい。なぜならおのれのモナドと他のモナドは、すでにあらかじめモナド共同体(フッサール)だからだ。
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