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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」ロ「ギリシャ時代」(その1):「人倫的精神」が「『個別』と『普遍』との美しい『調和』」を形づくる!

2024-07-25 14:07:49 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」ロ「ギリシャ時代」(その1)(237-240頁)
(55)ギリシア時代の((CC)「宗教」)B「芸術宗教」の地盤であり「現実的精神」であるのは、((BB)「精神」)A「人倫的精神」(「真実なる精神、人倫」)だ!
★(C)「理性」(CC)「宗教」の見地からいうと、「東方の時代」(「東方の宗教」=A「自然宗教」)は、エジプトのc「工作者」の宗教を媒介として、ギリシア時代のB「芸術宗教」に移る。(237頁)

★ところですべての他の「宗教」と同じく、このB「芸術宗教」もまた「現実精神」を地盤とし、それを反映したものだ。(237頁)
☆この側面の重要な点は、《 (BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」(「人倫的精神」)a「人倫的世界」b「人倫的行為」c「法的状態」》において展開されている。(237-238頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄):(C)「理性」(BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」(「人倫的精神」)(a「人倫的世界」b「人倫的行為」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」(Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」)、C「自己確信的精神、道徳性」

☆(CC)「宗教」B「芸術宗教」(「ギリシャ宗教」)においてヘーゲルのもっとも重んじたのはギリシャの「悲劇作品」に表現されるところのものだが、B「芸術宗教」(「ギリシャ宗教」)の「現実的精神」の側面(Cf. 「宗教社会学」的側面)は、すでにA「人倫的精神」((BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」)としてその「悲劇」における反映を材料としてヘーゲルによって論じられ、そしてA「人倫的精神」のc「法的状態」への移行が論じられる。(238頁)

★(BB)「精神」A「人倫的精神」は、「古代」の核心となる「宗教」の系列((CC)「宗教」A「自然宗教」→B「芸術宗教」→C「啓示宗教」という「古代的」系列)に属するというより、むしろ「近代」の核心となる「道徳」の系列((BB)「精神」A「人倫」→Ac「法的状態」→B「教養」→C「道徳性」)に属するものだ。
☆しかし(BB)「精神」A「人倫的精神」はまた、(CC)「宗教」B「芸術宗教」の地盤であり「現実的精神」だから、以下A「人倫的精神」について述べる。(238頁)

(55)-2 (BB)「精神」A「人倫的精神」(「真実なる精神、人倫」)が、ギリシア宗教(B「芸術宗教」)の地盤である「現実的精神」だ!
★(BB)「精神」A「人倫的精神」の段階構成は次の通りだ。すなわち《 (BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」(「人倫的精神」)a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」、b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」、c「法的状態」》。(238頁)
☆(BB)「精神」A「人倫的精神」の段階のうち、c「法的状態」は「ローマ時代」だ。これに対してa「人倫的世界」およびb「人倫的行為」はギリシャ時代である。(CC)「宗教」B「芸術宗教」(「ギリシャ宗教」)においてヘーゲルのもっとも重んじたのはギリシャの「悲劇」作品に表現されるところのものだが、そのB「芸術宗教」あるいは「悲劇」の「地盤」をなす「現実的精神」の側面(Cf. 「宗教社会学」的側面)を取り扱ったのが、a「人倫的世界」およびb「人倫的行為」だ。(238頁)
★なおc「法的状態」(「ローマ時代」)も、ヘレニズム時代としては、「ギリシャ喜劇」と深い関係を持つ。(後述)(238-239頁)

《参考1》《「宗教」の「古代的」系列》と《「道徳」の「近代的」系列》との綜合:《「現代」の「絶対知」》!
☆(CC)「宗教」の方向は「表象性」・「客体性」の方向であって、ここにはA「自然宗教」→B「芸術宗教」→C「啓示宗教」という「古代的」系列がある。(225頁)
☆「道徳」の方向は「思惟性」・「主体性」の方向であって(BB)「精神」A「人倫」→Ac「法的状態」→B「教養」→C「道徳性」という「近代的」系列がある。(225頁)
☆そうしてこれら2つの系列(「古代的」系列と「近代的」系列)を綜合する(DD)「絶対知」は「反省を媒介として恢復された実体性」としての(四)3「現代」にほかならない。(225頁)

