DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

中原中也(1907-1937)「月夜とポプラ」(1935年、28歳):「死が何であるかは、死んでみないとわからない」!

2018-04-29 21:33:58 | 日記
 月夜とポプラ Moonlight night and a poplar

木(コ)の下かげには幽霊がゐる Under a tree, there is a ghost.
その幽霊は、生まれたばかりの
まだ翼(ハネ)弱い蝙蝠(カウモリ)に似て、 The ghost looks like a newborn bat that has weak wings.
而(シカ)もそれが君の命を
やがては覘(ネラ)はうと待構へてゐる And it is also prepared for eventually killing you.
(木の下かげには、かうもりがゐる。) (Under a tree, there is a bat.)
そのかうもりを君が捕(ト)つて
殺してしまへばいいやうなものの It seems better that you catch and kill the bat.
それは、影だ、手にはとられぬ But the bat is still only a shadow. Therefore you can't catch it.
而(シカ)も時偶(トキタマ)見えるに過ぎない。 In addition, you can see it only once in a while.
僕はそれを捕つてやらうと、
長い歳月考へあぐむだ。 In order to catch it, I have been planning for a long time.
けれどもそれは遂(ツイ)に捕れない、 However I have not caught it after all.
捕れないと分かった今晩それは、
なんともかんともありありと見える―― Tonight, now I have realized that I can't catch it, I can clearly see it to my vexsation.

《感想1》
木の下は、幽霊の居場所。薄暗いから。また幽霊は、蝙蝠に似る。蝙蝠は黒く、顔は醜く、夜飛翔し、不気味で不吉とされるから。(可愛そうな蝙蝠!)
《感想1ー2》
死者は無に帰ったはずだから、幽霊として姿を現すと、日常の現実のルールからはずれ、不気味だ。また幽霊は、死を体現するので不吉だ。
《感想2》
詩人は、不気味で不吉な死を発見し、その正体をとらえたい。ただし、まだその出現した死は、死そのものでなく、死の影にすぎない。君が命を取られるのは、つまり死そのものに会うのは、先の話だ。
《感想3》
詩人は、死を捕らえて、殺してしまいたい。だが(死の影でなく)、死そのものが、君に姿を現すとき、それは君の死だから、生きている君が、死を捕らえることはできない。
《感想3ー2》
生きている君が見る、あるいは知る死は、結局、死そのものでなく、死の影だ。
《感想4》
死は、本人にとっては、規定できない事態だ。ただし死は、「おそらく無であろう」と、自己の類似物である他者の死から、推定される。
《感想4ー2》
自然の諸規則(または法則)が、自己の類似物である他者と同様、自分にも適用される。かくて、これまで他者がすべて(これはくまなく確認したわけでないが)死んだことは、君が死ぬ確率も極めて高いと推定させる。(これが普通、死の必然性と呼ばれる。)
《感想5》
「死が何であるかは、死んでみないとわからない」と冗談に言われるが、この詩は、その冗談を詩にしてみたわけだ。
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①「和」を保ち、つまり互いを寛容のもとに包摂し、様々の考え方の者たちからなる全日本国民の幸福を実現することが、最も「日本」的だ!②ナショナリズムは「お国自慢」として文化的な主張であるべきだ!

2018-04-29 01:28:14 | 日記
(1)
「反日」とは何か?「日」つまり「日本」とは、日本国民全体のことだ。「日本」国家の目的は、日本国民全体の幸福だ。「反日」とは、日本国民全体の幸福に反することだ。
(2)
日本国民には、様々の考え方の者たちがいる。そのすべての日本国民の幸福を実現することが、最も「日本」的だ。
(2)-2
様々の考え方の者たちからなる全日本国民の幸福を実現するためには、日本国民の「和」が不可欠だ。日本国民の「和」を保ち、様々の考え方の者たちからなる全日本国民の幸福を実現することが、最も「日本」的だ。
(3)
日本国民の「和」を保つとは、様々の考え方の者たちからなる日本国民全体を、寛容のもとに包摂することだ。
(4)
ある日本国民が、他の自分の考えと異なる日本国民に対し、「反日」と言って、寛容のもとに包摂できないとしたら、つまり日本国民の「和」を破壊するとしたら、それは非「日本」的だ。「反日」と呼んで他の日本国民を認めることができない者は、日本国民の「和」を破壊する点で、非「日本」的だ。
(5)
様々の考え方を自由に戦わせ、日本国民全体にとって何が最良かを、探しだすことが、重要だ。一人の日本国民も排除せず、日本国民全体の幸福を実現するために、自由な議論を戦わせ、最良の策を探すのが、正しく賢明な日本人のあり方だ。
(6)
宇宙的に見れば、君はたまたま日本人に生まれた。しかし生まれ育った国の「お国自慢」は当然だ。「住めば都」だ。ナショナリズムは「お国自慢」だ。かくてナショナリズムは、文化的な主張であるべきだ。これに対し例えば、政治的ナショナリズムは、しばしば、日本国民の「和」を破壊し、意見の異なる日本国民を排除する点で、全日本国民の幸福の実現に、有益でない。
(7)
日本国民とは、法律的に日本国籍を持つ者全体だ。
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