日本の国旗は日の丸と呼ばれる。日の丸の語は、「昇る太陽の旗」を意味する。太陽は、白地の中心に赤丸で象徴される。この旗は国名(日出処(ヒイズルトコロ)を意味する)に合っている。
The national flag of Japan is called the Hi-no-Maru or the Nisshoki. The word means “the flag of the rising sun”. The sun is represented by a red circle at the center of a white field. The flag matches the name of the country (meaning the place where the sun rises).
《感想1》
「日の丸」の歴史をおさらいしてみた。
①世界的には、多く、太陽が金色、月が銀色で表現される。日本でも文武天皇以来、「日輪」は通常「赤地に金丸」だった。
②赤丸で太陽を表現する例は、漢時代にある。日本では法隆寺の玉虫厨子背面の須弥山図に赤い真円の太陽が描かれている。これは大陸から仏教とともにもたらされたと思われる。
③日輪は天下統一の象徴である。源平合戦で、政権側の平氏が「赤地金丸」を、これに対抗し源氏は「白地赤丸」の旗を使用。源氏が勝利したので、「白地赤丸」が天下統一の象徴となった。
④徳川幕府は「日の丸」を公用旗として使用した。
⑤1859年、幕府は日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出し、日章旗が事実上「国旗」となった。
⑥幕府の規定を継承し、1870年、明治政府が太政官布告で日の丸を「御國旗」とした。
⑦1999年、国旗国歌法で、「日の丸」が国旗として定められた。
《感想2》
金と銀で表された日輪と月輪と言えば、「地獄絵ワンダーランド」(三井記念美術館、2017年)で見た「熊野観心十界曼荼羅」が興味深かった。
この絵の上部に金の日輪と銀の月輪がある。その下に人の生老病死の人道、豪奢な天道、中心に六道から解脱した阿弥陀如来・諸菩薩など四聖界、その下に修羅道、餓鬼道、畜生道、地獄道が描かれる。(六道と四聖界をあわせ十界(ジッカイ)と呼ぶ。)
この熊野曼荼羅は、中世から近世にかけ熊野比丘尼(尼僧)が、熊野三所権現(スサノオ・イザナギ・イザナミ)勧進のため、諸国をめぐり絵解きした。彼女らは、小歌や俚謡(リヨウ)を歌い物乞いし、のちには売色を業とする者もいた。
《感想3》
「日の丸」の歴史は、複雑で豊かだ。「日の丸」について、政治的に語るのみだと、議論が貧困で荒(スサ)む。古代から現代まで、人々の心の変遷・諸相の中で、つまり文化史的に「日の丸」をとらえたい。
The national flag of Japan is called the Hi-no-Maru or the Nisshoki. The word means “the flag of the rising sun”. The sun is represented by a red circle at the center of a white field. The flag matches the name of the country (meaning the place where the sun rises).
《感想1》
「日の丸」の歴史をおさらいしてみた。
①世界的には、多く、太陽が金色、月が銀色で表現される。日本でも文武天皇以来、「日輪」は通常「赤地に金丸」だった。
②赤丸で太陽を表現する例は、漢時代にある。日本では法隆寺の玉虫厨子背面の須弥山図に赤い真円の太陽が描かれている。これは大陸から仏教とともにもたらされたと思われる。
③日輪は天下統一の象徴である。源平合戦で、政権側の平氏が「赤地金丸」を、これに対抗し源氏は「白地赤丸」の旗を使用。源氏が勝利したので、「白地赤丸」が天下統一の象徴となった。
④徳川幕府は「日の丸」を公用旗として使用した。
⑤1859年、幕府は日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出し、日章旗が事実上「国旗」となった。
⑥幕府の規定を継承し、1870年、明治政府が太政官布告で日の丸を「御國旗」とした。
⑦1999年、国旗国歌法で、「日の丸」が国旗として定められた。
《感想2》
金と銀で表された日輪と月輪と言えば、「地獄絵ワンダーランド」(三井記念美術館、2017年)で見た「熊野観心十界曼荼羅」が興味深かった。
この絵の上部に金の日輪と銀の月輪がある。その下に人の生老病死の人道、豪奢な天道、中心に六道から解脱した阿弥陀如来・諸菩薩など四聖界、その下に修羅道、餓鬼道、畜生道、地獄道が描かれる。(六道と四聖界をあわせ十界(ジッカイ)と呼ぶ。)
この熊野曼荼羅は、中世から近世にかけ熊野比丘尼(尼僧)が、熊野三所権現(スサノオ・イザナギ・イザナミ)勧進のため、諸国をめぐり絵解きした。彼女らは、小歌や俚謡(リヨウ)を歌い物乞いし、のちには売色を業とする者もいた。
《感想3》
「日の丸」の歴史は、複雑で豊かだ。「日の丸」について、政治的に語るのみだと、議論が貧困で荒(スサ)む。古代から現代まで、人々の心の変遷・諸相の中で、つまり文化史的に「日の丸」をとらえたい。