《参考2》(CC)「宗教」において、「東方の宗教」(A「自然宗教」)は(A)「対象意識」の段階、次いで「エジプトの宗教」は(B)「自己意識」の段階のあけぼの、そして「ギリシャ宗教」(B「芸術宗教」)は本来の(B)「自己意識」の段階にあたる!(227-228頁)
☆ヘーゲルにおいては「宗教」には「東方」と「西方」との区別があり「東方の宗教」(A「自然宗教」)が(A)「対象意識」の段階にあたるのに対し、「西方」の宗教である「ギリシャ宗教」(B「芸術宗教」)は(B)「自己意識」の段階にあたるとされる。(227頁)

《参考3》ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄):(CC)「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」

(55)-3 (CC)「宗教」B「芸術宗教」(「ギリシャ宗教」)の「地盤」をなす「現実的精神」において、(BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」の「真実なる精神」とは何か?「『個別』と『普遍』とは美しい『調和』を形づくる」!
★、(BB)「精神」A「真実なる精神」とはどういうことであるか?ギリシャの「ポリス」においては「各人」が「自主独立」でありながら、それでいて「全体」と結びつき、「全体」のためにつくし、「『個別』と『普遍』とは美しい『調和』を形づくる」が、そうさせるものが「真実なる精神」(ヘーゲル)だ。(239頁)
☆ただしここで「真実なる」というのは、「絶対的」な意味ではなく、「直接的」意味におけるものだ。いいかえると「自然的」になり出たものとして「自然性」をまぬがれえないということだ。(239頁)
☆そこに「真実なる精神」が同時に「人倫」たるゆえんがある。(239頁)

★「人倫」の原語はSittlichkeit だが、これは「習俗」Sitte に由来する。「人倫」は、「習俗」に表現された「精神」であり、従って「人倫」は「習俗」だけを意味するのでなく、「習俗」を基礎とする「ポリスの国法」も包含する。
☆「人倫」という「精神」は、しかしまだ「自然性」をまぬがれない。だから「Sittlichkeit」(「人倫」)は「Sitte」(「習俗」)と不可分なのだ。(239頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄):《 (BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」(「人倫的精神」)(a「人倫的世界」b「人倫的行為」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」(Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」)、C「自己確信的精神、道徳性」》

★一般に「東方」とはちがって、「ギリシャ」においてはじめて「精神」は「自然」から解放されるが、この解放はまだ十分でなく、なお「自然性」をまぬがれない。(239頁)
☆ヘシオドス『神統記』に描かれている「古き神々」と「新しき神々」との戦いは、「自然の神々」に対する「文化の神々」の勝利を意味するが、それでもたとえば「ゼウス」がかたわらに「鷲」を、「ヘラ」が「孔雀」を侍らせるのは、その「現実的精神」がまだ「自然」から十分に解放されていなかったことの反映であると、ヘーゲルは考えている。(239頁)

《参考1》ヘシオドス『神統記』における「古き神々」と「新しき神々」との戦い!『神統記』は古代ギリシアの神々を一つの系譜にまとめ、宇宙の創造を統一的に歌った叙事詩で、天地創生以来の神々の系譜、すなわち原初の神々の誕生、そしてウラノス -→クロノス(以上、「古き神々」) → ゼウス(「新しき神々」)の三代にわたる神々の交代劇を語る。『神統記』は、ギリシア神話の主神ゼウスをたたえる。

☆①原初の神々!最初に 「カオス」(混沌)が生じた。次に「ガイア」(大地)、「タルタロス」(冥界)、「 エロース」(愛)が誕生した。さらに多数の原初の神々が生まれる。(「古き神々」)

☆②「ティターン」族・一つ目の巨人「キュクロープス」・五十頭百手の巨人「ヘカトンケイル」(以上、「古き神々」)!「ガイア」(大地)は独力で「ウラノス」(天空)と「ポントス」(海)を生む。ガイアは「ウラノス」を夫とし、まず「ティターン十二神」を生んだ。その末子が「クロノス」だ。またガイアは一つ目の3巨人「キュクロープス」を生んだ。彼らはのちにゼウスに雷を与える。さらにガイアは五十頭百手の3巨人「ヘカトンケイル」も生んだ。

