DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

[イギリス昔話] 親指トム(Tom Thumb):妖精の女王の「名づけ子」であり、アーサー王の騎士「トマス・トム卿」の英雄譚!

2018-04-07 23:38:17 | 日記
(1)
昔、昔の話だが、設定はアーサー王の時代の話だ。
《感想1》
アーサー王のが実在するかどうかは不明だが、6世紀のブリタニア(英国)の王とされる。

(2)
魔法使いマーリン(Merlin)が、乞食の姿で放浪していた。ある晩、彼は農民夫婦に親切にされ、一晩泊めてもらった。マーリンは感謝し、子供がいない夫婦に、「小さな子供が生まれる」と約束した。それが親指トムだ。
《感想2》
親切にすると、恩返しされる話として、日本では「鶴の恩返し」がある。こちらは、お礼は子供でなく財貨だ
子供が授かる話に「桃太郎」があるが、これは理由なく川から桃が流れて来る。(なお《桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんの間に桃太郎が生まれた》という回春型の話もある。)
「かぐや姫」も、理由なく竹の中から発見される。これは、お爺さんとお婆さんが金持ちになり、「棚からぼた餅」の話だ。

(3)
妖精の女王(the Queen of the fairies)が名づけ親となり、「親指トム」の名をつけた。彼は女王の名づけ子(godson)だ。
《感想3》
こうして親指トムは、妖精の女王の加護を受けることとなった。彼は祝福された子供であり、身分上、妖精族に属す。すごい!桃太郎もすごいが人間族だ。親指トムは、月人族に属すかぐや姫に似る。

(4)
親指トムは賢く育つ。やがて彼は旅に出る。ある時、カラスが、彼を引っつかみ空を飛んだ。トムは抵抗し、海に落ち、魚に食べられてしまう。アサー王の召使が、その魚を捕る。城で、腹の中から親指トムが元気に出てきた。賢く愉快な親指トムは、やがて、アーサー王に気に入られ、騎士(Knight)の称号を与えられる。彼は、トマス・トム卿(Sir Thomas Tom)と命名された。
《感想4》
「一寸法師」の話に似ている。巨人が「大男総身(ソウミ)に知恵が回り兼ね」と言われるのに対し、小人は知恵を働かせ成功する。腕力よりも狡知が推奨される。

(5)
アーサー王の妃が、親指トムを嫉妬し、王に、「トムは王妃に対し無礼なことをした」と讒言(ザンゲン)した。王はそれを信じ、トムを罰そうとする。
《感想5》
嫉妬は、宮廷人の行動の大きな動機だ。『源氏物語』では、帝(ミカド)の寵愛を一身に受けた桐壺更衣(キリツボノコウイ)が、周りから苛め抜かれて亡くなる。

(6)
親指トムは、蝶々に乗って逃げる。しかし蝶々が突然、城内に落下し、トムは女王につかまってしまう。女王は、トムをネズミ捕りの中に閉じ込め殺そうとする。前夜、猫がネズミ捕りに腕を突っ込んだ時、隙間からトムは逃げる。トムはアーサー王に、これまでの事情を話す。女王が謝り、トムは名誉を回復した。
《感想6》
人間は、残酷だ。女王は、トムを平然と殺すつもりだった。「人の支配」の時代は、「法の支配」と異なり、支配者が気分次第で、何でもできる。

(7)
親指トムは、ある日、散歩中、突然、巨大な毒蜘蛛に襲われる。トムは、針の剣で勇敢に戦うが、殺される。アーサー王と臣下たちは、トムのために美しい大理石の墓碑を立てた。墓碑銘には「ここにトマス・トム卿、勇敢で高名な騎士が横たわる」と刻まれた。
《感想7》
「めでたしめでたし」(ended happily)(and they lived happily ever after)に終わらない点が悲しいが、英雄譚としては名誉ある立派な結末だ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「摘むべき花は早く摘むがよい」:オマル・ハイヤーム(1048-1131)『ルバイヤート』(45)、岩波文庫:君は《永遠に完全もの》(イデア)を幻のうちに探す!

2018-04-07 20:32:28 | 日記
時はお前のため花の装いをこらしているのに、 Time wears beautiful cloths like flowers for you.
道学者の言うことなどに耳を傾けるものでない。 Therefore, you don't have to listen to what moralists say.
この野辺を人はかぎりなく通って行く、 In this field, countless people including you pass away.
摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘まれぬうちに。 Do early pick flowers to be picked before you are picked.

《感想1》
この世には、探せば、「摘むべき花」がある。
(詩人はそう言うが、そうだろうか?)
人の世の倫理を問うてみたところで、君は滅びる運命だから、そんなものを問うてみても意味がない。
(詩人は、そう言うが、この世は長いのだ。《嫌で面倒な他者たちとともに長い時間、生きる苦痛》を、何とかしなければならない。人が不可避な相互関係のうちで生きるしかない限り、《互いにどう生きるか》、《人を相互に生きやすくする》にはどうしたらよいか、つまり倫理を問うのは、意味がある。評者は、この詩人と、意見が違う。道学者の結論は、いろいろあるが、道学者が取り組む問いは、重要な問いだ。)

《感想2》
この世の花とは何か?
この世は本当に「花の装い」をしているのか?
この世は、ほとんどが悪意と誤解と苦痛だ。あるいは無駄と無意味と苦労が、大部分だ。(そう評者は思う。)
「身を摘まれる」こと、つまり君の死が確かなのに、その上、君は「摘むべき花」も見いだせないかもしれない。
君は悲惨だ。
「花」を君は、探す。
《青い鳥》を君は探す。

《感想3》
この世に価値あるものがあるとしたら、それは《一瞬のうちに姿を現す永遠》、永遠の善、永遠の真、永遠の美といったものだけだ。
滅びるものに、一瞬、《この世ならぬ永遠の完全なもの》(イデア)が宿る。
君は《永遠に完全なもの》(イデア)を幻のうちに探す!
君は《永遠なる実在》(イデア)を、非実在(幻)のうちに探す!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする