DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

[笑い話]「ママは一度も私と会ったことがないのに、私が生まれた時、私とわかった」という謎:「わかる」とは、その対象・出来事を「名前」で呼ぶことだ!

2018-04-02 19:07:02 | 日記
小さな女の子が、母親に質問した。「私が生まれる前、ママは一度も私に会ってないのに、私が生まれた時、どうして私だって、わかったの?」

A little girl asked her mother, “Why were you able to realise that I was I though you had not ever met me before I was born?”

《感想1》
質問の趣旨を考える。
①私(○ちゃん)とこれまで会ったことがない人は、私と会っても、私(○ちゃん)とわからない。
②私(○ちゃん)とこれまで会ったことがないママが、私と会って、私(○ちゃん)とわかった。不思議だ。

《感想2》
③ママは、初めて私と会って、私に、○ちゃんと、名前をつけた。
③ー2 「わかる」とは、「その対象・出来事を名前で呼ぶ」ことだ。

《感想3》
①(続)私(○ちゃん)とこれまで会ったことがない人は、私の名前を知らない。
その人は私と会っても、私の名前を知らないから、「私を名前(○ちゃん)で呼ぶ」ことができない。
つまり、その人は私をわからない。
②(続)私(○ちゃん)とこれまで会ったことがないママが、私と会って、私とわかったとは、ママが「私を名前(○ちゃん)で呼ぶ」ことができたということだ。
②ー2 ママが「私を名前(○ちゃん)で呼ぶ」(ママが私を「わかる」)のは、そのときママが私に名前(○ちゃん)をつけたからだ。ママが、私が誰かを、つまり私の「名前」を決定する。

《感想4》
ここで《名前》とは、一般に、言葉(語)のことだ。
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エミリー・ディキンソン 「この世界で終わりでない」:「もう一つの世界」が向こうにあると確信しつつ、「もう一つの世界」に存在する神の智が捉ええないので、懐疑の歯に君の魂は食いちぎられ苦悩する!

2018-04-02 11:23:29 | 日記
 “This World is not Conclusion.”
  この世界で終わりでない

This World is not Conclusion.
A Species stands beyond –
Invisible, as Music –
But positive, as Sound –
It beckons, and it baffles –

この世界で終わりでない
もう一つの世界(s Species)が向こうにある–
目には見えない、音楽のように–
しかし確かにある、音のように–
それは招く、そしてそれは挫折させ惑わせる–

《感想1》
「もう一つの世界」が確かにあると、詩人は言いつつ、「もう一つの世界」という思いが、人を挫折させ惑わせる(baffle)とも彼女は言う。
彼女は、《この世界で終わりなのかもしれない》、《この世界だけしかないのかもしれない》と、心を凍らせる。

Philosophy – don’t know –
And through a Riddle, at the last –
Sagacity, must go –
To guess it, puzzles scholars –

哲学には–分からない–
そして結局は、謎の中を–
聡明さは進まねばならない
それを解き当てようとして、学者はとまどう

《感想2》
哲学、つまり《この世界(此岸的世界)の経験の一般化》からは、「もう一つの世界」の存在を説明できない。
哲学は、「聡明」だが、つまり合理的だが、この(此岸的)世界を出ることが出来ない。
合理的とは、《此岸的世界の経験の一般化》の内に、とどまることだ!

To gain it, Men have borne
Contempt of Generations
And Crucifixion, shown –

それを手に入れようと人間は
幾世代の侮辱を耐えてきた
また十字架上の磔刑を演じてきた–

《感想3》
「もう一つの世界」を人間は求め、幾世代の侮辱・迫害に耐えてきた。
「もう一つの世界」を確信する欲望は、死への恐れから生まれる。
この欲望が宗教だ。
宗教は、《この世界(此岸的世界)の経験の一般化》(哲学)としての合理性を、越える。

Faith slips – and laughs, and rallies –
Blushes, if any see –
Plucks at a twig of Evidence –
And asks a Vane, the way –
Much Gesture, from the Pulpit –
Strong Hallelujahs roll –

信仰はつまずく–そして苦笑いし、そして陣容を整える–
もし誰かが見ていれば、赤面する–
証拠の小枝にしがみつく–
そして風見に尋ねる、行くべき道を–
説教壇から、大袈裟な身振り–
大音声(ダイオンジョウ)の「ハレルヤ」が轟く–

《感想3》
この詩人は、ここで信仰を否定していない。
彼女は、「この世界で終わりでない」、「もう一つの世界が向こうにある」と宣言した。
それは「目には見えない」が、「しかし確かにある」のだ。
「それは招く」とさえ、彼女は言う。

《感想3-2》
信仰が、この「もう一つの世界」を求め、いかに悪戦苦闘したか、彼女は心から共感する。
「それを手に入れようと人間は、幾世代の侮辱を耐えてきた、また十字架上の磔刑を演じてきた」。
人間にとって、信仰(宗教)は、本質的だ。

《感想3-3》
《人の死が不可避だ》という《この世の(つまり此岸的な)事実》は、何故生じたのか?
この問いに、この世(此岸)は、答えを原理的に与えない。
もちろん死の不可避性のメカニズムを、《科学的に(つまり此岸的経験の一般化の枠内で)》明らかにできるだろう。
だがそのメカニズムが、この世の人(さらには生き物すべて)に、なぜ運命づけられたかは、科学は答えない。
そして哲学も答えない。

《感想3-4》
《人の死の不可避性》というこの世の(つまり此岸的な)事実は、それ(死の不可避性)を生じさせた根拠への問いを生み出す。
それに答えるのが信仰(宗教)だ。
この問いは、人間を太古から捉え、かくて太古に信仰(宗教)は生れた。
無神論は、人間の本性に属さない。あるいは、それは、人類史への無知に基づく。

《感想3-5》
《信仰(宗教)の歴史》に向ける彼女のまなざしは、辛らつだ。
《死の不可避性を生じさせた根拠》への問い、この謎(問い)は、容易に解けない。
だから「信仰はつまずく」。そして「苦笑い」する。だが信仰はひるまない。再び「陣容を整える」。
そして信仰は、そのつまづきを見られ「赤面する」。
信仰は、その困難故に、「証拠の小枝にしがみつく」し、「風見に尋ね」さえする。
この謎(問い)の深さ、この謎に答えることの困難は、説教壇からの「大袈裟な身振り」や、轟く「ハレルヤ」で解決できるものでない。
信仰(宗教)への彼女のこれらの批判は、信仰の否定では全くない。
詩人は「この世界で終わりでない」、「もう一つの世界が向こうにある」と確信している。彼女は、心底から、信仰する人だ。

Narcotics cannot still the Tooth
That nibbles at the soul –

麻酔薬も魂を食いちぎる歯を
おとなしくさせることが出来ない–

《感想4》
この詩人は、「もう一つの世界」(神)を確信するがゆえに、謎の答(神の意図、つまり人をこのように死すべきものとして造り、此の世をこのように造った神の意図)が、見出せないこと(「魂を食いちぎる歯」)に、苦悩する。

《感想4-2》
《この世界が、このようであること》(Ex. 人の死の不可避性)の大いなる根拠(つまり「もう一つの世界」にいる神、あるいは日本なら仏)を人は探し求める。しかしその根拠を見出すことの困難に、つまり神の真なる智(意図)を見出すことの困難に、人の魂は、さいなまれ苦悩する。

《感想4-3》
「もう一つの世界」が向こうにあると確信しつつ、「もう一つの世界」に存在する神の智が捉ええないので、懐疑の歯に君の魂は食いちぎられ苦悩する!

《注》
ディキンソンの原詩は区分けされていない。区分けは評者が便宜上、行った。
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