Cf. 「ヘカトンケイル」たちはあまりの醜さに父「ウラノス」によってタルタロス(冥界の奥底にある奈落)に封じ込められたが、「ティターノマキア」(「クロノス」側の「古き神々」と「ゼウス」側の「新しき神々」との戦い)の際、「ガイア」の勧めにより「ゼウス」はこの3人を助け出した。そのため、「ヘカトンケイル」たちは、「ティターン」側(「クロノス」側)と戦い、無数の剛腕で1度に300の大岩を敵に投げ付けゼウスたちを支援し、「ゼウス」側が勝利する一因となった。勝利後は「ヘカトンケイル」たちは、タルタロスに幽閉された「ティターン」族の監視に就き、地上から姿を消した。

☆③「ウラノス」(「古き神々」)はガイアとの間に生んだ「ティターン神族」(末子が「クロノス」)(「古き神々」)を恐れ、大地の体内に押し込めた。しかし「ガイア」はそれを怨みに思っていた。ガイアは鎌を用意して子供たちに渡し、一矢報いる策略を練った。ある夜、「ウラノス」がガイアに覆い被さると、末子の「クロノス」が「ウラノス」を鎌で去勢し、切断された男根を海に放り投げた。(ウラノスの男根からは美の女神アプロディーテが生まれた。)

☆④「クロノス」は「レア」(「ティターン神族」に属し「クロノス」の姉)との間に光り輝く子供たちを生んだ。ヘスティア、デメテル、ヘラ、 ハデス、 ゼウスらの兄弟(「オリュンポスの神々」=「新しき神々」)である。しかし「クロノス」(「古き神々」)は、父ウラノスとガイアから、「自分の子供に打ち倒されるであろう」との予言を受けており、それを恐れた「クロノス」は生まれた子供たちを飲み込んでいった。しかし、「ゼウス」だけは「レア」から「ガイア」に渡され、大地に隠されて岩を身代わりとし、難を逃れた。
☆④-2 「ティターノマキア」(「クロノス」側の「古き神々」と「ゼウス」側の「新しき神々」との戦い)!長い隠遁ののちゼウスは成長し、クロノスを打倒して兄弟たちを助け出した。これが「ティターノマキア」だ。「ティターノマキア」は、「ゼウス」率いる「オリュンポスの神々」(「新しき神々」)と、「クロノス」率いる「巨神族ティターン」(「ティターン十二神」)(「古き神々」)との戦いだ。全宇宙を崩壊させるほどのこの大戦は、10年も続き、「ゼウス」率いる「オリュンポスの神々」(「新しき神々」)が勝利する。

《参考2》「ティターノマキア」と「ギガントマキア」の違い!
☆「ティタノマキア」(Titanomakhia)は「ゼウス」を盟主とする「オリュンポスの神々」(「新しき神々」)と、彼らより以前に古代の宇宙を支配していた「クロノス」を盟主とする「ティターン神族」(「古き神々」)の間で行われた天界と宇宙の支配権をめぐる神々の戦いだ。「ティタノマキア」で「ゼウス」側は苦戦するが、大地の女神「ガイア」からの助けを借り、「ガイア」の息子たちの「キュクロプス」(一つの目の巨人)と「ヘカトンケイル」(百手巨人)たちと共に「ティターン神族」を打ち破る。(既述)

☆「ギガントマキア」は、先に行われた「ティタノマキア」の結果、自分の息子であった「クロノス」が敗者に対する敬意と情けをかけられずに「タルタロス」の牢獄へ閉じ込められてしまったことに対し大地の女神「ガイア」が強く憤ったことが原因だ。大地の女神ガイアが、「ギガース」(「ギガンテス」)と呼ばれる巨人たち(クロノスによりウラノスの性器が切り取られた際に滴り落ちた血を「ガイア」が受胎し産み落とした)をオリュンポスの神々のもとへと差し向け、戦いがはじまる。予言によりこの巨人には「人間の力を借りなければ勝利は得られない」と告げられており、オリュンポスの神々は負けはしないものの、巨人に打ち勝つ事ができなかった。このため「ゼウス」は人間の女アルクメネ(ミュケナイの王女)と交わり「ヘラクレス」をもうけ、味方とした。ガイアは「ギガース」の弱点を克服させるため、人間に対しても不死身になる薬草を大地に生やしたが、これを察知したゼウスによっていち早く刈り取られ、遂にギガースがそれを得ることはなかった。結局、「ギガース」たちはオリュンポスの神々とヘラクレスによって皆殺しにされ、オリュンポスの圧勝に終わった。

《参考3》この戦い(「ギガントマキア」)の後、「ガイア」は最大最強の怪物「テューポーン」を産み落とし、ゼウスに最後の戦いを挑んだ。(Cf. 双頭の犬オルトロス、ケルベロス、ヒュドラー、キマイラはテューポーンの子供だ。)ゼウスらオリュンポスの神々は、「ティタノマキア」と「ギガントマキア」に連勝し、思い上がり始めていた。「ガイア」にとっては「ティターン」たちも「ギガース」たちも、わが子である。それゆえゼウスに対して激しく怒りを覚えた「ガイア」は、末子の「テューポーン」を産み落とした。「テューポーン」はオリュンポスに戦いを挑んだ。
☆ヘーシオドス『神統記』は「テューポーン」と「ゼウス」の戦いの激しさを詳しく描く。テューポーンの進撃に対し、ゼウスが雷鳴を轟かせると、大地はおろかタルタロスまで鳴動し、足元のオリュムポスは揺れた。ゼウスの雷とテューポーンの火炎、両者が発する熱で大地は炎上し、天と海は煮えたぎった。さらに両者の戦いによって大地は激しく振動し、冥府を支配するハデスも、タルタロスに落とされたティターンたちも恐怖したという。しかし「ゼウス」の雷霆の一撃が「テューポーン」の100の頭を焼き尽くすと、「テューポーン」はよろめいて大地に倒れ込み、身体は炎に包まれた。この炎の熱気はヘパイストスが熔かした鉄のように大地をことごとく熔解させ、そのまま「テューポーン」をタルタロスへ放り込んだ。

《参考3-2》アポロドーロス『ビブリオテーケー』は「テューポーン」と「ゼウス」の戦いについて次のように語る。①「テューポーン」がオリュムポスに戦いを挑み、天空に向けて突進すると、神々は恐怖を感じ、動物に姿を変えてエジプトに逃げてしまった。(それゆえ、エジプトの神々は動物の姿をしている。)②「ゼウス」は離れた場所からは「雷霆」を投じてテューポーンを撃ち、接近すると「金剛の鎌」で切りつけた。③激闘の末、シリアのカシオス山へ追いつめられた「テューポーン」はそこで反撃に転じ、「ゼウス」を締め上げて「金剛の鎌」と「雷霆」を取り上げ、「手足の腱」を切り落としたうえ、デルポイ近くのコーリュキオン洞窟に閉じ込めてしまう。そしてテューポーンは「ゼウスの腱」を熊の皮に隠し、番人として半獣の竜女デルピュネーを置き、自分は傷の治療のために母「ガイア」の下へ向かった。④「ゼウス」が囚われたことを知ったヘルメース(伝令神、オリュンポス12神の一人)とパーン(牧人と家畜の神;あご髪・山羊の角と脚を持つ半獣神)はゼウスの救出に向かい、デルピュネーを騙して「手足の腱」を盗み出し、ゼウスを治療した。⑤力を取り戻した「ゼウス」は再び「テューポーン」と壮絶な戦いを繰り広げ、深手を負わせて追い詰める。⑥「テューポーン」はゼウスに勝つために運命の女神「モイラ」たちを脅し、どんな願いも叶うという「勝利の果実」を手に入れるが、その実を食べた途端、テューポーンは力を失ってしまった。実は女神たちがテューポーンに与えたのは、決して望みが叶うことはないという「無常の果実」だった。⑦敗走を続けた「テューポーン」はトラキアでハイモス山(バルカン山脈)を持ち上げゼウスに投げつけようとしたが、「ゼウス」は雷霆でハイモス山を撃ったので逆にテューポーンは押しつぶされ、山にテューポーンの血がほとばしった。⑧「テューポーン」は、最後はシケリア島まで追い詰められ、エトナ火山の下敷きにされた。以来、テューポーンがエトナ山の重圧を逃れようともがくたび、噴火が起こるという。「ゼウス」はヘーパイストス(鍛冶の神、ゼウスとヘラの第1子、オリュンポス12神の一人)にテューポーンの監視を命じ、ヘーパイストスはテューポーンの首に金床を置き、鍛冶の仕事をしているという。
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